番外編
2007年08月13日
番外編/小島秘書･飯田賢一のｸﾗｸﾗ日誌(5)
飯田賢一のｸﾗｸﾗ日誌(5)
｢もし､あなたは街で小島一志(もしくは自分の友人など)が複数の人間を相手に喧嘩をしていたらどうする?｣
�〕�屈抜きで助太刀する｡
��)関係ない顔をして遠くから見物するか､その場から逃げる｡
��小島の勝機が微かに見えてから助太刀する｡
�な屬蠧い舛魍亳腓靴特膾曚貌�る｡
以上は最近､とある場所で開かれた｢一撃倶楽部｣の会合内で､小島から仲間のみんなに投げかけられた質問である｡小島がこの質問をした本当の理由は私にはわからない｡しかしこれは決して小島への忠誠心を測るための｢踏み絵｣でなかったことは明らかだ｡ただ単に､個々の｢覚悟｣を知りたかった､確かめたかったというのが正解ではないだろうか｡
ちなみに､｢一撃倶楽部｣の活動･構成員などについては､ｺﾐｭﾆｹｰｼｮﾝBOXを通じて生まれた地下組織という以外は語る事ができない｡とにかく鉄の掟を持った秘密結社であり､決して他言は許されないのだ｡
小島の経験上､喧嘩の場面に遭遇した場合､友人たちの取る行動ﾊﾟﾀｰﾝは前述したような��-�い陵�由に絞られるという｡小島いわく｡過去､実際に迷わず�，旅堝阿鮗茲辰燭里�ﾗｲﾀｰの家高康彦氏と大道塾時代の親友･阿部靖氏だけだったという｡他の人間は､友人や同僚も含め�△�大多数を占めていたと…｡
また､実際にその場面に遭遇したわけではないが､仮に松井章圭館長や盧山初雄館長だったならば､100％迷わず�，鯀�ぶだろうと小島は断言する｡そして､三瓶啓二氏は必ず�△世箸發い�｡さらに､こちらも実際にありえないが､夢現舎副代表の塚本佳子は特､特､特､特､特�，世�､これまた小島は太鼓判を押す!
さて､小島を囲む一撃倶楽部の会員たちはどのように回答したか？ やはりほとんどの人間が迷わず�，鯀�んだ｡さすが､極真空手や芦原空手､さらには日本拳法､柔道､柔術の黒帯･猛者ばかりだ｡
小島も彼らには全幅の信頼を寄せている｡もちろん彼らも､小島を慕って集った人間たちばかりだから､心の中では��と思った人間も､覚悟を決めて�，帆�んだに違いない｡ただ､少なくても�△鯀�ぶような人間はいなかった｡
それは彼らが､若いときは｢喧嘩屋｣ぞろいで､何度も修羅場をくぐってきたという事だけではないだろう｡彼らはみな個々に仕事や家庭で様々な悩みを抱えながら､さらに今でも空手や武道の道を､実際に汗を流して追求している男たちだ｡そして｢筋｣を通す事の大切さを理解し､大義名分のためには命を賭けて戦ってきた人間たちの集まりなのだ｡
だが､とある人間が笑い受けを狙ったのか､次のような発言をした｡
｢5番目の選択肢として､警察を呼ぶというのはどうでしょうかね…｣
この軽薄な言葉に小島はひどく憤慨した｡他の会員からは呆れ顔や軽侮の表情が浮かんだ｡
｢ｱﾎか? そんな事は見物人のする事やんけ｡そういうのを綺麗事っちゅうんや!｣
偽善者を一番嫌う小島だ｡小島は断言する｡｢もし�△鯀�ぶような人間は､人として信じる事はできんけえ､表面的な付き合いしかしない｡ただ､その場でそないな事しとったら半殺しにするけん｣｡
守るべき人のためには｢殺されてもかまわない｡命は惜しまない｣という覚悟を持っている小島だからこそ､この軽率な発言が許せなかったのだろう｡
｢力なき正義は無能なり｣
この言葉にあるように､｢力｣が伴わなければ､いくら｢正義｣を唱えても､何の役にも立たない｡理想論ばかりで､実際に何も行動に起こさないのと同じだ｡私はよく小島や塚本に注意される言葉がある｡
｢言い訳をするな! 10頼んだ仕事のうち10がすべて､できていなかったならば､それはできていないという事だ｡それを自分は1だけ､5だけは終わったと主張するのは許さない!｣
まさにその通りである｡
仕事に限らず､何事もこの世界は結果を求められる｡過程がいくら頑張ったものでも､結果に現れなければまったく意味がない｡結果を残していない人間が､理想論だけぶち上げて薀蓄をたれるほど恥ずかしく説得力がないものはない｡まずは結果を残す事だ｡仕事であるならば組織に利益を残す事が最優先に求められるのではないだろうか｡
空手･格闘技の世界も同様だろう｡
近頃､若いときには選手として活躍していたものの､支部長や指導員になってからは空手着に袖を通す事もなく､口だけでろくに稽古もしない人間がなんと多い事か! 空手をせずに組織の権力闘争に東奔西走する三瓶啓二のような人間を見ると虫酸が走る｡
実際に空手着を着て生徒たちの前で空手を実践し､指導する事もない人間が､いったい誰に自らを｢空手家｣として誇る事ができるのか! いや､生徒に見えないところで汗をかけない人間の言葉に､武道家としての重みも何もあるはずもない｡
その点､いかなる時でも日々の鍛錬を欠かさない盧山館長だからこそ､多くの人間がその精神性･人間性に共感できる｡そしてその言葉に耳を傾け､みなが納得する事ができるのではないだろうか｡
｢男ならば背中で証明せよ｣
と私は思う｡
2006年7月31日―｡
小島と塚本による共著｢大山倍達正伝｣が新潮社から出版された｡早いものであれから1年以上の月日が経過した｡私はこの間､｢代表秘書｣として､ときには小 島･塚本の取材の調整のために動き回り､また雑誌や書籍で紹介された書評を集めるなど諸々の雑務作業をこなしてきた｡
現在も､｢大山倍達の遺言｣の資料集めに奔走するなど､何かと忙しい日々は続いている｡
だが､来月から私は｢代表秘書｣の役割を解かれ､｢代表秘書補｣という肩書きになる｡これは小島･塚本が私に対して､夢現舎の根幹たる編集者として成長してもらいたいという配慮からの人事異動である｡
たしかに､私の代わりに小島と塚本の秘書として最適の資質を持った人物が9月から入社してくるという事実もある｡
しかし､私はこれまで､｢代表秘書｣として小島と塚本に関する雑務や外部とのやりとりを中心に行なってきた｡だから､本来編集者として必要不可欠な実務ｽｷﾙを身につける時間が､または体制がなかった｡
結果的に､私には編集者としてのﾁｰﾑﾜｰｸに則った作業の経験が薄い｡その悪影響が出てきた｡柔軟性のある思考の欠如など…｡多くのﾏｲﾅｽ面が露わになってきた｡これらはすべて自分自身の問題である｡
だから､編集者としてﾍﾟｰﾍﾟｰの私がすべき事はただひとつである｡編集実務作業というものを1から学び､一刻も早く夢現舎のために利益を生み出す事ができるよう､一人前にならなければならない｡
私はこれまで､｢代表秘書｣として､編集作業では味わえないような事も数多く体験してきた｡これらは私の人生においてかけがえのないものである｡そうは言っても､立ち止まっていては私には未来はない｡
これからいかに成長できるか否か､すべて私の努力次第にかかっているのだ｡やるしかない!
最後に､冒頭の質問に対して私はどのように答えたか？
それはもちろん�，任△�｡私は決して喧嘩が好きなわけでも､ましてや強いわけでもない｡ただ4年間､真面目にｷｯｸﾎﾞｸｼﾝｸﾞを学んできた自負はある｡
小島や､彼を囲む仲間たちの話を聞き､実際に背中で行動する姿を見てきたならば､動機や理由はともかく�，鯀�びたい｡後先考えずに�，鯀�べる人間にならなければいけない｡
私は､小島や塚本を囲む猛者たちのように､｢強い男､覚悟の持てる人間｣になりたいと心から思う｡
(了)
夢現舎･代表秘書/飯田賢一
｢もし､あなたは街で小島一志(もしくは自分の友人など)が複数の人間を相手に喧嘩をしていたらどうする?｣
�〕�屈抜きで助太刀する｡
��)関係ない顔をして遠くから見物するか､その場から逃げる｡
��小島の勝機が微かに見えてから助太刀する｡
�な屬蠧い舛魍亳腓靴特膾曚貌�る｡
以上は最近､とある場所で開かれた｢一撃倶楽部｣の会合内で､小島から仲間のみんなに投げかけられた質問である｡小島がこの質問をした本当の理由は私にはわからない｡しかしこれは決して小島への忠誠心を測るための｢踏み絵｣でなかったことは明らかだ｡ただ単に､個々の｢覚悟｣を知りたかった､確かめたかったというのが正解ではないだろうか｡
ちなみに､｢一撃倶楽部｣の活動･構成員などについては､ｺﾐｭﾆｹｰｼｮﾝBOXを通じて生まれた地下組織という以外は語る事ができない｡とにかく鉄の掟を持った秘密結社であり､決して他言は許されないのだ｡
小島の経験上､喧嘩の場面に遭遇した場合､友人たちの取る行動ﾊﾟﾀｰﾝは前述したような��-�い陵�由に絞られるという｡小島いわく｡過去､実際に迷わず�，旅堝阿鮗茲辰燭里�ﾗｲﾀｰの家高康彦氏と大道塾時代の親友･阿部靖氏だけだったという｡他の人間は､友人や同僚も含め�△�大多数を占めていたと…｡
また､実際にその場面に遭遇したわけではないが､仮に松井章圭館長や盧山初雄館長だったならば､100％迷わず�，鯀�ぶだろうと小島は断言する｡そして､三瓶啓二氏は必ず�△世箸發い�｡さらに､こちらも実際にありえないが､夢現舎副代表の塚本佳子は特､特､特､特､特�，世�､これまた小島は太鼓判を押す!
さて､小島を囲む一撃倶楽部の会員たちはどのように回答したか？ やはりほとんどの人間が迷わず�，鯀�んだ｡さすが､極真空手や芦原空手､さらには日本拳法､柔道､柔術の黒帯･猛者ばかりだ｡
小島も彼らには全幅の信頼を寄せている｡もちろん彼らも､小島を慕って集った人間たちばかりだから､心の中では��と思った人間も､覚悟を決めて�，帆�んだに違いない｡ただ､少なくても�△鯀�ぶような人間はいなかった｡
それは彼らが､若いときは｢喧嘩屋｣ぞろいで､何度も修羅場をくぐってきたという事だけではないだろう｡彼らはみな個々に仕事や家庭で様々な悩みを抱えながら､さらに今でも空手や武道の道を､実際に汗を流して追求している男たちだ｡そして｢筋｣を通す事の大切さを理解し､大義名分のためには命を賭けて戦ってきた人間たちの集まりなのだ｡
だが､とある人間が笑い受けを狙ったのか､次のような発言をした｡
｢5番目の選択肢として､警察を呼ぶというのはどうでしょうかね…｣
この軽薄な言葉に小島はひどく憤慨した｡他の会員からは呆れ顔や軽侮の表情が浮かんだ｡
｢ｱﾎか? そんな事は見物人のする事やんけ｡そういうのを綺麗事っちゅうんや!｣
偽善者を一番嫌う小島だ｡小島は断言する｡｢もし�△鯀�ぶような人間は､人として信じる事はできんけえ､表面的な付き合いしかしない｡ただ､その場でそないな事しとったら半殺しにするけん｣｡
守るべき人のためには｢殺されてもかまわない｡命は惜しまない｣という覚悟を持っている小島だからこそ､この軽率な発言が許せなかったのだろう｡
｢力なき正義は無能なり｣
この言葉にあるように､｢力｣が伴わなければ､いくら｢正義｣を唱えても､何の役にも立たない｡理想論ばかりで､実際に何も行動に起こさないのと同じだ｡私はよく小島や塚本に注意される言葉がある｡
｢言い訳をするな! 10頼んだ仕事のうち10がすべて､できていなかったならば､それはできていないという事だ｡それを自分は1だけ､5だけは終わったと主張するのは許さない!｣
まさにその通りである｡
仕事に限らず､何事もこの世界は結果を求められる｡過程がいくら頑張ったものでも､結果に現れなければまったく意味がない｡結果を残していない人間が､理想論だけぶち上げて薀蓄をたれるほど恥ずかしく説得力がないものはない｡まずは結果を残す事だ｡仕事であるならば組織に利益を残す事が最優先に求められるのではないだろうか｡
空手･格闘技の世界も同様だろう｡
近頃､若いときには選手として活躍していたものの､支部長や指導員になってからは空手着に袖を通す事もなく､口だけでろくに稽古もしない人間がなんと多い事か! 空手をせずに組織の権力闘争に東奔西走する三瓶啓二のような人間を見ると虫酸が走る｡
実際に空手着を着て生徒たちの前で空手を実践し､指導する事もない人間が､いったい誰に自らを｢空手家｣として誇る事ができるのか! いや､生徒に見えないところで汗をかけない人間の言葉に､武道家としての重みも何もあるはずもない｡
その点､いかなる時でも日々の鍛錬を欠かさない盧山館長だからこそ､多くの人間がその精神性･人間性に共感できる｡そしてその言葉に耳を傾け､みなが納得する事ができるのではないだろうか｡
｢男ならば背中で証明せよ｣
と私は思う｡
2006年7月31日―｡
小島と塚本による共著｢大山倍達正伝｣が新潮社から出版された｡早いものであれから1年以上の月日が経過した｡私はこの間､｢代表秘書｣として､ときには小 島･塚本の取材の調整のために動き回り､また雑誌や書籍で紹介された書評を集めるなど諸々の雑務作業をこなしてきた｡
現在も､｢大山倍達の遺言｣の資料集めに奔走するなど､何かと忙しい日々は続いている｡
だが､来月から私は｢代表秘書｣の役割を解かれ､｢代表秘書補｣という肩書きになる｡これは小島･塚本が私に対して､夢現舎の根幹たる編集者として成長してもらいたいという配慮からの人事異動である｡
たしかに､私の代わりに小島と塚本の秘書として最適の資質を持った人物が9月から入社してくるという事実もある｡
しかし､私はこれまで､｢代表秘書｣として小島と塚本に関する雑務や外部とのやりとりを中心に行なってきた｡だから､本来編集者として必要不可欠な実務ｽｷﾙを身につける時間が､または体制がなかった｡
結果的に､私には編集者としてのﾁｰﾑﾜｰｸに則った作業の経験が薄い｡その悪影響が出てきた｡柔軟性のある思考の欠如など…｡多くのﾏｲﾅｽ面が露わになってきた｡これらはすべて自分自身の問題である｡
だから､編集者としてﾍﾟｰﾍﾟｰの私がすべき事はただひとつである｡編集実務作業というものを1から学び､一刻も早く夢現舎のために利益を生み出す事ができるよう､一人前にならなければならない｡
私はこれまで､｢代表秘書｣として､編集作業では味わえないような事も数多く体験してきた｡これらは私の人生においてかけがえのないものである｡そうは言っても､立ち止まっていては私には未来はない｡
これからいかに成長できるか否か､すべて私の努力次第にかかっているのだ｡やるしかない!
