告知

2007年10月24日

告知/ブログの一時閉鎖のお知らせ!

皆さんにお知らせ

「力なき正義は無能なり」のブログを今日で閉鎖します。
ご存知のように現在私は「我が父 芦原英幸」と「大山倍達の遺言」の執筆に多忙を極めております。このままではブログの更新は全く覚束ない状況です。かといって私の主義は、このままブログを更新せずに放っておくのを潔しとしません。放置しておくならば、一時的な措置であっても閉鎖するべきだと思いました。
執筆が一段落し、現在進行中の書籍が全国の書店に並んだ頃、またその次に控えている私と塚本の大仕事が済んだのち、再びブログを再開させる計画と意図はあります。
私は物書きです。本を書くことを生業にしている人間です。ですから何よりも私たちに求められていることはルポルタージュにせよドキュメンタリーにせよ最高の「作品」でなければなりません。私たちには空手・格闘技の世界に安住するつもりは欠片もありません。ジャンルに限らず、一介の物書きふぜいに過ぎませんが、ジャーナリストとしてルポルタージュ作家として一歩でも階段を登っていきたいと心に誓い、汗をながしています。
もともと私たちはNetの住人でもなく、決して情報屋でもなく、公的なそして商業的な意味でも「ペン」の世界で生きる人間です。それを犠牲にしてまで他の活動をするのは本来邪道でもあり、自分たちの「道」を間違い、目標を見失ってはいけないと痛切に感じていました。
小島一志という人間も、塚本佳子という人間も「物書き」が本分であって、それ以外は付録以外のなにものでもありません。私たちへの評価も全て著書によって為されてこそです。ブログのコラムによって評価されるのも考えてみれば極めて邪道であり正しい在り方ではありません。
いま1度、私たちは「原点」に帰って、物書きとして最高の「作品」、1人でも多くの人に手にとってもらえる「商品」を作り上げることに全精力を傾ける覚悟です。
いままで毎日、4000人近いファンによって支えられてきたこのブログを閉鎖するのは、ある意味、とても大きな決意と覚悟がいりました。しかし、今後は物書きとしての小島と塚本の作品を通して、何らかの交流が出来ることを望みます。
いままでの1年半、どうもありがとうございます。
ブログを再開する際は、いままでとは異なるシステムとゆりスケールアップした形で行うつもりです。どうか今後とも宜しくお願いします。私たちの汗の結晶である「作品」で、お会いしましょう。

小島一志

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2007年10月05日

改訂版/浜井識安と和解!

突然の連載「師匠がバカなら弟子もアホやんけ?!」において、極真会館を離脱してからの約1年間の浜井識安氏の言動に多大な疑問を投げ掛けてきた。電話での話し合いも平行線に終始し、歩み寄りの糸口さえ見つからなかった。
だが、最近一連の話し合いのなかで、やっと意見の摺り合わせというか「誤解」を解くことが出来た。要は浜井氏の場合、極めて一方的な持論を強引に展開するため、却って「論旨」があやふやになり、浜井氏の「本心」「主義」とかけ離れた誤解を与えてしまうという短所がある。余程の理解力があっても、ただ浜井氏の持論を聞く側に徹してしまうと浜井氏の考えが見えなくなる。さらに、そこに「疑惑」や「浜井氏の私心」を疑ってしまいがちになる。周辺の事情説明を省略して断定的表現に終始するが故の誤解だと言えるだろう。

私が提示した疑問の殆どは浜井氏との度重なる話し合いによって解くことが出来た。内容については近く詳細を報告すると同時に、浜井氏からの「見解文」も掲載する。
私としては、(財)極真奨学会を巡る思惑と言動において、奨学会が休眠状態のなかから必死に立て直しに努力してきた極真館の盧山初雄氏の立場や姿勢に対して「反旗を翻す」と見られる点に対して何よりも大きな拒否感を抱いていた。
「大義の前に筋を通すべき」
という私の発言はそこに集約できる。だが、これについても浜井氏は自らの問題を認め、遺憾に感じると反省の言葉を口にしてくれた。
他の疑問点においては、やはり「言葉の表現」と、それに基づく「誤解」に過ぎなかったことが分かった。
以上の理由から、私と浜井氏の和解が成立した…簡単に言えばケンカをし尽くして仲直りしたということだ。分かり合えれば、直ぐに元のような「仲間」に戻れるのが浜井氏の天性の明るさであり、小島も浜井氏も「いい加減な人間」とも言えるかもしれない。ともに「憎み切れないろくでなし」なのだ。
いずれにしても前述したように互いの和解のポイントは近々、レポートとして掲載する。ただ、いくら「憎み切れないろくでなし」同士であれ、「男としての5カ条」のなかで、女性問題などを引き合いに浜井氏を中傷したのはジャーナリストを自認する私であるならば、許されない下劣な行為だったと反省をしている。
人を批判するのは良い。しかし人格まで否定してはジャーナリズムの在り方ではない。単なる「暴露屋」の行為である。その点、私自身が深く反省しなければならない。この和解の報告を掲載すると同時に、「男としての5カ条」は私個人の判断で削除する。
さらに、このコラムで浜井氏の人格を否定し低俗な笑い者にしたことを、この場を借りて浜井氏には謝罪をします。
ただ…いつか「キトキト寿司」でない美味しい寿司をご馳走して頂くことが条件…なんて! 否、絶対条件である。食い物の恨みは恐ろしいのだ。


