2007年10月10日

改訂版/男40歳、自分自身へのケジメの為の空手再入門〜一撃会・Dr.SHIVA

男40歳、自分自身へのケジメのための芦原会館入門



私の人生の節目には常に格闘技がありました。
大学医学部入学を目指して栃木で仮面浪人をしている時に、極真空手と出会い、精神的な踏ん張りを学ぶことで念願の医学部に入ることができました。
また大学で留年してしまった時には、シュートボクシングに打ち込むことで、不安定な時期をなんとか乗り越えられたような気がします。
更に、2年前の離婚騒動の時にはかなりの鬱状態になってしまいました。何にもやる気になれず、覇気や勇気さえ忘れてしまった毎日のなか。しかし、その時も思い切って地元の直接打撃制の空手道場に通うことで、明日の見えない鬱状態を克服することが出来ました。
このように、私の人生の危機は格闘技と関わり汗をかくことでなんとかやり過ごしてこられた気がするのです。しかし、そう書くと、私をいっぱしの格闘家のごとく錯覚する人も多いかもしれません。ところが現実の私は格闘家とはほど遠いチャランポランな人間でしかありません。
極真空手もシュートボクシングも、某直接打撃制の空手も、みな中途半端で、黒帯を手にすることもプロライセンスを取ることもなく、最終的には挫折してしまいました。40歳を越えた今でも、ひとつの格闘技に打ち込みきれなかった自分自身の弱さやいい加減さに自己嫌悪に陥る時も少なくありません。私は格闘技に対する大きな挫折感を抱えて過ごしてきたのです。


離婚を契機に職場近くにマンションを借り、私の1人暮らしが始まりました。仕事と生活に追われ、更に孤独な毎日を過ごしているうちに、徐々に格闘技への「こだわり」も変化していくことになります。
それはまさに「逃避」そのものの自分の生き方を象徴するものでした。昔の私にとって、「格闘技は自分が痛い思いをしながらも実際にやるもの」でした。しかしこの頃から自分のなかで、格闘技という存在が「やるもの」から「見るもの」へと変わってきてしまった気がします。
それでも、小島一志先生のファンだった私は、自分を偽り、自らが実践者である事をアピールしてコミュニケーションBOXの会員にしてもらい、「一撃会」のメンバーにも加えてもらったのです。
しかし、化けの皮はいつしか剥がれるものです。私の本性は、コミュニケーションBOXや一撃会の居心地よさに馴染むに従い、無意識のうちに露わになっていきした。
そしてとうとう、私はある事件を起こしてしまいました。
ある日の「一撃会」の会合のなかでの事です。私は浮いた気持ちで近所の派手さを売り物にする総合格闘技のジムに体験入門し、その時の様子を吹聴したり、総合格闘技について知ったような評価を軽薄にも得意になって論じていました。
さらには、芦原会館某支部の悪口ともとれる噂を不謹慎にも口にしてしまいました。
そこには、以前の私が嫌っていた「格闘技オタク」のように成り下がった自分がいました。実際に道場に入門し体験したわけではないのに、根も葉もない噂を口にする、まさに2ちゃんねるなどを居場所にする格闘技ヲタクのような私の発言は、過去に格闘技に携わった者として許されるはずがありません。また小島先生を中心に固い結束力を誇る「一撃会」メンバーにとっては絶対にタブーな言動でした。
その自覚のない自身の無責任さこそが、「格闘技は見て楽しむもの」と思っている内面の表れそのものだったのでしょう。
そんな私の軽率さを小島先生が見過ごすハズはありません。
私は小島先生にこれでもかというほど厳しく叱咤されました。格闘技の実績もなく、黒帯を締めることもなく、ただほんの数年間、幾つかの格闘技を経験しただけの中途半端な人間が、一度体験入門しただけで「総合格闘技の打撃がどうだ、グラウンドはうんぬん」と評論し、何の確証もないのに芦原空手を批判する。
小島先生が最も嫌う事であります。
小島先生の理屈が正しいのは言うまでもありませんが、それ以上に小島先生からの制裁の恐怖にパニックになった事も本当です。
逃げたい!と思いました。
この1年間、私は独立開業を計画し、日々経営の準備に翻弄されてきました。通常の勤務を怠る事はできない。その上で銀行からの融資など経済的な問題や開業場所の選択など、常に頭のなかはいっぱいな状態が続いていました。
なんとしても開業したい!
そんななか、自ら起こしたトラブルであるにもかかわらず、「もういいよ。自分には仕事があるん。格闘技なんてどうでもいいじゃないか」と自分に言い訳し、逃げる口実にしようと思いました。
しかし、そんな私の姑息な言い訳も小島先生はお見通しです。
逃げられない。
筋を通さないかぎり、「一撃会」からは逃げられない。小島先生は、「実際に芦原会館に入門して初心に戻って汗を流すことが筋を通すことだ」と言いました。尊敬する一撃会の先輩たちからも小島先生と同様のアドバイスを頂きました。
私は悩みました。実際に開業準備が行き詰まり、夜も眠れないことも続いていたからです。
もう、いまさら格闘技なんてできない。そんな精神的な余裕も肉体的なゆとりもない。
でも、逃げられない。
考えてみれば、コミュニケーションBOXのみなさんも仕事に打ち込み、一生懸命に働きながら格闘技に夢をかけている人ばかりです。ある会員の人は某流派で黒帯、指導者であったにもかかわらず、小島先生の理路整然とした格闘技理論と、例の怖い説教の洗礼を浴び、結局それまで十年も親しんでいた流派を離れてゼロから極真空手に入門しました。仕事も多忙で40歳を超えながら、「人生は一度しかない。悔いを残したくない」と決断したのです。
ならば、私の言い訳など、子供の言い訳にもならないと思いました。逃げられないとか、小島先生が怖いとかいうネガティブな理由でなく、「末席であっても、私も一撃会のメンバーなのだ」という誇りとともに、ともに戦い続けている仲間と大切な「何」かを共有したいと思うようになったのです。
40歳を越えて、自分の身体がどこまで動くか大きな不安がありました。ましてや、あの『ケンカ十段』で有名な芦原英幸先代館長が創設した流派です。入門すると決めるまでかなりの勇気が必要でした。しかし今しかない、まだ体が動く今しかないと私は入門を決心しました。