最後に､冒頭の質問に対して私はどのように答えたか？
それはもちろん�，任△�｡私は決して喧嘩が好きなわけでも､ましてや強いわけでもない｡ただ4年間､真面目にｷｯｸﾎﾞｸｼﾝｸﾞを学んできた自負はある｡
小島や､彼を囲む仲間たちの話を聞き､実際に背中で行動する姿を見てきたならば､動機や理由はともかく�，鯀�びたい｡後先考えずに�，鯀�べる人間にならなければいけない｡
私は､小島や塚本を囲む猛者たちのように､｢強い男､覚悟の持てる人間｣になりたいと心から思う｡
(了)
夢現舎･代表秘書/飯田賢一
2007年08月06日
番外編/連載･小島一志との日常(最終回)｢韓国取材同行録��｣〜松田努
韓国取材同行録(6･最終話)
2005年3月10日夕刻…｡
映画｢風のﾌｧｲﾀｰ｣の原作者である房学基(ﾊﾟﾝﾊｯｷﾞ)氏への取材を終えたことで､予定していた私たちの韓国での全日程が終了した｡たった1週間弱ではあったが､これほど多忙で緊張感に包まれ､しかし充実していた日々はなかった｡
房氏宅をあとにした私たち(小島､塚本､大志君､ｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの朴さん､私)5人は､｢じゃあ､飯食って帰ろうぜ!｣と言う小島の言葉で韓国ｽｲﾄﾝの店に向かった｡朴さんが｢韓国に帰ると必ずいく店なんですよ｣と自慢するだけあって初めて口にした韓国ｽｲﾄﾝは珍味というか不思議な美味しさだった｡ﾁﾁﾞﾐと呼ばれる韓国お好み焼きも美味しかった｡
そして何よりも､小島と塚本の顔には､異国の地での取材を無事に終えた安堵感と充実感が漂っていた｡
食事を終えた私たちは朴さんと日本での再会を約束して別れを告げた｡たった数日間にもかかわらず､朴さんはまるで夢現舎のｽﾀｯﾌのような身近な存在になっていた｡小島も塚本も大志君も､朴さんとの別れを惜しんだ｡私の心に甘酸っぱいものが流れた｡
ﾎﾃﾙに戻った私たちは､寄り道することなく､塚本と別れてそれぞれの部屋に入った｡別れ際､小島は塚本の背中から､｢おまえ､今日はゆっくり休めよ｣念を押すように言った｡
｢はい｣
小島の言葉に答える塚本の声が一瞬､いつもの塚本ではない普通の女性のものに戻っていた｡
前日の9日｡
私たちは塚本の友人であるKさんと韓国ｿｳﾙの中心街にあるﾛｯﾃﾃﾞﾊﾟｰﾄで待ち合わせをした｡Kさんはｿｳﾙ在住で､塚本とはｲｷﾞﾘｽで知り合った親友だという｡日本にも留学で長期滞在した経験がある｡夢現舎にも1度来社していただいた｡
今回の｢大山倍達正伝｣については､Kさんが韓国国内で売られているすべての大山倍達に関する本を収集してくれた｡日本語も上手で､品のいい美人である｡
この日は一応､ｵﾌとなってはいたが､Kさんとの打ち合わせは重要な仕事だ｡私は相変わらず緊張していた｡だが､ﾛｯﾃﾃﾞﾊﾟｰﾄでKさんと会った塚本は急激にﾊﾟﾜｰｱｯﾌﾟした｡何ｶ月振りに再会した2人は余程嬉しいと見えて､もう私たちのことなど､気にも止めず､ﾍﾟﾁｬｸﾁｬ話ながらｿｳﾙの街中を歩き始めた｡
2人の会話は日本語と韓国語が入り混じっていた｡Kさんが日本語でしゃべると塚本が韓国語で応じるという､実に不思議な光景だった｡だが､そんな2人の会話に感心している余裕はなかった｡
とにかく2人の歩く速度がとんでもなく早い｡大通りの交差点も信号を待つことなく地下道に降りてはまた上がる｡小島は大志君に命じて塚本の護衛をさせていたが､大志君は塚本たちのｽﾋﾟｰﾄﾞについていくのだけで精一杯という表情で､何度も私たちを振り返っては苦笑いを浮かべた｡
かなり歩いた｡とにかく､かなり歩いた｡かなり歩いて､ついに古めかしい茶屋に塚本たちは入った｡古い民家のような情緒に溢れる茶屋で韓国茶を飲んだ｡このときも塚本とKさんは完全に2人だけの世界に浸り､韓国語と日本語の入り混じった会話を弾ませていた｡
それからも歩いた｡ひたすら歩いた｡私たちは塚本がどこに向かっているのかさえ全く分からない｡
｢おい､松田｡ｱｲﾂら…､もういいよ｡塚本佳子は大志に任せて､俺らはゆっくりいこうぜ｣
塚本佳子の｢よ｣の部分をやたらと強調して､小島はｳﾝｻﾞﾘ顔で言うと､急に歩調を落とした｡私は気が気でなかった｡いつ｢何ﾁﾝﾀﾗしてんだよ!｣という塚本の罵声が飛んでくるか分からない｡しかし､私も焦る気持ちと裏腹に疲労困憊してきた｡大志君には申し訳ないが､ここは小島に従って､ゆっくりいくことに決めた｡塚本たちの姿が見る見る小さくなっていった｡
東大門という区画は東京の｢ｱﾒ横｣が広くなったような､小さな路地が入り組み､そこにありとあらゆる品物を扱う店がひしめき合っていた｡あっという間に私と小島は雑踏のなか､塚本一行を見失った｡
再び焦る私に､小島は｢いいから松田､ここら辺で一休みしてようぜ｡いまｱｲﾂらが俺たちを探しに戻ってくるから｣と言った｡私はあきらめて小島の隣に腰を降ろした｡すると小島の言葉通り､本当に塚本たちがやってきた｡塚本は小島に向かって少しﾃﾚたような表情で｢いた､いた｣と言った｡
大志君と目が合った｡
大志君は､｢参りましたよ〜｡何なんですかねえ､あの2人のﾊﾟﾜｰは？ ついてけませんよ｣と私に耳打ちした｡
｢それにしても､よくここが分かったね｡ﾎﾞｽは大丈夫だからって言うけど､内心どうなるかとﾋﾔﾋﾔしてたよ｣
私の愚痴に､大志君は笑いながら､｢凄いんですよ｡塚本さんはね､親父のことを『ｱｲﾂら何やってんだよ!』って､ｱｲﾂ呼ばわりですよ､ｱｲﾂ! そんで『戻ろう､ｱｲﾂらあの辺にいるよ､大志君』って､歩いてきたら本当にいた｣と相変わらずﾋｿﾋｿと言った｡
私は驚いた｡
塚本が｢ｱｲﾂら｣と私たちを呼んだ頃､小島は小島で塚本たちを｢ｱｲﾂら｣と口にしていたのだ｡塚本が小島をｱｲﾂ呼ばわりすることは､少なくとも私は知らない｡また､小島も塚本をｱｲﾂなどとは滅多に呼ばない｡
韓国にきて以来､こういう不思議な経験をたくさんしてきた｡小島と塚本は間違いなく私には理解できないﾃﾚﾊﾟｼｰみたいな何かで｢交信｣しているのだ｡
それにしても､歩いた｡
その後も私たちは塚本とKさんに引っ張られるように歩き続けた｡地下鉄にも乗ったが､多分10ｷﾛ近くは歩いたのではないだろうか？
歩いて歩いて､最後に私たちは韓国風焼肉｢ﾌﾟﾙｺｷﾞ｣の専門店に入った｡日本の焼肉と違い､野菜炒めのようにして食べるﾌﾟﾙｺｷﾞはとても美味しかった｡だが､それ以上に私は疲れきっていた｡
食事を終えたあと､小島は塚本とKさんを残して私たち3人でﾎﾃﾙに帰った｡ﾀｸｼｰに乗るとき､小島は塚本に｢2人でゆっくりしてこい｣と言って､Kさんには｢塚本をよろしくお願いします｣と頭を下げた｡
前日､Kさんと会えて嬉しそうにはしゃいでいた塚本｡そして最後の取材を終え､食事をしてﾎﾃﾙに戻ったときの塚本…｡
小島は彼女の体調をだいぶ気にしていた｡だから､別れ際に放った小島の言葉の重みを塚本は当然､理解したのだろう｡小島は何か言いたそうな顔をしたが､結局それ以上何も言わなかった｡ただ､このときだけは､塚本が部屋のなかに入るのをｼﾞｯと小島は見送っていた｡そして､｢ﾎｯとして気がゆるんだときに体調を崩すんだ｡塚本は張り切り過ぎたからなあ｣と言いながら､まだ後ろ髪を引かれるような顔をしていた｡
さて､部屋に入った男3人はというと…､突然小島の表情が明るくなった｡
｢よし松田､今日は独楽相撲だ! 小銭を賭けて朝までやるぞ｡とりあえず大志と何か買い出しに行って来てくれ｡塚本とか女性には満足かもしれないが､韓国ぞうすいだけじゃ腹がもたねえよな｣
｢はい!｣
私も大志君も実はすでに小腹が空いていた｡私たちはﾎﾃﾙ近くのｺﾝﾋﾞﾆに食べ物の買い出しに走った｡そして､夜の宴の準備が整った｡私たちは韓国のｽﾅｯｸ菓子やｻﾝﾄﾞｳｨｯﾁを食べながら､小銭を賭けた独楽相撲に燃えた｡勝負は私がいちばん分が悪かったが､だから余計に燃えて騒いだ｡
ちなみに､独楽は大志君が日本から持参してきた｡
いま､私が｢韓国取材の思い出｣と聞かれて真っ先に思い浮かぶのが､小島親子と過ごしたこの夜のことである｡会社では､小島の前でﾋﾞｸﾋﾞｸしている私が､小島親子と一緒に独楽相撲で遊んだり､小島の昔々の思い出話を聞いたり…｡学生時代の修学旅行の夜のようにはしゃいだことが､まるで昨日のことのように思い出される｡
韓国で過ごす最後の夜となったこの日の夜､私たちの部屋にはいつまでも笑い声が絶えなかった｡ 続きを読む
2005年3月10日夕刻…｡
映画｢風のﾌｧｲﾀｰ｣の原作者である房学基(ﾊﾟﾝﾊｯｷﾞ)氏への取材を終えたことで､予定していた私たちの韓国での全日程が終了した｡たった1週間弱ではあったが､これほど多忙で緊張感に包まれ､しかし充実していた日々はなかった｡
房氏宅をあとにした私たち(小島､塚本､大志君､ｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの朴さん､私)5人は､｢じゃあ､飯食って帰ろうぜ!｣と言う小島の言葉で韓国ｽｲﾄﾝの店に向かった｡朴さんが｢韓国に帰ると必ずいく店なんですよ｣と自慢するだけあって初めて口にした韓国ｽｲﾄﾝは珍味というか不思議な美味しさだった｡ﾁﾁﾞﾐと呼ばれる韓国お好み焼きも美味しかった｡
そして何よりも､小島と塚本の顔には､異国の地での取材を無事に終えた安堵感と充実感が漂っていた｡
食事を終えた私たちは朴さんと日本での再会を約束して別れを告げた｡たった数日間にもかかわらず､朴さんはまるで夢現舎のｽﾀｯﾌのような身近な存在になっていた｡小島も塚本も大志君も､朴さんとの別れを惜しんだ｡私の心に甘酸っぱいものが流れた｡
ﾎﾃﾙに戻った私たちは､寄り道することなく､塚本と別れてそれぞれの部屋に入った｡別れ際､小島は塚本の背中から､｢おまえ､今日はゆっくり休めよ｣念を押すように言った｡
｢はい｣
小島の言葉に答える塚本の声が一瞬､いつもの塚本ではない普通の女性のものに戻っていた｡
前日の9日｡
私たちは塚本の友人であるKさんと韓国ｿｳﾙの中心街にあるﾛｯﾃﾃﾞﾊﾟｰﾄで待ち合わせをした｡Kさんはｿｳﾙ在住で､塚本とはｲｷﾞﾘｽで知り合った親友だという｡日本にも留学で長期滞在した経験がある｡夢現舎にも1度来社していただいた｡
今回の｢大山倍達正伝｣については､Kさんが韓国国内で売られているすべての大山倍達に関する本を収集してくれた｡日本語も上手で､品のいい美人である｡
この日は一応､ｵﾌとなってはいたが､Kさんとの打ち合わせは重要な仕事だ｡私は相変わらず緊張していた｡だが､ﾛｯﾃﾃﾞﾊﾟｰﾄでKさんと会った塚本は急激にﾊﾟﾜｰｱｯﾌﾟした｡何ｶ月振りに再会した2人は余程嬉しいと見えて､もう私たちのことなど､気にも止めず､ﾍﾟﾁｬｸﾁｬ話ながらｿｳﾙの街中を歩き始めた｡