ちなみに増田章氏に対する疑問や疑惑については、まだ一切書いてないし解決もしていない。これについて、私は増田氏側に何度もアプローチをしているが現時点では全く返答も連絡もない。
浜井氏との和解により、「師匠がバカなら弟子もアホやんけ?!」がストップするため、増田氏の件は「大山倍達の遺言」のなかで詳しく書いていく。
大山倍達亡きあと、増田がいかにして分裂に加担し、さらには協議会派(現・新極真会)離脱後、どのように動いたのか? 驚く新事実が明らかになるだろう! 請うご期待といったところだ。


(了)

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2007年01月18日

盧山初雄の極真空手・少年教育論/「ジュニア極真空手入門」より

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『ジュニア極真空手入門』(仮題)
著者:盧山初雄(極真館館長)
発売元:(株)ナツメ社
制作:(株)夢現舎
発売:2007年3月中旬
価格:1,200円(+税)


現在、極真空手の中でも大きな比重を占めつつある「少年部」。少年部の為の技術書はこの20年以上、存在しなかった。少年部の増加と大会・試合の活発化に伴い、今だからこそ少年少女(ジュニア)の為の最新技術を集めた書籍が求められていると言えるだろう。
著者の盧山初雄師範は極真空手の世界にあって最も早く「教育としての少年空手」の重要性を説いてきた。1981年の埼玉大会に始まり、1994年からは全日本少年空手道選手権を開催。現在では毎年500名を超える少年少女選手たちで賑わっている。
また本書では、実際に子供を道場に通わせる親(家族)に向けた盧山師範の熱い教育論が注目される。近年の少年犯罪、不登校児・引き籠もり問題、大人による虐待事件の多発化…。盧山師範は今こそ極真空手の重要性が問われる時代だと説く。この盧山師範による教育論は子を持つ全ての親に対し、大きな説得力を持つ事は間違いない。
以下、本書8章「極真空手を学ぶ子どもたちに思う」の中から、盧山初雄師範の文章を1部引用する。


●極真空手を学ぶ意義
まず、私がみなさんにもっとも伝えたいのは、極真空手は武道であるということ。そして武道の本来の意味をしっかりと理解してほしいということです。
武道とは、相手と戦うための技術を身につけることです。ただし、ここで勘違いしてはいけないのは、他人と戦うために武道を学ぶのではではない、ということです。
私の師匠であり、極真空手の創始者である大山倍達先生は、いつもこのようなことをおっしゃっていました。
「実際に戦うときのために、刀はつねにみがいておかなければならない。ただし、それを一生使わないでおくことが、もっともいいことだ」
この言葉には、ここで私がみなさんに伝えようとしている「武道本来の意味」のすべてがこめられています。刀をみなさんが学んでいる極真空手におきかえればわかりやすいでしょう。極真空手の稽古でいつでも相手と戦えるように技術をみがきながら、それを実際に相手に使うことなく、争う前に未然に防ごうとすることが一番大切だということなのです。
武道が戦うための技術である以上、一見すると矛盾しているように感じるかもしれません。しかし、武道を学ぶ人にとって、実際に相手と戦うことは、「最低最悪」の行為だということを覚えておいてください。
では、空手の技を使わずに争いを未然に防ぐにはどうすればよいのでしょうか? それは、自分から好んで危ない場所にいかない、夜道をひとりで歩かない、など危険な目に合わないような心がけを常にもつことです。危険な目にあってからどうするのではなく、どうすれば自分が危険な目にあわないかを先に考えるのです。
武道を学ぶということは、そういう意識を学ぶことでもあるのです。極真空手の厳しい稽古を通して、実際に戦う技術を超えて、危険に対する感覚を養うことができるのです。