筋を通すため、また自分へのケジメをつけるために入門した芦原会館ではあります。しかし、私は入門当日から芦原空手の虜になりました。
稽古初日は緊張でがちがちでした。本当に久しぶりの稽古でした。2時間の稽古が終わる頃、道着は汗でぐっしょりです。しかし稽古が終わった瞬間には何とも言えない安堵感と充実感が沸いてきました。
練習後にみんなで床をほうきで掃いて雑巾がけをする、そんなことすら神聖な儀式のような気がしました。自分が本当に無心になれた瞬間でした。
自分の原体験にもどったような気がしました。
今でも基本稽古の前蹴上げすら思うように上がりません。20代の頃は楽にできたことが思うようにできない自分の身体が歯がゆいです。しかしそれでもいいと思っています。
無心に突き、蹴る瞬間が今の自分には必要なのです。それが今まで驕り錆びついていた私の心を本来の自分に戻してくれるような気がするからです。
本当に素晴らしい道場です。芦原会館には、普通の空手道場にありがちなギスギスとした感じはなく、お互いを伸ばしあうような雰囲気があります。中年が始める直接打撃制空手の道場としては、芦原会館こそが理想的ではないでしょうか。


何も知らずに芦原会館の悪口を叩いた自分が今更ながら恥ずかしく思います。
年齢とともに歪んだ自分にカツをいれてくれた小島先生はじめ、コミュニケーションBOXの仲間や一撃会の先輩方に、謝罪とともに心から感謝いたします。
黒帯を取ろうなどと大それたことは思いません。どこまで出来るか正直わかりません。稽古が終わり道場を出て先輩方とJRの駅まで歩きます。
全身を被う風がこんなにも気持ちがいいことに久しぶりに気づきました。


記/一撃会 Dr.SHIVA


※小島
人間は誰しも弱いものです。自身が背負っている挫折感やコンプレックスを無意識のうちに隠そうと小さなウソや大言壮語を口にしてしまう。それは人間のサガというものであり、それを以てその人間の人格を否定する権利は誰にもありません。
実際、私自身も過去、現実から逃げ出し、その後ろめたさを隠したいが故に、許されない暴言や強がりを公言した事も数知れません。しかし、いくら自分を飾っても「弱い自分」を隠す事など不可能なのです。
だから私ははっきりと断言する事にしました。
「私は早稲田大学極真空手同好会を逃げ出した弱虫である」
「極真空手の経験者とは言いながら、盧山道場でも空手を全うすることなく、何の実績も残せなかった末席のまた末席を汚すだけの存在に過ぎなかった」
しかし私は思うのです。自分の弱さや挫折感に背を背けず、それを糧にしてきたからこそ、現在の私があるのだと。
一個人として言うならば、私など極真空手の入り口をウロウロしていた半端者に過ぎず、空手や格闘技を語る資格などないと思っています。
一方で、私は生涯の恩人である芦原英幸の言葉を一時でさえ忘れた事はありません。
「空手のチャンピオンだ、空手の先生と言われて偉ぶっていても、そんな人間は人生という道に於いてはヒヨッコに過ぎないんよ。たかが空手家、それだけで世間の誰が認めてくれるほど甘くはないけん。むしろ毎日命を賭けて海に出てる漁師さんや、毎日毎日、ラーメンを作り続ける中華屋の親父さんの方がずっと人生と戦ってるんよ。空手は人生のちっちゃなバネに過ぎんけえ。空手の黒帯や、師範やって自惚れて、やれ教育論だ精神論やと偉そうに口にするヤツがワシは大嫌いじゃけん。もっと人生と戦っている人たちは山ほどおるけん。だからワシは生涯、空手職人でええ。小島もそこんとこ忘れたら足元すくわれるけん」
異口同音の話は何度も聞かされました。空手で戦う事より人生のなかで戦う事の苦しさ…。私はこの20年間、嫌というほど思い知らされてきました。
だからこそ、Dr.SHIVAの行動は素晴らしいと、私は畏敬の念さえ抱いています。もっともDr.SHIVAが書いたように、コミュニケーションBOXには、そんな勇気のある、仕事に精一杯の汗を流し、家庭に悩みながら戦っている人たちがたくさんいます。私は彼らから毎日のように多くの事を学んでいるのです。ある意味で、彼らはみな私にとって「人生の師」でもあるのです。
Dr.SHIVA、どうか胸を張ってコミュニケーションBOX、そして一撃会に戻ってきて下さい。そして、BOXのみんなも、どうか温かくDr.SHIVAを迎えてくれる事を望みます。

samurai_mugen at 06:26 │clip!投稿 

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