2人の会話は日本語と韓国語が入り混じっていた｡Kさんが日本語でしゃべると塚本が韓国語で応じるという､実に不思議な光景だった｡だが､そんな2人の会話に感心している余裕はなかった｡
とにかく2人の歩く速度がとんでもなく早い｡大通りの交差点も信号を待つことなく地下道に降りてはまた上がる｡小島は大志君に命じて塚本の護衛をさせていたが､大志君は塚本たちのｽﾋﾟｰﾄﾞについていくのだけで精一杯という表情で､何度も私たちを振り返っては苦笑いを浮かべた｡
かなり歩いた｡とにかく､かなり歩いた｡かなり歩いて､ついに古めかしい茶屋に塚本たちは入った｡古い民家のような情緒に溢れる茶屋で韓国茶を飲んだ｡このときも塚本とKさんは完全に2人だけの世界に浸り､韓国語と日本語の入り混じった会話を弾ませていた｡
それからも歩いた｡ひたすら歩いた｡私たちは塚本がどこに向かっているのかさえ全く分からない｡
｢おい､松田｡ｱｲﾂら…､もういいよ｡塚本佳子は大志に任せて､俺らはゆっくりいこうぜ｣
塚本佳子の｢よ｣の部分をやたらと強調して､小島はｳﾝｻﾞﾘ顔で言うと､急に歩調を落とした｡私は気が気でなかった｡いつ｢何ﾁﾝﾀﾗしてんだよ!｣という塚本の罵声が飛んでくるか分からない｡しかし､私も焦る気持ちと裏腹に疲労困憊してきた｡大志君には申し訳ないが､ここは小島に従って､ゆっくりいくことに決めた｡塚本たちの姿が見る見る小さくなっていった｡
東大門という区画は東京の｢ｱﾒ横｣が広くなったような､小さな路地が入り組み､そこにありとあらゆる品物を扱う店がひしめき合っていた｡あっという間に私と小島は雑踏のなか､塚本一行を見失った｡
再び焦る私に､小島は｢いいから松田､ここら辺で一休みしてようぜ｡いまｱｲﾂらが俺たちを探しに戻ってくるから｣と言った｡私はあきらめて小島の隣に腰を降ろした｡すると小島の言葉通り､本当に塚本たちがやってきた｡塚本は小島に向かって少しﾃﾚたような表情で｢いた､いた｣と言った｡
大志君と目が合った｡
大志君は､｢参りましたよ〜｡何なんですかねえ､あの2人のﾊﾟﾜｰは？ ついてけませんよ｣と私に耳打ちした｡
｢それにしても､よくここが分かったね｡ﾎﾞｽは大丈夫だからって言うけど､内心どうなるかとﾋﾔﾋﾔしてたよ｣
私の愚痴に､大志君は笑いながら､｢凄いんですよ｡塚本さんはね､親父のことを『ｱｲﾂら何やってんだよ!』って､ｱｲﾂ呼ばわりですよ､ｱｲﾂ! そんで『戻ろう､ｱｲﾂらあの辺にいるよ､大志君』って､歩いてきたら本当にいた｣と相変わらずﾋｿﾋｿと言った｡
私は驚いた｡
塚本が｢ｱｲﾂら｣と私たちを呼んだ頃､小島は小島で塚本たちを｢ｱｲﾂら｣と口にしていたのだ｡塚本が小島をｱｲﾂ呼ばわりすることは､少なくとも私は知らない｡また､小島も塚本をｱｲﾂなどとは滅多に呼ばない｡
韓国にきて以来､こういう不思議な経験をたくさんしてきた｡小島と塚本は間違いなく私には理解できないﾃﾚﾊﾟｼｰみたいな何かで｢交信｣しているのだ｡
それにしても､歩いた｡
その後も私たちは塚本とKさんに引っ張られるように歩き続けた｡地下鉄にも乗ったが､多分10ｷﾛ近くは歩いたのではないだろうか？
歩いて歩いて､最後に私たちは韓国風焼肉｢ﾌﾟﾙｺｷﾞ｣の専門店に入った｡日本の焼肉と違い､野菜炒めのようにして食べるﾌﾟﾙｺｷﾞはとても美味しかった｡だが､それ以上に私は疲れきっていた｡
食事を終えたあと､小島は塚本とKさんを残して私たち3人でﾎﾃﾙに帰った｡ﾀｸｼｰに乗るとき､小島は塚本に｢2人でゆっくりしてこい｣と言って､Kさんには｢塚本をよろしくお願いします｣と頭を下げた｡
前日､Kさんと会えて嬉しそうにはしゃいでいた塚本｡そして最後の取材を終え､食事をしてﾎﾃﾙに戻ったときの塚本…｡
小島は彼女の体調をだいぶ気にしていた｡だから､別れ際に放った小島の言葉の重みを塚本は当然､理解したのだろう｡小島は何か言いたそうな顔をしたが､結局それ以上何も言わなかった｡ただ､このときだけは､塚本が部屋のなかに入るのをｼﾞｯと小島は見送っていた｡そして､｢ﾎｯとして気がゆるんだときに体調を崩すんだ｡塚本は張り切り過ぎたからなあ｣と言いながら､まだ後ろ髪を引かれるような顔をしていた｡
さて､部屋に入った男3人はというと…､突然小島の表情が明るくなった｡
｢よし松田､今日は独楽相撲だ! 小銭を賭けて朝までやるぞ｡とりあえず大志と何か買い出しに行って来てくれ｡塚本とか女性には満足かもしれないが､韓国ぞうすいだけじゃ腹がもたねえよな｣
｢はい!｣
私も大志君も実はすでに小腹が空いていた｡私たちはﾎﾃﾙ近くのｺﾝﾋﾞﾆに食べ物の買い出しに走った｡そして､夜の宴の準備が整った｡私たちは韓国のｽﾅｯｸ菓子やｻﾝﾄﾞｳｨｯﾁを食べながら､小銭を賭けた独楽相撲に燃えた｡勝負は私がいちばん分が悪かったが､だから余計に燃えて騒いだ｡
ちなみに､独楽は大志君が日本から持参してきた｡
いま､私が｢韓国取材の思い出｣と聞かれて真っ先に思い浮かぶのが､小島親子と過ごしたこの夜のことである｡会社では､小島の前でﾋﾞｸﾋﾞｸしている私が､小島親子と一緒に独楽相撲で遊んだり､小島の昔々の思い出話を聞いたり…｡学生時代の修学旅行の夜のようにはしゃいだことが､まるで昨日のことのように思い出される｡
韓国で過ごす最後の夜となったこの日の夜､私たちの部屋にはいつまでも笑い声が絶えなかった｡ 続きを読む
2007年07月30日
番外編/連載･小島一志との日常(11)｢韓国取材同行録��｣〜松田努
韓国取材同行録(5)
2005年3月8日､私が小島一志､塚本佳子､小島の長男･大志君とともに韓国･ソウルへやって来て､3度目の朝を迎えた｡
いつものように携帯電話のｱﾗｰﾑで目覚めた私は､冷たい水で顔を洗って気合を入れ､そして寝ている小島を起こすべく､恐る恐る小島のもとに近づいた｡
ところが､この日の小島は｢いつもと｣様子が違っていた｡私が何度呼びかけても一向に起きる気配がない｡その様子を見ていた大志君が小島に話しかける｡
｢親父､具合悪いの? 薬飲む?｣
｢ん? ああ､頼む…｣
大志君の呼びかけにやっと反応した小島だったが､体調が良くないのは明らかである｡
どうしていいかわからず立ちすくむ私の横で､大志君がつぶやいた｡
｢きっと色々考え事でもしてて､あんまり寝てないんでしょう｣
結局､小島は薬を飲むと再び横になり､私たちは塚本を含めた3人で朝食をとることにした｡
朝食は例の如くﾎﾃﾙのﾋﾞｭｯﾌｪ｡私と大志君が競うように豪華料理に手を伸ばす一方で､塚本もまたなんとなくいつもの元気がない｡すると､隣に座っている大志君が私の耳元でささやく｡
｢多分､塚本さんもあんまり寝てないんじゃないですか? ふたりは以心伝心ですから｣
そう言って､ﾆｺﾘと笑顔を見せる大志君の洞察力に､私はなるほどと感心した｡以心伝心で小島と塚本が何を話し､何を相談していたのか分からない｡
しかし私は､今日これから出かける取材が､小島と塚本にとって｢大山倍達正伝｣の執筆にあたるための､まさに総決算といえる重要なものであることを自覚した｡あくまで私の推測ではあるが､小島と塚本は昨晩､今日にいたるまでの長い長い取材の日々を以心伝心で思い出していたのかもしれない｡
朝食を終えた私たちは､改めて小島を起こし､そして取材に出かけた｡行き先は､大山倍達の｢生地｣､龍池面臥龍里(ﾖﾝｼﾞﾐｮﾝﾜﾘｮﾝﾆ)である｡
龍池面臥龍里へは､ｿｳﾙから高速ｴｸｽﾌﾟﾚｽで約2時間､そして駅から車で約1時間かかる｡
電車に乗り込んだ後､私は塚本の指示を受け､ｴｸｽﾌﾟﾚｽの窓から見える風景を10分おきにｶﾒﾗで撮影することになった｡この写真は､後に塚本がこの日見た風景を思い出す際に使うという｡私の後ろの席に座った塚本は､ﾒﾓをとりながら終始鋭い眼差しで窓の外を見つめていた｡私が塚本に飲み物を差し出そうとしても､まったく気付かないほど集中している｡
普段の移動中は､ひっきりなしに塚本に話しかける小島も､この時ばかりは黙って塚本を見守っていた｡
2時間後､最寄りのｲｸｻﾝ駅に着くと､龍池面役場の方が私たちを出迎えてくれた｡すでに､車まで用意しておいてくれた｡そして車に乗ること約1時間…､進めば進むほど､辺り一面に田園地帯が広がっていく｡日本のように全面舗装されていない道｡車の乗り心地も決して快適ではなかった｡車の後ろには土埃が尾を引いていく…｡
ようやく私たちは､大山総裁の兄､崔永範(ﾁｪﾖﾝﾎﾞﾑ)氏の自宅に到着した｡
ここから先の内容は､｢大山倍達正伝｣に克明に記されているため省く｡ただし､日本から来た私達に対して､非常に温かく出迎えてくれた崔永範氏とその妻､姜順禮(ｶﾝｽﾝﾈ)氏には､この場を借りて心から謝意を表したいと思う｡
さて､余談ではあるが､この日私は､韓国取材にやってきて最大のﾐｽを犯した｡
それは永範氏から､大山総裁が生まれ育った生地を案内してもらった時の事である｡繰り返すが､小島と塚本の最終的な目的地は､この大山総裁の｢生地｣の土を踏みしめることだったのである｡
生地に立った小島と塚本は､ゆっくりと生地の前に伸びるあぜ道を進んだ｡そして､しばらくの間､それぞれがそれぞれの思いで感慨に浸っているように見えた｡いつしかふたりは寄り添っていたが､言葉を交わすこともなく､塚本は周囲をゆっくりと見渡し､小島は腕組みをしたまま静かに目を閉じていた｡
私と大志君は､彼らの後方から邪魔にならないように息をこらし､ふたりの様子を眺めていた｡大山総裁の生地にこられたことで緊張感が緩んだ私は､小声で大志君にいった｡
｢あのふたり､どうみても夫婦だよね｣
大志君は何もいわずﾆｯと笑いながら私の背中を小突いた｡極真空手､柔道黒帯の大志君の拳は背中を通して胸まで響いた｡
何分経っただろうか？ 突然､目を開けた小島は､塚本を促しながら戻ってきた｡
｢せっかく来たんだから､ここで俺と塚本とお兄さんの3人の写真を撮ってくれ｣
｢わかりました｣
ｶﾒﾗﾏﾝ役の私は､当然の如くｶﾒﾗを構えた｡
｢すいません､もう少し後ろに下がってもらえますか｣
｢もうちょっと後ろですね｡はいOKです!｣
このときの私は､過去､幾たびもの取材で写真を撮り慣れたこともあり､一丁前のｶﾒﾗﾏﾝ気取りだった｡しかし､｢それじゃいきますよ〜｡はい､ｷﾑﾁ …あれ?｣
｢すいません､すいません｡もう一度いきます｡はい､ｷﾑ…あれ?｣
なんと無情にも､ここで何故か今まで何の問題のなかったｶﾒﾗのｼｬｯﾀｰが切れなくなってしまった｡
｢すいません! 少しお待ちください｡今撮りますんで…｣
急激に焦った私は､何をどうしたらいいのか､頭のなかが真っ白になってしまった｡ｶﾒﾗを点検しても､どこがおかしいのか皆目見当もつかない｡
そんな私の耳に､ﾎﾞｿｯとではあるが氷のように冷たく､刃のように切り裂くような声が聞こえた｡