●少年非行〜いじめに導くものここ数年、少年・少女たちが起こした、または巻き込まれた犯罪のニュースを毎日のように耳にします。ただし、こういった少年の犯罪や非行が問題になったのは、決して最近に始まったことではありません。過去にも社会問題として大きく取り上げられた時期がありました。それが、家庭や学校での暴力事件が全国的に多発していた1970年代後半〜1980年代前半の頃です。
この背景には、戦後に生まれ育った、今の「団塊の世代」の人たちが受けた教育や生活環境の影響が考えられます。戦後の日本は、とにかく物がなく、だれもが貧しい時代でした。そしてそんな時代に生まれたのが、現在「団塊の世代」といわれている人たちです。ところが、その団塊の世代の人たちが大人になる頃、日本は高度成長の時代に入り、人々はたくさんのお金をえることができるようになりました。そしてその時期に親となった団塊の世代の人たちは、自分が小さい頃貧しくて苦労した分、自分の子どもには苦労をかけさせまいと、子どもを甘やかして育てるようになります。また、それこそが自由主義であると教育を受けました。そうして甘やかされて育った子どもたちが親や友だちに暴力をふるって問題になったのが、1970年代後半から1980年代前半なのです。
ところが、現在の少年たちの非行犯罪は、時代が経つことで質が変わってきているように感じます。これは、「団塊の世代」の親のもとで育てられた20〜30年前の非行少年たちが、今度は親となり、自分の子どもに対する教育を放棄し、さらには虐待し始めたことに原因があるように思います。その虐待をうけた子どもたちが結局どうなったのかというと、今度は陰湿ないじめに走るようになったのです。
昔は、悪い子は悪い子なりの雰囲気があったものです。しかし今は、見た目は普通の子が集団でいじめに参加しています。それもそこにはルールなどまったくなく、相手をとことんいじめぬく。私は20年、30年前の少年非行より、現在のほうが怖い世の中になったと思います。
では、そういう子どもたちに対して、私たち大人がとるべきことはなんなのか? それは「痛み」や「苦しみ」「悲しみ」などを教えてあげることだと思います。
仮に極真空手を学んでいる子どもがケンカをしたとしましょう。その子どもは、極真空手の稽古の中でたたかれることの痛みや苦しさをわかっているため、相手に対する痛みも自然と理解しています。また、負けたときの悲しさもわかるため、負けた相手への思いやりの気持ち、いたわりの気持ちもでてきます。これはじっさいに相手をたたいたり、たたかれたりする、極真空手でなければできないことです。痛みや悲しさがわかっていれば、相手に対してこれ以上やればまずいということが直感的にわかるものです。しかし、それが今の子どもたちはまったくわかっていないのです。
私はこれまで、全国からいろいろ問題のある子ども(非行少年など)を道場であずかってきました。私が最初に彼らに対してやったことは、ただ道場の稽古に参加させることだけです。それで十分でした。稽古では、大きい声であいさつや返事をしなければなりません。先輩のいうことをきちんと守らなければいけません。人に対して両手であいさつ、両手でものをもらわなければいけません。そういった中で子どもたちには、自然と相手に対する尊敬が芽ばえるし、もちろん、稽古で組手をしていれば、たたかれたときの痛みや苦しみも自然と理解できます。
あずかった子どもたちは、みな1ヵ月、いや1週間で態度が変わります。そのたびに、その子たちの親はなぜこんなに変わるのか驚くばかりでした。極端な言い方をしますが、私は、人間として成長するのに足りない部分のすべてを極真空手の道場で補うことができると思っています。

●親に期待すること
極真空手によって子どもを正しい方向に導くことができるのは事実であるとしても、やはり教育の根幹は家庭でなければならないと思います。なぜなら、子どもと接する時間が一番長いのが親(家族)だからです。
しかし、前述したとおり、今の親たちはみな、小さい頃に甘やかされて育ってきました。そのため、親自体に人を尊敬する気持ちがなく、満足に敬語でさえ使えない人が多いのが現状です。そういった親は、何ごとに対しても自分の責任を棚に上げ、子どもが悪くなるのを、学校の責任、社会の責任にし、原因が家庭にあることがまったく理解できません。これが非常に深刻な問題です。子どもに対する教育はまず親がしなければならないのに、それに対する使命をまったくわかっていないのです。
自分に甘く、人に厳しく、すべてを社会のせいにする親の様子を見ていた子どもが、決して他人を尊敬するような人間に育つとは思えません。まず、子どもを教育するのは親なんだということをはっきりと自覚しなければならないでしょう。
極真館では、子どもだけではなくて、できればその親も学んでもらいたいと思い、定期的に親子教室を開催しています。ただし、それは親が強くなるうんぬんのためではありません。実際道場に来て汗を流し、苦しみを子どもと一緒に味わう。そうすることによって、本当の意味での親子の連帯感、信頼しあう気持ちが芽生えればいいと思っています。
またそれ以上に、親子教室には親ががんばっている姿を子どもに見せてほしいという願いもあります。親が汗をかく姿を見ることで、子どもは親をもっと尊敬するし、子どももがんばろうという気持ちになるはずです。
私は以前、デンマークに指導に行ったことがあります。そこで稽古の最後に講義をやったときのことです。私は、空手を学ぶ人は先輩や目上の人を尊敬しなければいけないという話をしました。すると講義のあと、ひとりの支部長が私のもとにやってきて次のような質問をしたのです。
「どうして先輩を尊敬しなければいけないのですか?」
私は最初、この支部長はなんてばかげたことを聞いてくるんだと唖然としました。ところがその質問の意味をよくよく考えてみたところ、彼の質問は当然のことだと気づいたのです。
日本では目上の人を敬うことは当たり前のことです。ただし、デンマークなどのキリスト教圏の国では、人はみな平等という考えが一般的です。そのため、その支部長には、ただ先輩だから、目上だからというだけで尊敬する必要はないという単純な理屈が思い浮かんだのでしょう。彼ら西洋人が尊敬するのは、自分にもっていないものをもっている人、または自分よりもっともっと努力する人なのです。
ちなみに、この指導セミナーには、親子で参加している人たちもたくさんいました。そしていずれの親子も、子どもより親の方が必死になって練習していたことを覚えています。そして、親の必死な様子をみながらその子どもも一生懸命努力をしていました。私はそこに、親子の本当の原点をみたような気がします。
前述したように、日本の社会には、先生、先輩など目上の人を尊敬しなければならないという儒教精神が古くから根づいています。ただし勘違いしていけない のは、この教えは「自分より先に生まれた人は自分より努力をして、自分より知識をもっている、自分より優れている」という前提の上で成り立っているということです。
親子関係も同じことがいえると思います。昔はなぜお父さんが尊敬されたのかというと、子どもを養うため一生懸命努力したからです。そして、その姿を子どもたちが見て育ったからです。しかし、今はすべてがお金、お金であり、お金を与えることが子育てだとさえ思っている親が多いようです。
昔は「地震、雷、火事、親父」ということわざもあったように、親は子どもから尊敬され、かつ怖がられる存在でした。しかし今は、親が汗水流して働く姿も知らず、親が怖い存在だとこれっぽっちも思わない子どもが急増しています。
親が子どもに怖がられなくなったことで、子どもにとって歯止めとなるべき人間がいなくなってしまったのです。子どもが悪いことをしてもしかる親がいない。だから少年犯罪や家庭内暴力、引き籠もりといった問題も、いきつくところまでいってしてしまったのだと私は考えています。
歯止めのない社会、だからこそ私たちのような人間が、怖い大人の代役を勤めざるをえないのです。体罰に関しては、賛否両論あると思いますが、それ以前に今は体罰をできる資格のある親がいなくなっているような気がしてなりません。これが一番問題ではないでしょうか?
極真空手が少年教育に大きな効果があることはいうまでもありません。しかし、それ以上に正常な親子関係を築くことを、親のみなさんには忘れないでほしいと思います。