｢この､ばっかやろ…｣
顔を上げると､その声の主は永範氏の横で努めて笑顔を作りながらも､私を見つめる目は笑っていなかった｡
…塚本である｡
私の背中を冷や汗がﾀﾗｰﾘと流れ落ちた｡
｢もういい｡大志､ﾃﾞｼﾞｶﾒで撮ってくれ!｣
結局､小島の指示で大志君がｶﾒﾗﾏﾝとなり､なんとか記念撮影は終わった｡ｶﾒﾗﾏﾝ補助として同行していた大志君が､最終的に最も重要な写真を収めることになったのである｡私の立場はどうなるのか…｡
ちなみに､その後の私がどうなったかは想像にお任せする｡ただ､こんなときの小島は優しい｡決して私をなじったり､もちろん蹴りなどは放ってこない｡その分､怖ろしいのは…塚本なのである｡私は断言する｡塚本に怒られるならば､まだ小島に殴られ蹴られするほうが､ずっとﾏｼだと…｡
話を戻す｡
龍池面臥龍里での取材は､永範氏と大山総裁の生地､そして総裁の父が発起人として作り､大山総裁自身も通った母校(龍池面小学校)を訪れることで､無事に終了した｡
ｿｳﾙに帰るｴｸｽﾌﾟﾚｽのなか､小島はいつになく興奮していた｡
｢今日はすごい話を聞けたよな､塚本!｣
｢大志､正伝はとてつもない本になるぞ｣
塚本も行きのときとは別人の穏やかな表情で､小島の話に相槌を打っていた｡
｢やっぱり､ふたりは夫婦だ!｣
隣の大志君にそういおうと思った瞬間､悪夢が甦ってきた｡
｢この､ばっかやろ…｣
｢ばっかやろ…｣
｢ばっか…｣
｢……｣
先ほどの塚本の強烈なひとことがいつまでも頭から離れず､窓から夜の真っ暗な風景を眺めていた｡
ふと気が付くと､先ほどまで小島の声が響き渡っていた車内が静かになっている｡
小島はiPODで音楽を聴きながら寝ていた｡その表情からは､安堵の色がうかがえる｡そして塚本も､小島と同じように心持ち優しそうな笑顔を浮かべて眠りに落ちていた…｡
(つづく)
夢現舎/松田努
2005年3月8日､私が小島一志､塚本佳子､小島の長男･大志君とともに韓国･ソウルへやって来て､3度目の朝を迎えた｡
いつものように携帯電話のｱﾗｰﾑで目覚めた私は､冷たい水で顔を洗って気合を入れ､そして寝ている小島を起こすべく､恐る恐る小島のもとに近づいた｡
ところが､この日の小島は｢いつもと｣様子が違っていた｡私が何度呼びかけても一向に起きる気配がない｡その様子を見ていた大志君が小島に話しかける｡
｢親父､具合悪いの? 薬飲む?｣
｢ん? ああ､頼む…｣
大志君の呼びかけにやっと反応した小島だったが､体調が良くないのは明らかである｡
どうしていいかわからず立ちすくむ私の横で､大志君がつぶやいた｡
｢きっと色々考え事でもしてて､あんまり寝てないんでしょう｣
結局､小島は薬を飲むと再び横になり､私たちは塚本を含めた3人で朝食をとることにした｡
朝食は例の如くﾎﾃﾙのﾋﾞｭｯﾌｪ｡私と大志君が競うように豪華料理に手を伸ばす一方で､塚本もまたなんとなくいつもの元気がない｡すると､隣に座っている大志君が私の耳元でささやく｡
｢多分､塚本さんもあんまり寝てないんじゃないですか? ふたりは以心伝心ですから｣
そう言って､ﾆｺﾘと笑顔を見せる大志君の洞察力に､私はなるほどと感心した｡以心伝心で小島と塚本が何を話し､何を相談していたのか分からない｡
しかし私は､今日これから出かける取材が､小島と塚本にとって｢大山倍達正伝｣の執筆にあたるための､まさに総決算といえる重要なものであることを自覚した｡あくまで私の推測ではあるが､小島と塚本は昨晩､今日にいたるまでの長い長い取材の日々を以心伝心で思い出していたのかもしれない｡
朝食を終えた私たちは､改めて小島を起こし､そして取材に出かけた｡行き先は､大山倍達の｢生地｣､龍池面臥龍里(ﾖﾝｼﾞﾐｮﾝﾜﾘｮﾝﾆ)である｡
龍池面臥龍里へは､ｿｳﾙから高速ｴｸｽﾌﾟﾚｽで約2時間､そして駅から車で約1時間かかる｡
電車に乗り込んだ後､私は塚本の指示を受け､ｴｸｽﾌﾟﾚｽの窓から見える風景を10分おきにｶﾒﾗで撮影することになった｡この写真は､後に塚本がこの日見た風景を思い出す際に使うという｡私の後ろの席に座った塚本は､ﾒﾓをとりながら終始鋭い眼差しで窓の外を見つめていた｡私が塚本に飲み物を差し出そうとしても､まったく気付かないほど集中している｡
普段の移動中は､ひっきりなしに塚本に話しかける小島も､この時ばかりは黙って塚本を見守っていた｡
2時間後､最寄りのｲｸｻﾝ駅に着くと､龍池面役場の方が私たちを出迎えてくれた｡すでに､車まで用意しておいてくれた｡そして車に乗ること約1時間…､進めば進むほど､辺り一面に田園地帯が広がっていく｡日本のように全面舗装されていない道｡車の乗り心地も決して快適ではなかった｡車の後ろには土埃が尾を引いていく…｡
ようやく私たちは､大山総裁の兄､崔永範(ﾁｪﾖﾝﾎﾞﾑ)氏の自宅に到着した｡
ここから先の内容は､｢大山倍達正伝｣に克明に記されているため省く｡ただし､日本から来た私達に対して､非常に温かく出迎えてくれた崔永範氏とその妻､姜順禮(ｶﾝｽﾝﾈ)氏には､この場を借りて心から謝意を表したいと思う｡
さて､余談ではあるが､この日私は､韓国取材にやってきて最大のﾐｽを犯した｡
それは永範氏から､大山総裁が生まれ育った生地を案内してもらった時の事である｡繰り返すが､小島と塚本の最終的な目的地は､この大山総裁の｢生地｣の土を踏みしめることだったのである｡
生地に立った小島と塚本は､ゆっくりと生地の前に伸びるあぜ道を進んだ｡そして､しばらくの間､それぞれがそれぞれの思いで感慨に浸っているように見えた｡いつしかふたりは寄り添っていたが､言葉を交わすこともなく､塚本は周囲をゆっくりと見渡し､小島は腕組みをしたまま静かに目を閉じていた｡
私と大志君は､彼らの後方から邪魔にならないように息をこらし､ふたりの様子を眺めていた｡大山総裁の生地にこられたことで緊張感が緩んだ私は､小声で大志君にいった｡
｢あのふたり､どうみても夫婦だよね｣
大志君は何もいわずﾆｯと笑いながら私の背中を小突いた｡極真空手､柔道黒帯の大志君の拳は背中を通して胸まで響いた｡
何分経っただろうか？ 突然､目を開けた小島は､塚本を促しながら戻ってきた｡
｢せっかく来たんだから､ここで俺と塚本とお兄さんの3人の写真を撮ってくれ｣
｢わかりました｣
ｶﾒﾗﾏﾝ役の私は､当然の如くｶﾒﾗを構えた｡
｢すいません､もう少し後ろに下がってもらえますか｣
｢もうちょっと後ろですね｡はいOKです!｣
このときの私は､過去､幾たびもの取材で写真を撮り慣れたこともあり､一丁前のｶﾒﾗﾏﾝ気取りだった｡しかし､｢それじゃいきますよ〜｡はい､ｷﾑﾁ …あれ?｣
｢すいません､すいません｡もう一度いきます｡はい､ｷﾑ…あれ?｣
なんと無情にも､ここで何故か今まで何の問題のなかったｶﾒﾗのｼｬｯﾀｰが切れなくなってしまった｡
｢すいません! 少しお待ちください｡今撮りますんで…｣
急激に焦った私は､何をどうしたらいいのか､頭のなかが真っ白になってしまった｡ｶﾒﾗを点検しても､どこがおかしいのか皆目見当もつかない｡
そんな私の耳に､ﾎﾞｿｯとではあるが氷のように冷たく､刃のように切り裂くような声が聞こえた｡
｢この､ばっかやろ…｣
顔を上げると､その声の主は永範氏の横で努めて笑顔を作りながらも､私を見つめる目は笑っていなかった｡
…塚本である｡
私の背中を冷や汗がﾀﾗｰﾘと流れ落ちた｡
｢もういい｡大志､ﾃﾞｼﾞｶﾒで撮ってくれ!｣
結局､小島の指示で大志君がｶﾒﾗﾏﾝとなり､なんとか記念撮影は終わった｡ｶﾒﾗﾏﾝ補助として同行していた大志君が､最終的に最も重要な写真を収めることになったのである｡私の立場はどうなるのか…｡
ちなみに､その後の私がどうなったかは想像にお任せする｡ただ､こんなときの小島は優しい｡決して私をなじったり､もちろん蹴りなどは放ってこない｡その分､怖ろしいのは…塚本なのである｡私は断言する｡塚本に怒られるならば､まだ小島に殴られ蹴られするほうが､ずっとﾏｼだと…｡
話を戻す｡
龍池面臥龍里での取材は､永範氏と大山総裁の生地､そして総裁の父が発起人として作り､大山総裁自身も通った母校(龍池面小学校)を訪れることで､無事に終了した｡
ｿｳﾙに帰るｴｸｽﾌﾟﾚｽのなか､小島はいつになく興奮していた｡
｢今日はすごい話を聞けたよな､塚本!｣
｢大志､正伝はとてつもない本になるぞ｣
塚本も行きのときとは別人の穏やかな表情で､小島の話に相槌を打っていた｡
｢やっぱり､ふたりは夫婦だ!｣
隣の大志君にそういおうと思った瞬間､悪夢が甦ってきた｡
｢この､ばっかやろ…｣
｢ばっかやろ…｣
｢ばっか…｣
｢……｣
先ほどの塚本の強烈なひとことがいつまでも頭から離れず､窓から夜の真っ暗な風景を眺めていた｡
ふと気が付くと､先ほどまで小島の声が響き渡っていた車内が静かになっている｡
小島はiPODで音楽を聴きながら寝ていた｡その表情からは､安堵の色がうかがえる｡そして塚本も､小島と同じように心持ち優しそうな笑顔を浮かべて眠りに落ちていた…｡
(つづく)
夢現舎/松田努
2007年07月27日
番外編/ﾊﾟｽﾞﾙで頭の体操〜夢現舎編
番外編/ﾊﾟｽﾞﾙで頭の体操〜夢現舎
現在､企業としての夢現舎の中枢は､格闘技ではなくｽﾞﾊﾞﾘ｢ﾊﾟｽﾞﾙ｣です｡
そこで､より多くの人にﾊﾟｽﾞﾙの面白さを知っていただくために､今後様々な種類のﾊﾟｽﾞﾙを定期的に出題していきたいと思います｡
なお､ﾊﾟｽﾞﾙの答えは､問題の終わりにある｢続きを読む｣をｸﾘｯｸすると現れる｢次のﾍﾟｰｼﾞ｣に載っています｡それでは､ﾊﾟｽﾞﾙで頭の体操をどうぞ｡
【問題1】
例のように､漢字を組み合わせて2文字の熟語を作ってください｡
(例)周即竹言→調節
1.月衣田代→[ ]
2.南工貝犬→[ ]
3.山石少風→[ ]
4.衣可龍大→[ ]
5.者糸山立而 →[ ]
6.九屯十米糸→[ ]
7.里言立敬金→[ ]
8.示刀木角牛木→[ ]
9.立日日日日口→[ ]
10.耳可口可欠王→[ ]
【問題2】1.〜6.の漢字は､それぞれある法則に従って並んでいます｡どんな法則か推理して､それぞれの｢?｣に入る漢字をﾘｽﾄの中から選んでください｡
なお､ﾘｽﾄの漢字は一度ずつしか使えません｡
●ﾘｽﾄ/虎､鼠､獅､米､葉､地､語､明､貝
1.水→金→｢?｣→火→木→土
2.稲→｢?｣→幹→岸→鹿→亀
3.偉→路→｢?｣→尼→歩→屁
4.担→云→寿→駟→｢?｣→宍
5.牡→牡→双→蟹→｢?｣→乙
6.雨→｢?｣→笹→滝→波→針
【問題3】例を参考に､1.〜5.のｸﾞﾙｰﾌﾟ内の漢字の頭に共通の漢字をつけ､それぞれ熟語を作りましょう｡
(例)桜､紋､嵐､笠 +｢花｣ →花桜､花紋､花嵐､花笠
1.臣､安､雨､会､王､河､波､人