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2006年12月09日

告知・新極真会とのトラブルについて(06/12/9) 改訂版

小島一志様
平素より当会をご支援いただき、誠にありがとうございます。
さて10月半ばから貴殿がインターネット上に当会に関する記事を掲載されていましたが、そのほとんどが憶説と判断でき、当会が認識する事実とは異なる内容でした。全国の道場生への影響を考慮し、当理事会において今後貴殿および夢現舎様からの取材、応対を断り、一切の関係を絶つことを決定致しましたのでご報告申し上げます。

平成18年11月24日
NPO法人全世界空手道連盟新極真会
代表理事緑健児
理事会一同


去る11月27日、以上の通告文が新極真会側から小島ならびに夢現舎宛てに届きました。内容は、11月25日、新極真会がお知らせとしてホームページ上で公開したものとほぼ同じ文面です。11月28日付けの小島のブログ内コラム「緊急告知!新極真会理事会の通告を受けて」でも書いたように、これは極めて突然で一方的な新極真会からの断絶宣言でした。
過去、小島ならびに夢現舎が支部長協議会派(現・新極真会)と対立する立場にいたがゆえに、長く断絶関係にあったのは互いが認識していた事実です。
しかし、小島ならびに夢現舎・副代表の塚本佳子が、来年秋発売予定の共著「大山倍達の遺言」(仮題)を執筆するにあたり、より中立・公平な立場から過去10余年に及ぶ「極真会館分裂騒動」の真実を描きたいと思うがゆえに、新極真会とは過去の経緯・確執を乗り越えて関係改善を図ろうとして努力してきました。
多少の行き違いはあったにせよ、最終的に小島は岐阜支部長の柳渡聖人氏と総本部事務局長の小井泰三氏との間で話し合いを重ねた結果、「新極真会との確執と和解の経緯」でも述べているように、すでに新極真会事務局との和解が成立していました。
小井氏は、「今後事務局として小島ならびに夢現舎からの取材は全て受ける、代表の緑健児氏へのインタビューなどについても必ず責任をもって橋渡しをする」と小島に確約までしています。実際に、小島が大山総裁のお墓参りをしたいとお願いした際にも、小井氏からは夢現舎まで詳細な地図をFAXで送信してもらいました。更に秘書である飯田には、小井氏から電話で丁重にお墓までの詳しい道順の説明まで受けています。また小島自身もその際、小井氏と雑談まで交わしています。これは、新極真会の理事会が夢現舎への断絶宣言を決定するわずか2日前、11月22日の事です。
しかし理事会の決定後、小井氏は雲隠れ状態になってしまいました。私は決して小井氏の人格を疑うものではありません。小井氏が信頼に足る高潔な人物である事は事実です。しかし一方で、一度、黒澤道場と新極真会のトラブルについて矢面に立たされた時、新極真会への「辞表」の提出まで決心していた小井氏が、今回は辞表を出すどころか居留守に徹するという姿勢に対して少なからずの疑問も持たざるを得ません。
黒澤道場とのとのトラブルについては、柳渡氏と小井氏が新極真会上層部の指示を受け、小島を懐柔して問題の沈静化を図り、一段落ついた後、小島を切る…そんな陰謀を企てていたと邪推されても反論の余地はないでしょう。
黒澤道場と新極真会のトラブルがやっと沈静化したと思われた頃、突然、前掲した通告文に書かれているように、小島のブログの内容を「憶説」という曖昧な理由で一方的に断絶宣言をしてきたのです。小島及び夢現舎としては到底納得できるものではありません。過去、小島はジャーナリストの立場から雑誌媒体や著書で各団体の批判などもしてきましたが、今回の新極真会のような一方的な対応は過去にない異例の状況です。
いずれにせよ、事情の説明を受けるべく小島は、小井氏ならびに柳渡氏へ何度も電話しましたが一切連絡が取れなくなってしまいました。ようやく柳渡氏が小島からの電話を受けたのは11月27日の事です。
小島は電話で柳渡氏に対し4時間に渡って今回の事実関係を質しました。 柳渡氏の返答は終始一貫して「組織の決定だからそれに従うしかない」と言うのみでした。さらには「小島と話したという事実も表には出せない。あくまでも個人での立場で話した事にしてくれ。新極真会のメンバーとしての立場では話せない」と言い、このような通告にいたった経緯について最後まで柳渡氏が口を開く事はありませんでした。そこには普段の陽気な柳渡氏の姿はなく、ただ何かに脅えるような言動が続きました。
小島はそんな過去、見たことのない柳渡氏の態度に、容易ならざる事態が新極真会内で進行していることを実感しました。理事会を構成する理事は三好一男氏や小林功氏など柳渡氏の古い盟友達です。小島は「三好先輩達に直接電話して事情を聞くことも出来ないのですか?」と柳渡氏に迫りました。しかし、柳渡氏はそれさえも不可能だという姿勢を崩しませんでした。ただひたすら「小島、すまない。小井だけは責めないでやってくれ」と繰り返すのみでした。
ところで1988年、小島と大道塾代表・東孝氏の間で起こったトラブルによって両者の関係が悪化した際、東氏は大道塾の機関紙「大道無門」及び電話、手紙などで大道塾関係者全員に、「今後一切の小島との交友を禁じる」という通告を出した事があります。しかし、それでも長田賢一氏をはじめ多くの大道塾の関係者は小島に連絡をし、ねぎらいや励ましの言葉を掛けて下さいました。
それに対して、今回の新極真会の対応について柳渡氏と小井氏の態度はあまりに異様としか言いようはありません。小井氏からは未だ一切の連絡がないのも、柳渡氏の異常な萎縮も彼らが置かれている状況の厳しさの表れと言っていいでしょう。新極真会という組織が如何に厳しい「恐怖政治」を支部長や関係者に強いているか。その証明としか思えないほどです。
松井派極真会館も、松井氏の「独裁」が問題にされますが、松井派の場合は常に館長である松井氏の「顔」が見えるだけ、まだ組織の構造が分かりやすいと言えます。しかし新極真会の場合は「恐怖政治」の実体が皆目見えないところに深刻な問題があると思います。民主主義による「合議制」を謳いながら、その合議制の内容が完全に部外秘扱いというのは呆れ返るほどの矛盾です。
大道塾の例を出すまでもなく、組織または理事会の決定だからといえ、事務局長の小井氏が小島に一切電話もできないという状況に追い込まれているのは、きわめて異常な事です。
それでも11月30日、柳渡氏から小島に以下のようなメールが届きました。
「12月6日に緊急理事会が開かれ私(柳渡)も出席した上で再度話し合うことになった。一度理事会で決まったものを白紙撤回にすることは困難だが、せめて保留、再考という形を取ることで実質的な撤回を図り、互いの関係改善を図ることが新極真会にとってプラスであるということを支部長生命をかけて説得する」
3日前の電話では、個人の立場を崩さなかった柳渡氏がこのメールでは、相当の覚悟を胸に秘めているのを感じ取る事が出来ました。小島は柳渡氏の決意に敬意を評し、全てを柳渡氏に託しました。
こうして12月6日、以上の件を小島に一任された柳渡氏は緊急理事会に出席しました。しかし、柳渡氏の精一杯の説得も虚しく理事会の構成メンバー7人の理事たちは、一切耳を貸そうとせず簡単に柳渡氏の提案は却下されてしまいました。柳渡氏自身が支部長協議会派(現・新極真会)設立時の幹部であり、前記したように理事の中でも三好一男氏、小林功氏は柳渡氏の総本部での修行時代からの「兄弟分」であり、その他、藤原康晴氏、木元正資氏らも柳渡氏の後輩として極めて親しい関係にあった事を考えると、この柳渡氏の面目を潰す一方的な結果が下されたことは不思議でなりません。
そこに第三者の介在があった事は容易に想像が出来ます。私と懇意のある数名の新極真会関係者は「三瓶師範こそが影の権力者」と語り、三瓶氏の介入を示唆しています。実際、三好氏、小林氏、藤原氏、外舘氏、更には柳渡氏も古くからの「三瓶グループ」のメンバーです。三瓶氏の意向のもとでは柳渡氏の提案など容易に否決することが可能でしょうか?
いずれにせよ、柳渡氏の努力も虚しく先の決定事項はそのまま変更しないという結論に終わりました。その後、柳渡氏は小島にメールで次のような文章を送ってきました。
「ダメだった。俺も組織人として従っていく。これが最後だ」