2.書､状､寿､髪､線､雪､米､衣
3.筋､竹､雲､年､果､春､色､草
4.曜､夜､用､没､米､常､時､向
5.気､下､使､然､文､才､狗､災
【問題4】次の14個の熟語を対義語同士で7組に分けましょう｡
詳細､
凝縮､
綿密､
恒久､
拡散､
要談､
未満､
暫時､
粗雑､
閑話､
沿海､
概略､
遠洋､
超過
【問題5】矢印の方向に3文字の熟語のしりとりができるよう､□に漢字を入れましょう｡
熟語は｢新聞紙｣→｢指揮者｣のように､同音異字(同じ読み方で異なる漢字)によってしりとりされます｡
名調子→□議□→□勤□→□介
□→□半□→□生□→□業□→
□学□→□恩□→□良□→□人
□→□一□→□下□→□耐□→
□黄□→□能□→□発□→□憑
□→正社員
出題/夢現舎･伊藤昂 続きを読む
現在､企業としての夢現舎の中枢は､格闘技ではなくｽﾞﾊﾞﾘ｢ﾊﾟｽﾞﾙ｣です｡
そこで､より多くの人にﾊﾟｽﾞﾙの面白さを知っていただくために､今後様々な種類のﾊﾟｽﾞﾙを定期的に出題していきたいと思います｡
なお､ﾊﾟｽﾞﾙの答えは､問題の終わりにある｢続きを読む｣をｸﾘｯｸすると現れる｢次のﾍﾟｰｼﾞ｣に載っています｡それでは､ﾊﾟｽﾞﾙで頭の体操をどうぞ｡
【問題1】
例のように､漢字を組み合わせて2文字の熟語を作ってください｡
(例)周即竹言→調節
1.月衣田代→[ ]
2.南工貝犬→[ ]
3.山石少風→[ ]
4.衣可龍大→[ ]
5.者糸山立而 →[ ]
6.九屯十米糸→[ ]
7.里言立敬金→[ ]
8.示刀木角牛木→[ ]
9.立日日日日口→[ ]
10.耳可口可欠王→[ ]
【問題2】1.〜6.の漢字は､それぞれある法則に従って並んでいます｡どんな法則か推理して､それぞれの｢?｣に入る漢字をﾘｽﾄの中から選んでください｡
なお､ﾘｽﾄの漢字は一度ずつしか使えません｡
●ﾘｽﾄ/虎､鼠､獅､米､葉､地､語､明､貝
1.水→金→｢?｣→火→木→土
2.稲→｢?｣→幹→岸→鹿→亀
3.偉→路→｢?｣→尼→歩→屁
4.担→云→寿→駟→｢?｣→宍
5.牡→牡→双→蟹→｢?｣→乙
6.雨→｢?｣→笹→滝→波→針
【問題3】例を参考に､1.〜5.のｸﾞﾙｰﾌﾟ内の漢字の頭に共通の漢字をつけ､それぞれ熟語を作りましょう｡
(例)桜､紋､嵐､笠 +｢花｣ →花桜､花紋､花嵐､花笠
1.臣､安､雨､会､王､河､波､人
2.書､状､寿､髪､線､雪､米､衣
3.筋､竹､雲､年､果､春､色､草
4.曜､夜､用､没､米､常､時､向
5.気､下､使､然､文､才､狗､災
【問題4】次の14個の熟語を対義語同士で7組に分けましょう｡
詳細､
凝縮､
綿密､
恒久､
拡散､
要談､
未満､
暫時､
粗雑､
閑話､
沿海､
概略､
遠洋､
超過
【問題5】矢印の方向に3文字の熟語のしりとりができるよう､□に漢字を入れましょう｡
熟語は｢新聞紙｣→｢指揮者｣のように､同音異字(同じ読み方で異なる漢字)によってしりとりされます｡
名調子→□議□→□勤□→□介
□→□半□→□生□→□業□→
□学□→□恩□→□良□→□人
□→□一□→□下□→□耐□→
□黄□→□能□→□発□→□憑
□→正社員
出題/夢現舎･伊藤昂 続きを読む
2007年07月15日
番外編/連載･小島一志との日常〜松田努(10)/韓国取材同行録��
番外編/連載･小島一志との日常〜松田努
●韓国取材同行記(4)
韓国に渡って2日目｡
大山総裁の長男･光範氏への取材を終えた私たちは､一旦ﾎﾃﾙに戻って休んだ後､ｿｳﾙ市内へ出て夕食をとることにした｡無事に取材が終わり､幾分緊張もほぐれてきた私であったが､まだまだ一息などついていられない｡
ここは韓国…｡
取材が終わったから｢お疲れさまでした｣と言って1人になれるわけではないのだ｡横には常に小島､塚本､大志君の3人がいる｡心身ともに疲れきってﾍﾞｯﾄﾞに横たわり､一瞬にして眠りにつくまで､私の長い長い1日は続くのである｡
陽が落ちて､辺りもすっかり暗くなった午後7時過ぎ､私たちはﾎﾃﾙを出て､ｿｳﾙ市内の焼肉店に向かった｡案内は､取材同様にｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの朴(ﾊﾟｸ)ﾏﾘさんがしてくれた｡
朴さんは年齢が20代中頃で､明るくﾊｷﾊｷした性格の､非常にきれいな女性だった｡鈍臭くて田舎者の私が､小島､塚本の付き人として何とかやっていけたのも朴さんの力があったからこそだったと言える｡
女性にｳﾌﾞな私は､朴さんと話すのに苦労し､何か話し掛けられると頬が真っ赤になっている自分に気がついた｡軽い一目惚れか…｡いや違う! 私は必死に自分の気持ちを否定した｡
朴さんが連れて行ってくれた焼肉店は､ｿｳﾙ中心街の路地裏にあった｡
朴さんによれば､ｿｳﾙでも1､2を争う人気店で､当時日本で大ﾌﾞｰﾑになっていた韓流ｽﾀｰたちもよく訪れるという｡しかし､門構えといい､店内の装飾も予想に反して質素だった｡
店内に入った私は､ﾃｰﾌﾞﾙ一杯に並べられた料理に､思わず心を踊らせた｡思えばこちらに来てから､韓国料理と呼ばれるものを食べるのは､この時が初めてである｡朴さんに1つひとつの料理の解説をしてもらいながら､私たちはそのどれもに舌鼓を打った｡
取材を終えてﾎｯとしたこともあり､食事中の会話はいつになくはずんだ｡普段､会社では決して聞けないような小島､塚本のﾌﾟﾗｲﾍﾞｰﾄのことにまで話は及び､私たちのﾃｰﾌﾞﾙには笑い声が絶えなかった｡
ただ私は､朴さんが突然､ﾎﾞｰｲﾌﾚﾝﾄﾞの話を始めた時だけ一瞬落ち込んだ｡私は内心｢また一目惚れは空振りだったのか!｣と天を仰いだ｡運の悪い事に､その一瞬の落ち込み様を､勘の鋭い小島をはじめ､塚本､大志君は見逃さなかった｡
｢松田〜お前､分かりやす過ぎるよ｣
ﾎﾃﾙへ戻るﾀｸｼｰの中で､小島に散々冷やかされながら､私のたった1日の恋は終わりを告げた｡
話を食事時に戻す｡
小島､塚本､そして私も下戸であるため､私たちは食事でも一切ｱﾙｺｰﾙを頼まないし､口にしない｡ただしｱﾙｺｰﾙが入らない分､私には半端ではない量の料理が待っていた｡
小島と食事を共にする場合､とにかく最初は食べるﾍﾟｰｽを抑える必要がある｡自分の元に運ばれてきた料理以外にはほとんど手を付けない｡なぜなら､食事も終盤に差し掛かり､小島や塚本のお腹が満たされてくると､残った料理を私(会社では私を含めた男性ｽﾀｯﾌ)がすべて食べ尽くさなければならないからだ｡
小島の､この大食主義は大山総裁の影響を多分に受けたものだと思えた｡小島はよく言った｡
｢俺は食で人を見極める…､なんて総裁の受け売りだけどな｡やはり男も女性も食べることが好きで大食漢でなければ仕事でもｴﾈﾙｷﾞｯｼｭな活躍は出来ない｣
だから夢現舎の宴会はお酒よりも､いかに多くの料理を平らげるかで盛り上がる｡塚本にいわせれば､最近はこれでも増しになったくらいだという｡数年前ならば､1人で唐揚げを50個とかﾌﾗｲﾄﾞﾎﾟﾃﾄを20人前とか平気で食べさせられたという｡
ところがこの日､私は初て食べる本場韓国の味に酔いしれるあまり､最初から調子に乗って少々食べ過ぎていた｡これはまずいと思っている私に対して､満腹になった小島の声が飛んだ｡
｢おい松田､遠慮しないでもっと食べろ!｣
基本的に､私は普通の人よりは大食いである｡この日も､多少食べ過ぎた感じはあったものの､普通の体調であれば残り全部を食べきる自信はあった｡しかし､ここで日本とは違うある問題が発生じた｡
韓国料理の辛さだ｡
元々辛いものが得意ではない私を､今回は量ではなく､辛さが苦しめることとなった｡満腹感と辛さで汗だくになりながら､必死で料理を食べ続ける私…｡何とか終わりが見えてきたと思ったその時だった｡小島がﾆﾔﾆﾔしながら私に話しかけた｡
｢松田､これも食え｣
小島が私に差し出したのは､緑色の唐辛子だった｡つい30分程前､辛いものには滅法強い小島でさえ｢これは暴力的な辛さだ｣といわしめたほどの危険物である｡目の前に出された唐辛子を見てかなり動揺した私であったが､小島の命令は絶対だ､食べないわけにはいかない｡意を決してその唐辛子を口に入れた｡
すると次の瞬間､私の口の中を気が狂いそうになる程の衝撃が襲った｡むせって息もできず､涙も溢れてくる｡私は涙で目の前が見えなくなった｡
｢はははは!｣
苦しむ私を見て､小島は笑っていた｡その様子を見ていた塚本が突然口を開いた｡それは本当に静かで何気ない言葉だった｡ただ､塚本に笑顔がなかったのだけは事実だが､かといって呆れ顔でも怒っている風でもなかった｡
｢ﾎﾞｽ､そろそろ…｣
｢ああ､そうだな｣
塚本が言葉を発した瞬間､つい今まで笑っていた小島の顔から一瞬にして笑顔が消えた｡そして何故か神妙な表情になった｡こうして私たちは､私の完食を待たずに焼肉店を後にした｡
ﾎﾃﾙに戻り､塚本と別れた小島はしばらく1人でしょんぼりしていた｡時折､ため息をつきながら思いつめた表情をしている｡そんな小島の情けなさそうな雰囲気は初めて見るものだった｡
なんとなく大志君は分かっているようでﾆﾔﾆﾔしていた｡しかし私には全く理由が分からなかった｡
しばらくすると､小島は独り言のように言った｡
｢参ったな〜｡塚本に怒られちったよ…｣
だが､私はいつ小島が塚本に怒られたのか､皆目理解が出来なかった｡事実､食事中も帰りのﾀｸｼｰでも､私は小島と塚本の近くにいた｡2人から離れたこともなかった｡私が知る限り､塚本には怒っているような素振りなど微塵も感じなかった｡
不信そうな私に向かい､小島が言った｡
｢おまえにあの辛い唐辛子を食べさせて…怒られたんだよ｣
私はやっと､焼肉店での最後に塚本が､｢ﾎﾞｽ､そろそろ｣と言った言葉を思い出した｡あの何気ない言葉は､小島にとっては塚本による厳しい叱咤だったのかもしれない｡要は､はしゃぐ小島を塚本がﾃﾚﾊﾟｼｰで叱っていたのだと気づいた｡
小島と塚本…｡2人の間では､たとえ直接話をしたり､顔を合わせていなくても｢ﾃﾚﾊﾟｼｰ｣で会話がなされているという｡これは､普段会社でもよく耳にしていることではあるが､実際に小島と塚本のﾃﾚﾊﾟｼｰのやり取りを｢生｣で実感したのは､この時が初めてだった｡
その後も私は､韓国取材中､幾度となく小島と塚本のﾃﾚﾊﾟｼｰのやりとりを実感した｡夜遅くまで小島と大志君と3人でｹﾞｰﾑをして騒いでいた時も､突然､小島が顔色を変えて､｢松田､騒ぐな! 隣の部屋で塚本が怒ってるよ｣と言い出した｡案の定､次の朝､塚本は開口一番｢昨夜は何やってたの？ 超うるさかった｣と私たちは説教された｡
また､みんなでｿｳﾙの繁華街を散策中､道が完全に迷路状のために私と小島がはぐれてしまったことがある｡しかし小島は焦らず､平然と｢大丈夫だ｡この辺にいれば塚本が戻って来るから｣と言った｡果たして1分も経たずに塚本と大志君が私たちを探しにきたこともある｡