以上のような経緯があったため、小島は12月6日の理事会の結果を見守るため、新極真会へのアクションを保留にしていたのです。勿論、最悪の事態を予測して顧問弁護士を通して法的な手段に出る準備をすでに整えていました。
しかし、このような通告がなされた以上、こちらとしては新極真会側があえてメディアに対して宣戦布告をしたと捉えるしかありません。何故ならば、NPO法人である公共団体が、前述したような極めて曖昧で、確証も伴わない理由のみで取材拒否を通告するというのは社会常識的にあり得る行為でなく、「出版・言論・表現の自由」という憲法でも保障されたメディアの権利の侵害に相当するのは明らかだからです。
今後は、代理人に顧問弁護士を立て徹底的に新極真会への回答を求めていく決意です。
第一に、今回の決定に至った理由として挙げている、「小島の文章の何が推測で書いていて、何が新極真会側の認識する真実であるか」を実例を挙げて明確にしてもらいたいと思います。
第二に、NPO法人という公共団体が、このような非常に曖昧な理由でもって取材拒否をするというのは、憲法の侵害である事。メディアである我々には、憲法で保障された「出版・言論・表現の自由」に基づいて、取材をする権利があります。
仮に百歩譲って、小島が書いた文章に「事実誤認」があり「推測で書いた」という内容が事実であったとしても、何故それを小島側に直接質す事なく、突然の絶縁、取材拒否に至ったのか、その理由と見解を聞かせてほしいと思います。
さらに言えば、通告の出されるつい2日前まで、小島と事務局の間ではすでに和解が成立し良好な関係が保たれていた事も前述しています。つまり、新極真会が公共団体であるならば、理事会においてはどのようなやり取りがなされ、このような決定が下されるに至ったのか?経緯と具体的な見解を示してもらわねばなりません。たとえ事務局の上部機関である理事会の決定だとしても、どのような経緯で事務局の決定を潰し、また覆したのかという理由と、その理事会のやり取りを綴った議事録の公開を求めます。それに答えられないとしたら、まさに新極真会の理事会は「密室における談合」であったと断定せざるをえません。
我々は今後早急に顧問弁護士を代理人を立て、以上の経緯について糺す内容証明を送り、新極真会からの明確な説明と誠意ある返答を求めます。新極真会の対応によっては法廷闘争も辞さない覚悟です。
さらには、新極真会とのこれからのやり取りを、逐一当ブログで報告していくと同時に、小島・塚本が来秋発表予定の共著「大山倍達の遺言」(仮題)の中で、改めてこの経緯と新極真会の全く外部には見えない異様ともいえるこの体制について、徹底的に取材して明らかにしていく所存です。
また、かねてから「噂」が囁かれている三瓶啓二が大山総裁の遺族に対して行った人道的に許せないハレンチ事件のあらましを関係者の証言と資料によって明らかにする決意です。さらに代表・緑健児の隠された実像など、過去に語られた事のない新事実にも迫る所存であります。
いずれにせよ、今回の新極真会の対応は、この組織の意思決定システムの曖昧さ、組織の混乱、派閥闘争などさまざまな問題が全て凝縮されている証拠ではないでしょうか?
改めて言うならば、このような新極真会がいかに異常な組織であるか、これが果たして武道・教育を謳っている団体なのかを、読者の皆さまにはどうか考えていただきたいと思います。
一方で、小島及び夢現舎はあくまでも新極真会との友好関係の構築を目指してきておりました。今回の当方の措置も対抗手段に過ぎず、現在でも新極真会との和解と関係改善が私達の最終的な目的である事を公約する次第です。

小島一志(構成/飯田賢一・夢現舎)

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2006年11月28日

緊急告知! 新極真会理事会の通告を受けて    (最新版)

11月24日付けで新極真会から理事会の決定事項として以下のような通告がなされました。
「ブログで書いた新極真会に対する小島のコラムは憶測によるもので、新極真会側の事実と異なっている。全国の会員の動揺を鑑みて、今後は小島、夢現舎からの取材を拒否し関係を断つ事を決定した」(概略)
新極真会と私の関係は、そもそも1995年の支部長協議会派によるクーデターの時点から完全な断絶関係にありました。ですから今更との感も強いのが実際です。
ただ、10月半ば、私からの三瓶啓二氏への電話に対する筋の通らない逃避と、黒澤道場と新極真会との間の問題に私が関わった事に端を発し、新極真会事務局との間でトラブルが生じたのは事実です。事務局とのやり取りの際、互いに冷静さを欠いた議論に終始し、事務局長・小井泰三氏に対する私の偏見から「新極真会、崩壊の序曲」という小論を掲載しました。
しかしその後、柳渡聖人氏の仲介により改めて小井氏と会談し、私自身の過失を認めて謝罪し、また小井氏も今後、新極真会として私からの取材を受け入れる事を確約し、さらには柳渡氏ともども小島と新極真会の関係改善に向けて積極的に尽力する事も約束してくれました。
少なくとも私は、新極真会事務局との間では関係改善を果たし、以後良好な関係を続けてきました。小井氏や柳渡氏とも幾度となく話し、冗談を言い合う関係にあった事は事実です。数日前も、大山総裁のお墓参りに行きたいという私からの相談に対し、小井氏及び事務局は実に誠意あるアドバイスをしてくれるだけでなく、お墓の地図までFAXで送ってくれました。
その意味で、今回の新極真会理事会の通告は私にとっては意外なものでもあります。今の段階ではまだ柳渡氏、小井氏からの事情説明を聞いてないので何とも言えませんが、少なくとも両者の力が及ばない所で、または両者が関わらない所で論じられたものと推測するしかありません。
私は小井氏との再会談後、直ぐに「新極真会、崩壊の序曲」をブログから削除し、改めて今回の経緯を小島の偏見によるものであると謝罪する文面を入れて「新極真会との確執と和解の経緯」として、事実経過をありのままに掲載しております。同時に柳渡氏、小井氏からは感謝の言葉さえ頂いております。
繰り返しますが、未だ私も事情や経緯を把握しておりません。しかし、少なくとも新極真会理事会の通告文は納得出来るものでは到底なく、何を以て私が「推測」で否定的な事を書いたのか? ならば理事会が主張する「事実」とは何なのか? 新極真会側の対応如何では顧問弁護士を代理人とし、内容証明郵便にて「公開質問状」を送付して明確な答えを求める決意です。また新極真会が公益団体NPO法人である以上、メディアの取材を拒否する権限はなく、またメディアには「言論、表現の自由」が日本国憲法で認められています。新極真会側はこれらの法律に無知なのか、全く無視した行為だと断言できます。
今後、法的代理人を通して「NPO法人法違反」「憲法違反」更には「名誉毀損罪」で法廷闘争を挑む覚悟です。そして、新極真会とのやり取りの全てを当ブログさらには私の著書、私が関係する週刊雑誌の中で明らかにしていきます。繰り返しますが、新極真会が公共機関NPO法人である以上、このような不当かつ無法な言動は決して許されない行為であるのは、常識ある方々ならば一目瞭然のはずです。いずれにしても新極真会側から明確な事情説明がない限り、小島及び夢現舎は法的に新極真会を徹底的に追及していく覚悟です。
私は物書きであり、ジャーナリストを自認している以上、「筋の通らない批判」は避けてきました。私に過失があると理解したからこそ、私は「新極真会、崩壊の序曲」を削除し、謝罪と供に「新極真会との確執と和解の経緯」を新たに掲載したのです。今度は、新極真会理事会の通告に対し、私は「筋の通らない批判」と受けとめています。何ら明確な説明もなしに物書きである私の文章を否定、批判するならば、私は自らの名誉をかけて新極真会と争う事に一切の躊躇いはありません。
既に私は柳渡氏に事情説明を要求し、小井氏からの対応も求めています。今回の決定を行った理事は以下の7名です。
緑健児/小林功/三好一男/藤原康晴/木元正資/外舘慎一/鈴木国博
彼ら理事からか、または代理人として柳渡氏と小井氏からの誠意ある私への対応を要求する次第です。
しかし11月27日現在、柳渡氏、小井氏からは何の連絡もありません。当方から幾度となく連絡しても居留守のままであり、当然、新極真会理事会からの連絡もありません。
唯一、三瓶啓二氏に電話がつながりましたが、三瓶氏の返答は以下の通りです。
「理事会の決定を知らされただけで、俺は何にも知らないし一切関わってない。勝手にしろ」
三瓶氏のスキャンダルの証拠や証言は私の元に保管してあります。いつ公表してもいい段階にある事はここに印しておきます。また、10月16日の三瓶氏への電話以降、三瓶氏が新極真会理事にかなりの圧力をかけていたという情報を私は得ていますし、第一、三瓶氏は理事ではないものの「相談役」の立場にあり、理事である三好氏、小林氏、外舘氏、木元氏、鈴木氏達に対して絶大な影響力を有している事も周知の事実です。
三瓶氏の横柄な電話対応こそが、今回の理事会決定の鍵であると私は「推測」しています。もし私の「推測」が間違いならば、「真実」を公表するのが公益団体NPO法人の義務ではないでしょうか?


余談ながら、このような一貫性を欠いた対応こそが、全国の新極真会会員や支部長、指導員からの不満が私の元に寄せられる原因ではないでしょうか? 事務局とは和解させながら、別の理事会では事務局と全く別な対応をする。影の実力者である三瓶啓二氏(これも私の憶測と彼らは主張するのでしょうか?)は決して表に出ず私から逃げまくる。三瓶氏には明らかにされたら社会生命を失いほどの痛恨の過失があるにもかかわらず、この期に及んでも責任回避どころか無関係を主張する。いずれにせよ、新極真会の意志決定がどこでなされるのかも相変わらず不明のまま、各部署による対応の矛盾。何ら私への事情説明を求める事なく一方的な批判と断交宣言。全てが密室の中で決められるのか新極真会の実態なのです。少なくとも「武道団体」を名乗り「教育」を掲げる団体、それも公益団体NPO法人の姿勢ではないと私は断言しておきます。私への通告文だけで事が納まるという甘い考えもきわめて愚かであり大いに反省して頂きたいと思います。
そして、このような一貫性のない、意志決定機関の曖昧さが、松井派極真会館や極真館との大きな違いであり、「そもそもはクーデターによって生まれた烏合の衆による非合法的組織」というレッテルが貼られ、西田幸夫氏、大石大悟氏や長谷川一幸氏、七戸康博氏、増田章氏など、常識ある人達が離れていくのです。

samurai_mugen at 05:48|Permalinkclip!