私は偶然では済まされない､そんな場面に遭遇するたび､思った｡小島と塚本は､その辺の夫婦などとは比較にならない程､通じ合っているのだと｡
そして同時に､普段は見られない､小島が塚本に怒られている様子を想像しながら､ひとりﾆﾔけるのであった…｡
(つづく)
夢現舎/松田努
●韓国取材同行記(4)
韓国に渡って2日目｡
大山総裁の長男･光範氏への取材を終えた私たちは､一旦ﾎﾃﾙに戻って休んだ後､ｿｳﾙ市内へ出て夕食をとることにした｡無事に取材が終わり､幾分緊張もほぐれてきた私であったが､まだまだ一息などついていられない｡
ここは韓国…｡
取材が終わったから｢お疲れさまでした｣と言って1人になれるわけではないのだ｡横には常に小島､塚本､大志君の3人がいる｡心身ともに疲れきってﾍﾞｯﾄﾞに横たわり､一瞬にして眠りにつくまで､私の長い長い1日は続くのである｡
陽が落ちて､辺りもすっかり暗くなった午後7時過ぎ､私たちはﾎﾃﾙを出て､ｿｳﾙ市内の焼肉店に向かった｡案内は､取材同様にｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの朴(ﾊﾟｸ)ﾏﾘさんがしてくれた｡
朴さんは年齢が20代中頃で､明るくﾊｷﾊｷした性格の､非常にきれいな女性だった｡鈍臭くて田舎者の私が､小島､塚本の付き人として何とかやっていけたのも朴さんの力があったからこそだったと言える｡
女性にｳﾌﾞな私は､朴さんと話すのに苦労し､何か話し掛けられると頬が真っ赤になっている自分に気がついた｡軽い一目惚れか…｡いや違う! 私は必死に自分の気持ちを否定した｡
朴さんが連れて行ってくれた焼肉店は､ｿｳﾙ中心街の路地裏にあった｡
朴さんによれば､ｿｳﾙでも1､2を争う人気店で､当時日本で大ﾌﾞｰﾑになっていた韓流ｽﾀｰたちもよく訪れるという｡しかし､門構えといい､店内の装飾も予想に反して質素だった｡
店内に入った私は､ﾃｰﾌﾞﾙ一杯に並べられた料理に､思わず心を踊らせた｡思えばこちらに来てから､韓国料理と呼ばれるものを食べるのは､この時が初めてである｡朴さんに1つひとつの料理の解説をしてもらいながら､私たちはそのどれもに舌鼓を打った｡
取材を終えてﾎｯとしたこともあり､食事中の会話はいつになくはずんだ｡普段､会社では決して聞けないような小島､塚本のﾌﾟﾗｲﾍﾞｰﾄのことにまで話は及び､私たちのﾃｰﾌﾞﾙには笑い声が絶えなかった｡
ただ私は､朴さんが突然､ﾎﾞｰｲﾌﾚﾝﾄﾞの話を始めた時だけ一瞬落ち込んだ｡私は内心｢また一目惚れは空振りだったのか!｣と天を仰いだ｡運の悪い事に､その一瞬の落ち込み様を､勘の鋭い小島をはじめ､塚本､大志君は見逃さなかった｡
｢松田〜お前､分かりやす過ぎるよ｣
ﾎﾃﾙへ戻るﾀｸｼｰの中で､小島に散々冷やかされながら､私のたった1日の恋は終わりを告げた｡
話を食事時に戻す｡
小島､塚本､そして私も下戸であるため､私たちは食事でも一切ｱﾙｺｰﾙを頼まないし､口にしない｡ただしｱﾙｺｰﾙが入らない分､私には半端ではない量の料理が待っていた｡
小島と食事を共にする場合､とにかく最初は食べるﾍﾟｰｽを抑える必要がある｡自分の元に運ばれてきた料理以外にはほとんど手を付けない｡なぜなら､食事も終盤に差し掛かり､小島や塚本のお腹が満たされてくると､残った料理を私(会社では私を含めた男性ｽﾀｯﾌ)がすべて食べ尽くさなければならないからだ｡
小島の､この大食主義は大山総裁の影響を多分に受けたものだと思えた｡小島はよく言った｡
｢俺は食で人を見極める…､なんて総裁の受け売りだけどな｡やはり男も女性も食べることが好きで大食漢でなければ仕事でもｴﾈﾙｷﾞｯｼｭな活躍は出来ない｣
だから夢現舎の宴会はお酒よりも､いかに多くの料理を平らげるかで盛り上がる｡塚本にいわせれば､最近はこれでも増しになったくらいだという｡数年前ならば､1人で唐揚げを50個とかﾌﾗｲﾄﾞﾎﾟﾃﾄを20人前とか平気で食べさせられたという｡
ところがこの日､私は初て食べる本場韓国の味に酔いしれるあまり､最初から調子に乗って少々食べ過ぎていた｡これはまずいと思っている私に対して､満腹になった小島の声が飛んだ｡
｢おい松田､遠慮しないでもっと食べろ!｣
基本的に､私は普通の人よりは大食いである｡この日も､多少食べ過ぎた感じはあったものの､普通の体調であれば残り全部を食べきる自信はあった｡しかし､ここで日本とは違うある問題が発生じた｡
韓国料理の辛さだ｡
元々辛いものが得意ではない私を､今回は量ではなく､辛さが苦しめることとなった｡満腹感と辛さで汗だくになりながら､必死で料理を食べ続ける私…｡何とか終わりが見えてきたと思ったその時だった｡小島がﾆﾔﾆﾔしながら私に話しかけた｡
｢松田､これも食え｣
小島が私に差し出したのは､緑色の唐辛子だった｡つい30分程前､辛いものには滅法強い小島でさえ｢これは暴力的な辛さだ｣といわしめたほどの危険物である｡目の前に出された唐辛子を見てかなり動揺した私であったが､小島の命令は絶対だ､食べないわけにはいかない｡意を決してその唐辛子を口に入れた｡
すると次の瞬間､私の口の中を気が狂いそうになる程の衝撃が襲った｡むせって息もできず､涙も溢れてくる｡私は涙で目の前が見えなくなった｡
｢はははは!｣
苦しむ私を見て､小島は笑っていた｡その様子を見ていた塚本が突然口を開いた｡それは本当に静かで何気ない言葉だった｡ただ､塚本に笑顔がなかったのだけは事実だが､かといって呆れ顔でも怒っている風でもなかった｡
｢ﾎﾞｽ､そろそろ…｣
｢ああ､そうだな｣
塚本が言葉を発した瞬間､つい今まで笑っていた小島の顔から一瞬にして笑顔が消えた｡そして何故か神妙な表情になった｡こうして私たちは､私の完食を待たずに焼肉店を後にした｡
ﾎﾃﾙに戻り､塚本と別れた小島はしばらく1人でしょんぼりしていた｡時折､ため息をつきながら思いつめた表情をしている｡そんな小島の情けなさそうな雰囲気は初めて見るものだった｡
なんとなく大志君は分かっているようでﾆﾔﾆﾔしていた｡しかし私には全く理由が分からなかった｡
しばらくすると､小島は独り言のように言った｡
｢参ったな〜｡塚本に怒られちったよ…｣
だが､私はいつ小島が塚本に怒られたのか､皆目理解が出来なかった｡事実､食事中も帰りのﾀｸｼｰでも､私は小島と塚本の近くにいた｡2人から離れたこともなかった｡私が知る限り､塚本には怒っているような素振りなど微塵も感じなかった｡
不信そうな私に向かい､小島が言った｡
｢おまえにあの辛い唐辛子を食べさせて…怒られたんだよ｣
私はやっと､焼肉店での最後に塚本が､｢ﾎﾞｽ､そろそろ｣と言った言葉を思い出した｡あの何気ない言葉は､小島にとっては塚本による厳しい叱咤だったのかもしれない｡要は､はしゃぐ小島を塚本がﾃﾚﾊﾟｼｰで叱っていたのだと気づいた｡
小島と塚本…｡2人の間では､たとえ直接話をしたり､顔を合わせていなくても｢ﾃﾚﾊﾟｼｰ｣で会話がなされているという｡これは､普段会社でもよく耳にしていることではあるが､実際に小島と塚本のﾃﾚﾊﾟｼｰのやり取りを｢生｣で実感したのは､この時が初めてだった｡
その後も私は､韓国取材中､幾度となく小島と塚本のﾃﾚﾊﾟｼｰのやりとりを実感した｡夜遅くまで小島と大志君と3人でｹﾞｰﾑをして騒いでいた時も､突然､小島が顔色を変えて､｢松田､騒ぐな! 隣の部屋で塚本が怒ってるよ｣と言い出した｡案の定､次の朝､塚本は開口一番｢昨夜は何やってたの？ 超うるさかった｣と私たちは説教された｡
また､みんなでｿｳﾙの繁華街を散策中､道が完全に迷路状のために私と小島がはぐれてしまったことがある｡しかし小島は焦らず､平然と｢大丈夫だ｡この辺にいれば塚本が戻って来るから｣と言った｡果たして1分も経たずに塚本と大志君が私たちを探しにきたこともある｡
私は偶然では済まされない､そんな場面に遭遇するたび､思った｡小島と塚本は､その辺の夫婦などとは比較にならない程､通じ合っているのだと｡
そして同時に､普段は見られない､小島が塚本に怒られている様子を想像しながら､ひとりﾆﾔけるのであった…｡
(つづく)
夢現舎/松田努
2007年05月25日
番外編/夢現舎で最も重要なﾙｰﾙ〜大場由貴(小島一志/注釈入り)
｢俺(小島)と塚本の命令が違う場合は､迷わずに塚本のいうほうに従うこと!｣
これは､私が夢現舎に入社して一番始めにﾎﾞｽ(夢現舎代表･小島一志)から受けた指示だった｡そして､これは夢現舎にとってなによりも重要なﾙｰﾙである｡もちろん、一緒にこの指示を受けた同期の伊藤をはじめ､夢現舎の歴代ｽﾀｯﾌでこのﾙｰﾙを知らない者はいないだろう｡
多くの会社には｢社則｣という､社員ならば絶対に守らなければいけないﾙｰﾙがある｡書籍､雑誌の編集という少々一般とは異なる業種の夢現舎にも､もちろんたくさんのﾙｰﾙが存在する｡それは｢体調が悪く休むときの手続き上のﾙｰﾙ｣などという他の会社と同じものもあれば､ﾎﾞｽとｽﾀｯﾌが電話やﾒｰﾙでやりとりをする場合の､夢現舎独特の｢ﾎﾞｽとのﾒｰﾙまたは電話応対ﾙｰﾙ｣などというものまで幅広い｡夢現舎のｽﾀｯﾌは､そんなﾙｰﾙを忘れないために､ﾙｰﾙのすべてを自分の手でﾉｰﾄに書いた｢夢現舎ﾙｰﾙﾌﾞｯｸ｣まで持っている｡
｢ﾙｰﾙﾌﾞｯｸは常に携帯し､ﾙｰﾙの確認､追加がいつでもできるようにすること｣という､ﾙｰﾙﾌﾞｯｸに関するﾙｰﾙまで存在するほどである｡このように細則にわたる｢夢現舎ﾙｰﾙ｣の中でも､冒頭に記した｢ﾎﾞｽと塚本の命令が違う場合は､迷わず塚本のほうに従う｣というﾙｰﾙは最重要項目なのである｡指揮系統を一本化するためのﾙｰﾙだということは､私にもよくわかった｡
｢それだけの重要項目! しかも夢現舎伝統のﾙｰﾙというからには､さぞかしそんな場面に出会うことが多いのだろう｣と私は気持ちを引き締めながら､入社初のﾐｰﾃｨﾝｸﾞでﾎﾞｽからの説明を聞いていた｡思わず､｢はい!｣と大きな声で返事をした記憶さえある｡
しかし…､私は今年で入社3年になるが､今までﾎﾞｽと塚本佳子(夢現舎副代表)の意見や指示が食い違って出されたという経験は皆無である｡
ﾎﾞｽと塚本の怒ったところが瓜二つという話は､すでに他のｽﾀｯﾌがﾌﾞﾛｸﾞのｺﾗﾑなどでも書いている通り､夢現舎の関係者の間では有名な事実である｡厳しい視線で､しかし実に淡々と(ときに語気も強く､この上なく荒々しいこともあるが…)問題点を追及し､理論立てられた厳しい言葉が次々と迫ってくる｡