2006年10月26日

11/23 極真館全日本選手権大会で、顔面殴打可「真剣勝負ルール」を大公開!

11月23日、埼玉スーパーアリーナで開催される極真館主催の全日本選手権で、顔面殴打可の新ルール(真剣勝負ルール)による組手試合がデモンストレーションとして公開される。
極真館の無差別トーナメントのルールが従来の「極真ルール」と細かい部分で異なっている点も注目される。基本的には顔面殴打禁止であるが、「顔面への牽制」を認め、「顔面防御を無視した接近戦」を徹底的に排除する点が極真館ルールの特徴だ。
先日の新極真会の全日本選手権では1980年前後、大山総裁が「相撲空手」として嫌った組手が主流だった事はすでに「講評」の中で述べている。要は、三瓶啓二が得意とした「接近し、頭をつけ合った状態からの下突きの連打と下段を蹴り合う」我慢比べのような組手である。そんな時代遅れの組手がいまだ新極真会の大会では繰り広げられている。しかし、極真館ルールでは、このような「実戦性」を無視した組手を「ルールとして規制する事」で完全に排除している。例えば、顔面防御を無視して相手に接近したり、攻撃を出さずに接近戦に持ち込もうとしただけで反則を取られる。一方で手による顔面への牽制も認められている。相手が顔面防御をせず、やみくもに接近攻撃を挑んできた場合、牽制として出した突き(掌底)が相手の顔面を捕えても反則は取られない。
そもそも極真会館の組手試合は、第1回から顔面殴打を禁止してはいたが、顔面への牽制または牽制の結果の殴打は認められていた。
「普段の道場組手では当たり前に行われている顔面殴打を、試合ではあえて省いた形で戦う。だから間合いも技も、顔面殴打を想定して戦うのが本来の極真空手の試合である」
これは生前の大山総裁の言葉である。しかし、「技術は競技ルールに則って進化する」という法則により、この30年の間に極真空手の組手は大きく変貌してきた。その1つの形が三瓶に代表される新極真会の「相撲空手」であり、現在、松井派極真会館で主流となっているフットワークを駆使した組手である。松井派極真会館の組手は「競技として最も進化した形態」と言ってもいいが、それは大山総裁が理想とした組手と大きくかけ離れたものである事は言うまでもない。
そこで極真館は「試合ルールの変更」という画期的な措置により、「極真空手の原点回帰」を図ったと言える。この試みは今年春のウェイト制大会から始まったが、簡単に言えば1969年の第1回大会から盧山初雄が優勝した第5回大会頃までの試合様相に近い。ただ当時の組手は攻防がやや単発だった。極真館の試合は、初期の極真会館の試合に多彩なコンビネーションをプラスした組手をイメージすれば分かりやすいだろう。
極真館館長の盧山初雄は、「本来の極真空手が備えていた武道としての空手、かつ華麗な組手を目指す」と語っている。
以下、極真館の試合ルール規定の要点を抜粋する。武道性を重んじるという意味と接近戦での攻防の反則について、松井派極真会館や新極真会の試合規則にはない規定が盛り込まれている。

[組手と勝敗]
1/組手は武道性を重んじる事。安全性を考慮し、試合規則で禁じている危険部位への攻撃に対しても防御できる間合いを考える事。
2/空手道の試合は礼節を重んじる。ガッツポーズなど試合場で相手に対して礼節を欠く行為を禁止する。
[反則]
・両足を揃えて下突きの連打を続けた場合。
・技を出さないで接近し、手や体を接触させて技を出さない場合。あるいは接触させたまま攻防した場合。
・技を出して接近し、その後手や体を接触させて技を出さない場合。あるいは接触させたまま攻防した場合。このような場合は近づいた方を「反則」とする。接近した方が間合いをあける事。尚、瞬間的な接触については「反則」としない。
・前に出る時は、必ず技を出す事。技を出さずに前進しても攻撃とは判断せず、間合い及び顔面の防御を無視したとみなし、広義の意味で「押し」の「反則」とする。

前記したように、今大会では来秋から極真館主催の全日本ウェイト制選手権で正式に採用される新ルール(真剣勝負ルール)による特別試合がデモンストレーション公開される。
真剣勝負ルールは、特別製のサポーターを拳と肘に着用した上で、顔面殴打、顔面肘打ち、更には3秒以内での掴み・投げ・締め技・関節技を認めるノックダウン方式で行われる。
「極真空手の原点である大山道場時代の組手の再現」を目指したという新ルールは、まさしく盧山初雄が語る「原点回帰」そのものの組手と言える。数年間の試行錯誤はありえるとしても、この「真剣勝負ルール」が極真空手の新たなる革命となる可能性は限りなく高い。

大会概要
第4回全日本空手道選手権大会
2006年11月23日(木・祝)
開場/12:00(開会式13:00)
会場/埼玉スーパーアリーナ
主催/極真空手道連盟 極真館
共催/財団法人極真奨学会

samurai_mugen at 18:56|Permalinkclip!

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