もちろん､それは決して一方的ではなく､反論や言い訳を返す時間も必ず与えてくれる｡しかし､まずどんな理屈を駆使して答えを返しても､所詮､付焼刃の反論など敵うはずもなく､次の瞬間には徹底的に論破されてしまう…｡それどころか､そこでちょっとでも軽はずみなことを口走れば､怒りを再燃､もしくは火に油を注ぐ結果になり､ｽﾀｯﾌは大惨事に見舞われてしまう｡かといって､ﾎﾞｽや塚本から説明を求められたことに対しては沈黙は許されない｡萎縮して黙っていると､｢何で自分のやったことの理由が話せないのか!｣と次の怒りに触れてしまうのだ｡
このように､失敗やﾄﾗﾌﾞﾙを犯したｽﾀｯﾌから四方八方逃げ道をすべて塞ぎ､失敗やﾐｽの問題点だけでなく､その人格さえ否定するという､まったくもって恐ろしい怒り方がﾎﾞｽと塚本はそっくりなのだ｡ただひとつ､ﾎﾞｽと塚本が違うところは､ﾎﾞｽは男性ｽﾀｯﾌを殴ったり蹴ったりすることがあるが､塚本は手を上げないという点だけである｡しかし､その分だけ､塚本のほうが怒りの鋭さではﾎﾞｽより上かもしれない｡
しかし､ﾎﾞｽと塚本の似ているところは､何も怒ったときの態度だけではない｡何かﾎﾞｽと塚本には見えない赤い糸で結ばれているような､妙な共通性があまりに多いのだ｡
基本的にﾎﾞｽは週に1度しか出社しない｡そのため､夢現舎のｽﾀｯﾌが通常ﾎﾞｽと連絡を取る場合は､普通､電話かﾒｰﾙになる｡
実際には､ﾎﾞｽは書籍の執筆などのため､昼夜逆転生活を送っていることが多く､報告などはﾒｰﾙになることがほとんどである｡多分､目覚めたﾎﾞｽがｽﾀｯﾌからのﾒｰﾙに目を通すのは午後か夕方になる場合が多いはずだ｡そのため､朝のﾐｰﾃｨﾝｸﾞなどの場で塚本から怒られたり叱られたｽﾀｯﾌは､簡単にことの経過をﾎﾞｽにﾒｰﾙで報告しておくことになる｡
そして夕方近く､会社にﾎﾞｽから電話がかかり､そのｽﾀｯﾌは再びﾎﾞｽから説教される｡ところが…､そのﾎﾞｽの怒りかたや理屈は塚本とそっくりなのである｡ﾄﾗﾌﾞﾙについて､ﾎﾞｽが塚本と打ち合わせや話し合いをしたはずがないのに､その論調はまさに瓜二つなのだ｡
また逆のｹｰｽもある｡たとえばﾎﾞｽに頼まれていた仕事について何らかの不備があり､それをﾎﾞｽにﾒｰﾙで報告した場合である｡こんなときのﾎﾞｽの対応は恐ろしいほど早い｡ﾒｰﾙを読んだと思われる直後にﾎﾞｽから会社に電話が入る｡そんなとき､ﾎﾞｽは塚本にその件を相談することなく直接､問題のｽﾀｯﾌを電話口に呼び出し､厳しい説教をする｡
その後､ﾎﾞｽは塚本に電話を代わることなく､｢俺に怒られた件を塚本に報告しておけ!｣と言って電話を切ってしまう｡
そのｽﾀｯﾌはそのまま塚本のﾃﾞｽｸに向かい､自分が犯した失敗を報告する｡すると､再び今度は塚本の説教が始まるのだが､その口調から理屈までﾎﾞｽとそっくりなのである｡まるで､どこかでﾎﾞｽと塚本が綿密な相談や打ち合わせをしていたとしか思えないほど､ふたりの言葉は似ているのだ｡というよりまったく同じなのである｡
ちなみに､この文章を読んでいる人の中には｢誰もが同じﾄﾗﾌﾞﾙを起こして同じ報告をすれば､上司から指摘される問題点も同じなのが当然ではないか？｣と思うかもしれない｡しかし､ﾎﾞｽと塚本の場合は指摘する際の比喩や理論立てまで､そして口調もそっくりなのだ｡
こんな偶然は普通ありえないだろう｡ましてや､それが夢現舎では日常茶飯事なのである｡
とにかく､どんなにﾎﾞｽと塚本にｽﾀｯﾌが報告の仕方を変えたり､釈明の仕方を変えても同じ言葉がふたりから返ってくるから不思議だ｡
以前､こんなことがあった｡
あるｽﾀｯﾌが､ﾎﾞｽから頼まれていた仕事の報告を､ﾎﾞｽにﾒｰﾙで送った｡その直後に､同じ報告を塚本にしにいった｡すると､彼はその場で塚本から説教をされはじめた｡そこへ､報告のﾒｰﾙを読んだであろうﾎﾞｽから会社へ電話がかかってきた｡たまたま私がﾎﾞｽの電話を受けた｡いつもなら､すぐに｢○○に代われ!｣といわれるはずだが､何故かそのときは違った｡
多分､その日のﾎﾞｽはなにかを感じたのだろう｡｢いま､○○は塚本と話してるか？」と私に聞いてきた｡私が｢はい｡そのようですが…｣と答えると､｢それじゃぁ○○に伝えといてくれ｣と､ﾎﾞｽは､そのｽﾀｯﾌの何が間違っていたか､問題の内容をそのｽﾀｯﾌに伝えるように私に指示し､そのまま電話を切った｡電話を切った後､私はしばらく様子を見ようと､塚本とｽﾀｯﾌの会話に聞き耳を立てた｡すると案の定､いまﾎﾞｽから｢伝えておけ｣といわれた内容とまったくそっくりなことを塚本はｽﾀｯﾌに話していたではないか｡
この場合も､ﾎﾞｽと塚本が相談したりする余裕はなかったはずである｡私は塚本と､そのｽﾀｯﾌになんと伝えたらいいか迷ってしまった｡
ふたりは怒り方だけではなく､怒るﾎﾟｲﾝﾄもﾀｲﾐﾝｸﾞもまったく同じなのだ｡よくﾎﾞｽは｢俺と塚本は以心伝心で何でも伝わる｣というが､正直私は信じられない｡以心伝心というより奇跡ではないだろうか？
しかも､ﾎﾞｽと塚本のすごいところは､お互いがｽﾀｯﾌを叱る怒りの程度さえも無言のうちにわかっていることだ｡先ほどの例でも､電話をしてきたﾎﾞｽは､瞬間的に塚本が○○を怒っている､しかもかなり厳しく怒っていることに気づいた｡だから､電話をとった私に｢○○にすぐ替われ｣と､普通ならば必ず口にする言葉をいわず､すべてを塚本に任せたのだ｡
夢現舎では､｢小島または塚本から怒られた場合､必ずもう一方に怒られた経緯と内容を報告する｣というﾙｰﾙがある｡たとえば､ﾎﾞｽに怒られたｽﾀｯﾌが､そのﾙｰﾙに従って塚本に報告すると､ひと通り報告を聞いた塚本は､通常改めて説教をする｡つまり､問題を起こしたｽﾀｯﾌは､ひとつのﾄﾗﾌﾞﾙで2度怒られることになる｡しかし､もしﾎﾞｽにひどく怒られた場合､塚本はﾎﾞｽが怒った様子などを聞くことなく､｢次は気をつけてね｣などと軽い叱咤で終わる｡さらには､｢こういう点はこうしたらよい｣などと丁寧なｱﾄﾞﾊﾞｲｽをくれたりもする｡もちろん､塚本が厳しく怒った後は､何故かﾎﾞｽは優しい言葉をかけてくれる｡
ﾎﾞｽと塚本がいったいどんな基準で厳しく怒るか､または優しくﾌｫﾛｰしてくれるのか？ 私たちには謎である｡ただ､ふたりの間には絶妙な呼吸がはたらいているのだろう｡少なくともお互いの心が通じ合っていなければできないことだと思う｡
以上のように､何もいわずにお互いがわかってしまっているﾎﾞｽと塚本である｡ふたりがｹﾝｶするときも以心伝心でしているようだ｡たまにﾎﾞｽは電話で､｢今日の塚本のご機嫌はどうだ？｣とさりげなく聞いてくることがある｡｢いつもの通りです｣と答えても､｢う〜ん､でもｱｲﾂは俺を怒ってるんだ…｣とつぶやいて､塚本に電話を替わらずに切ってしまうこともある｡私たちにはﾎﾞｽと塚本がｹﾝｶしていることなど皆目わからない｡
とにかく､なにもかも阿吽の呼吸なのかどうかは分からないが…｡互いのｹﾝｶまで無言でやりとりしているのだからすごい｡
私たちｽﾀｯﾌは､そういうふたりを常に見続けてきたから､いまは別段､不思議には思わない｡私も入社して3年にもなるので､もうそれが当たり前のことになってしまい驚かなくなっている｡しかし､いまこのｺﾗﾑを書くにあたり考えてみたが､たとえ夫婦でも普通の人たちでは､ﾎﾞｽと塚本のようにまで､なんについても同じ考え､同じ意見にはならないだろう｡一心同体などは理想でしかないと私は思う｡だが､ﾎﾞｽと塚本はなにもかも一心同体なのだから信じられない｡
私は改めて､ﾎﾞｽと塚本の深い心のつながりに気づいたのであった｡だから共著にして｢大山倍達正伝｣のような名作が書けたのだと思う｡あれはﾎﾞｽと塚本の奇跡的な一体感があってこその作品だと私は納得した｡
｢ﾎﾞｽと塚本の命令や意見が違う場合は､塚本に従う｣
夢現舎で最も重要とされているﾙｰﾙは､どのﾙｰﾙよりも不必要なﾙｰﾙであると､私には思えてしかたがない｡
夢現舎/大場由貴
※小島一志/注釈
大場は実に勝ち気で白黒のはっきりした利発なｽﾀｯﾌである｡相手が男性であれ先輩であれ､自分の意見は堂々と主張する｡私は大場が入社したとき､次のように言った｡
｢樫の木は凄く硬い｡柳の木はﾌﾗﾌﾗと心もとないくらいに柔らかい｡だが､一見強く見える樫の木の方が､強風にあおられたらﾎﾟｯｷﾘ折れて枯れてしまう｡しかし柳の木は､どんな強風にもなびいたり揺られたりしながらも最終的にはやり過ごしてしまう｡いまの大場はまるで樫の木のように見える｡だけど本当に強いのは一見脆い柳の木なんだよ｡塚本はまさに柳の木の典型だった｡この言葉をよく覚えておくんだよ｣
大場はそれから変わった｡
相変わらず気が強いし我も強いが､柔軟性が日々芽生えてきた｡現在､編集制作実務では八面六臂の活躍をしている｡夢現舎の若手No.1といってもいい｡
ただ､その性格故に､文章がやや硬い｡柔軟性に欠けるのが課題である｡今回のｺﾗﾑもﾌﾞﾗｯｼｭｱｯﾌﾟに随分手間取った｡勿論､大場の文章は最大限生かしているが､言葉足らずだったり､主部や述部､目的語がはっきりしていないﾏｲﾅｽは､今後努力して改善していかなければならない課題である｡
誰も完璧な人間はいない｡例外は塚本だけだ｡彼女はｶﾞﾒﾗ=怪獣だから仕方がない｡今､大場は｢長所を伸ばす｣より｢短所を埋める｣段階に入った｡ﾌﾟﾛとして､さらにｽﾃｯﾌﾟｱｯﾌﾟしていってほしいと期待している｡
ちなみに私と塚本の考え方や意見が全てｲｺｰﾙというわけではない｡まず､私と塚本ではﾋﾞｼｭｱﾙの感性が両極端に違う｡決して塚本は私のｺﾋﾟｰではないし､太鼓持ちでもない｡ただ私たちは互いの短所を常に埋め合ってきたし､感性や見方の違いをﾌﾟﾗｽに転じる努力をしてきた｡
何と言っても既に15年以上の付き合いである｡だから､いつしか言葉ではなく互いが放つ空気だけで相手の気持ちが分かるようになった｡心理学者ﾕﾝｸﾞの理論ではないが､離れていても何故か相手の気持ちも分かる｡最近ではあまりｹﾝｶはしないが､いつも私が怒られている｡会いもせず電話もせず､ﾒｰﾙもしなくとも塚本の怒りは私の心に突き刺さる｡多分､逆も同様だ｡しかし…､逆の場合､必ず塚本は居直る｡最終的に私が謝る｡男は女性より弱い｡それでいいと思っている｡ｲｻﾞｯという時に責任を取り､守るのは男の役目だからだ｡
その意味では､大場が書いたように､私たちは以心伝心で言葉に出さず､ときたまｹﾝｶをしている｡そして必ず私が謝る｡それでいいのだ｡
これは､私が夢現舎に入社して一番始めにﾎﾞｽ(夢現舎代表･小島一志)から受けた指示だった｡そして､これは夢現舎にとってなによりも重要なﾙｰﾙである｡もちろん、一緒にこの指示を受けた同期の伊藤をはじめ､夢現舎の歴代ｽﾀｯﾌでこのﾙｰﾙを知らない者はいないだろう｡
多くの会社には｢社則｣という､社員ならば絶対に守らなければいけないﾙｰﾙがある｡書籍､雑誌の編集という少々一般とは異なる業種の夢現舎にも､もちろんたくさんのﾙｰﾙが存在する｡それは｢体調が悪く休むときの手続き上のﾙｰﾙ｣などという他の会社と同じものもあれば､ﾎﾞｽとｽﾀｯﾌが電話やﾒｰﾙでやりとりをする場合の､夢現舎独特の｢ﾎﾞｽとのﾒｰﾙまたは電話応対ﾙｰﾙ｣などというものまで幅広い｡夢現舎のｽﾀｯﾌは､そんなﾙｰﾙを忘れないために､ﾙｰﾙのすべてを自分の手でﾉｰﾄに書いた｢夢現舎ﾙｰﾙﾌﾞｯｸ｣まで持っている｡
｢ﾙｰﾙﾌﾞｯｸは常に携帯し､ﾙｰﾙの確認､追加がいつでもできるようにすること｣という､ﾙｰﾙﾌﾞｯｸに関するﾙｰﾙまで存在するほどである｡このように細則にわたる｢夢現舎ﾙｰﾙ｣の中でも､冒頭に記した｢ﾎﾞｽと塚本の命令が違う場合は､迷わず塚本のほうに従う｣というﾙｰﾙは最重要項目なのである｡指揮系統を一本化するためのﾙｰﾙだということは､私にもよくわかった｡
｢それだけの重要項目! しかも夢現舎伝統のﾙｰﾙというからには､さぞかしそんな場面に出会うことが多いのだろう｣と私は気持ちを引き締めながら､入社初のﾐｰﾃｨﾝｸﾞでﾎﾞｽからの説明を聞いていた｡思わず､｢はい!｣と大きな声で返事をした記憶さえある｡
しかし…､私は今年で入社3年になるが､今までﾎﾞｽと塚本佳子(夢現舎副代表)の意見や指示が食い違って出されたという経験は皆無である｡
ﾎﾞｽと塚本の怒ったところが瓜二つという話は､すでに他のｽﾀｯﾌがﾌﾞﾛｸﾞのｺﾗﾑなどでも書いている通り､夢現舎の関係者の間では有名な事実である｡厳しい視線で､しかし実に淡々と(ときに語気も強く､この上なく荒々しいこともあるが…)問題点を追及し､理論立てられた厳しい言葉が次々と迫ってくる｡
もちろん､それは決して一方的ではなく､反論や言い訳を返す時間も必ず与えてくれる｡しかし､まずどんな理屈を駆使して答えを返しても､所詮､付焼刃の反論など敵うはずもなく､次の瞬間には徹底的に論破されてしまう…｡それどころか､そこでちょっとでも軽はずみなことを口走れば､怒りを再燃､もしくは火に油を注ぐ結果になり､ｽﾀｯﾌは大惨事に見舞われてしまう｡かといって､ﾎﾞｽや塚本から説明を求められたことに対しては沈黙は許されない｡萎縮して黙っていると､｢何で自分のやったことの理由が話せないのか!｣と次の怒りに触れてしまうのだ｡
このように､失敗やﾄﾗﾌﾞﾙを犯したｽﾀｯﾌから四方八方逃げ道をすべて塞ぎ､失敗やﾐｽの問題点だけでなく､その人格さえ否定するという､まったくもって恐ろしい怒り方がﾎﾞｽと塚本はそっくりなのだ｡ただひとつ､ﾎﾞｽと塚本が違うところは､ﾎﾞｽは男性ｽﾀｯﾌを殴ったり蹴ったりすることがあるが､塚本は手を上げないという点だけである｡しかし､その分だけ､塚本のほうが怒りの鋭さではﾎﾞｽより上かもしれない｡
しかし､ﾎﾞｽと塚本の似ているところは､何も怒ったときの態度だけではない｡何かﾎﾞｽと塚本には見えない赤い糸で結ばれているような､妙な共通性があまりに多いのだ｡
基本的にﾎﾞｽは週に1度しか出社しない｡そのため､夢現舎のｽﾀｯﾌが通常ﾎﾞｽと連絡を取る場合は､普通､電話かﾒｰﾙになる｡
実際には､ﾎﾞｽは書籍の執筆などのため､昼夜逆転生活を送っていることが多く､報告などはﾒｰﾙになることがほとんどである｡多分､目覚めたﾎﾞｽがｽﾀｯﾌからのﾒｰﾙに目を通すのは午後か夕方になる場合が多いはずだ｡そのため､朝のﾐｰﾃｨﾝｸﾞなどの場で塚本から怒られたり叱られたｽﾀｯﾌは､簡単にことの経過をﾎﾞｽにﾒｰﾙで報告しておくことになる｡
そして夕方近く､会社にﾎﾞｽから電話がかかり､そのｽﾀｯﾌは再びﾎﾞｽから説教される｡ところが…､そのﾎﾞｽの怒りかたや理屈は塚本とそっくりなのである｡ﾄﾗﾌﾞﾙについて､ﾎﾞｽが塚本と打ち合わせや話し合いをしたはずがないのに､その論調はまさに瓜二つなのだ｡
また逆のｹｰｽもある｡たとえばﾎﾞｽに頼まれていた仕事について何らかの不備があり､それをﾎﾞｽにﾒｰﾙで報告した場合である｡こんなときのﾎﾞｽの対応は恐ろしいほど早い｡ﾒｰﾙを読んだと思われる直後にﾎﾞｽから会社に電話が入る｡そんなとき､ﾎﾞｽは塚本にその件を相談することなく直接､問題のｽﾀｯﾌを電話口に呼び出し､厳しい説教をする｡
その後､ﾎﾞｽは塚本に電話を代わることなく､｢俺に怒られた件を塚本に報告しておけ!｣と言って電話を切ってしまう｡
そのｽﾀｯﾌはそのまま塚本のﾃﾞｽｸに向かい､自分が犯した失敗を報告する｡すると､再び今度は塚本の説教が始まるのだが､その口調から理屈までﾎﾞｽとそっくりなのである｡まるで､どこかでﾎﾞｽと塚本が綿密な相談や打ち合わせをしていたとしか思えないほど､ふたりの言葉は似ているのだ｡というよりまったく同じなのである｡
ちなみに､この文章を読んでいる人の中には｢誰もが同じﾄﾗﾌﾞﾙを起こして同じ報告をすれば､上司から指摘される問題点も同じなのが当然ではないか？｣と思うかもしれない｡しかし､ﾎﾞｽと塚本の場合は指摘する際の比喩や理論立てまで､そして口調もそっくりなのだ｡
こんな偶然は普通ありえないだろう｡ましてや､それが夢現舎では日常茶飯事なのである｡
とにかく､どんなにﾎﾞｽと塚本にｽﾀｯﾌが報告の仕方を変えたり､釈明の仕方を変えても同じ言葉がふたりから返ってくるから不思議だ｡
以前､こんなことがあった｡
あるｽﾀｯﾌが､ﾎﾞｽから頼まれていた仕事の報告を､ﾎﾞｽにﾒｰﾙで送った｡その直後に､同じ報告を塚本にしにいった｡すると､彼はその場で塚本から説教をされはじめた｡そこへ､報告のﾒｰﾙを読んだであろうﾎﾞｽから会社へ電話がかかってきた｡たまたま私がﾎﾞｽの電話を受けた｡いつもなら､すぐに｢○○に代われ!｣といわれるはずだが､何故かそのときは違った｡
多分､その日のﾎﾞｽはなにかを感じたのだろう｡｢いま､○○は塚本と話してるか？」と私に聞いてきた｡私が｢はい｡そのようですが…｣と答えると､｢それじゃぁ○○に伝えといてくれ｣と､ﾎﾞｽは､そのｽﾀｯﾌの何が間違っていたか､問題の内容をそのｽﾀｯﾌに伝えるように私に指示し､そのまま電話を切った｡電話を切った後､私はしばらく様子を見ようと､塚本とｽﾀｯﾌの会話に聞き耳を立てた｡すると案の定､いまﾎﾞｽから｢伝えておけ｣といわれた内容とまったくそっくりなことを塚本はｽﾀｯﾌに話していたではないか｡
この場合も､ﾎﾞｽと塚本が相談したりする余裕はなかったはずである｡私は塚本と､そのｽﾀｯﾌになんと伝えたらいいか迷ってしまった｡
ふたりは怒り方だけではなく､怒るﾎﾟｲﾝﾄもﾀｲﾐﾝｸﾞもまったく同じなのだ｡よくﾎﾞｽは｢俺と塚本は以心伝心で何でも伝わる｣というが､正直私は信じられない｡以心伝心というより奇跡ではないだろうか？
しかも､ﾎﾞｽと塚本のすごいところは､お互いがｽﾀｯﾌを叱る怒りの程度さえも無言のうちにわかっていることだ｡先ほどの例でも､電話をしてきたﾎﾞｽは､瞬間的に塚本が○○を怒っている､しかもかなり厳しく怒っていることに気づいた｡だから､電話をとった私に｢○○にすぐ替われ｣と､普通ならば必ず口にする言葉をいわず､すべてを塚本に任せたのだ｡
夢現舎では､｢小島または塚本から怒られた場合､必ずもう一方に怒られた経緯と内容を報告する｣というﾙｰﾙがある｡たとえば､ﾎﾞｽに怒られたｽﾀｯﾌが､そのﾙｰﾙに従って塚本に報告すると､ひと通り報告を聞いた塚本は､通常改めて説教をする｡つまり､問題を起こしたｽﾀｯﾌは､ひとつのﾄﾗﾌﾞﾙで2度怒られることになる｡しかし､もしﾎﾞｽにひどく怒られた場合､塚本はﾎﾞｽが怒った様子などを聞くことなく､｢次は気をつけてね｣などと軽い叱咤で終わる｡さらには､｢こういう点はこうしたらよい｣などと丁寧なｱﾄﾞﾊﾞｲｽをくれたりもする｡もちろん､塚本が厳しく怒った後は､何故かﾎﾞｽは優しい言葉をかけてくれる｡
ﾎﾞｽと塚本がいったいどんな基準で厳しく怒るか､または優しくﾌｫﾛｰしてくれるのか？ 私たちには謎である｡ただ､ふたりの間には絶妙な呼吸がはたらいているのだろう｡少なくともお互いの心が通じ合っていなければできないことだと思う｡
以上のように､何もいわずにお互いがわかってしまっているﾎﾞｽと塚本である｡ふたりがｹﾝｶするときも以心伝心でしているようだ｡たまにﾎﾞｽは電話で､｢今日の塚本のご機嫌はどうだ？｣とさりげなく聞いてくることがある｡｢いつもの通りです｣と答えても､｢う〜ん､でもｱｲﾂは俺を怒ってるんだ…｣とつぶやいて､塚本に電話を替わらずに切ってしまうこともある｡私たちにはﾎﾞｽと塚本がｹﾝｶしていることなど皆目わからない｡
とにかく､なにもかも阿吽の呼吸なのかどうかは分からないが…｡互いのｹﾝｶまで無言でやりとりしているのだからすごい｡
私たちｽﾀｯﾌは､そういうふたりを常に見続けてきたから､いまは別段､不思議には思わない｡私も入社して3年にもなるので､もうそれが当たり前のことになってしまい驚かなくなっている｡しかし､いまこのｺﾗﾑを書くにあたり考えてみたが､たとえ夫婦でも普通の人たちでは､ﾎﾞｽと塚本のようにまで､なんについても同じ考え､同じ意見にはならないだろう｡一心同体などは理想でしかないと私は思う｡だが､ﾎﾞｽと塚本はなにもかも一心同体なのだから信じられない｡
私は改めて､ﾎﾞｽと塚本の深い心のつながりに気づいたのであった｡だから共著にして｢大山倍達正伝｣のような名作が書けたのだと思う｡あれはﾎﾞｽと塚本の奇跡的な一体感があってこその作品だと私は納得した｡
｢ﾎﾞｽと塚本の命令や意見が違う場合は､塚本に従う｣
夢現舎で最も重要とされているﾙｰﾙは､どのﾙｰﾙよりも不必要なﾙｰﾙであると､私には思えてしかたがない｡
夢現舎/大場由貴
※小島一志/注釈
大場は実に勝ち気で白黒のはっきりした利発なｽﾀｯﾌである｡相手が男性であれ先輩であれ､自分の意見は堂々と主張する｡私は大場が入社したとき､次のように言った｡
｢樫の木は凄く硬い｡柳の木はﾌﾗﾌﾗと心もとないくらいに柔らかい｡だが､一見強く見える樫の木の方が､強風にあおられたらﾎﾟｯｷﾘ折れて枯れてしまう｡しかし柳の木は､どんな強風にもなびいたり揺られたりしながらも最終的にはやり過ごしてしまう｡いまの大場はまるで樫の木のように見える｡だけど本当に強いのは一見脆い柳の木なんだよ｡塚本はまさに柳の木の典型だった｡この言葉をよく覚えておくんだよ｣
大場はそれから変わった｡
相変わらず気が強いし我も強いが､柔軟性が日々芽生えてきた｡現在､編集制作実務では八面六臂の活躍をしている｡夢現舎の若手No.1といってもいい｡
ただ､その性格故に､文章がやや硬い｡柔軟性に欠けるのが課題である｡今回のｺﾗﾑもﾌﾞﾗｯｼｭｱｯﾌﾟに随分手間取った｡勿論､大場の文章は最大限生かしているが､言葉足らずだったり､主部や述部､目的語がはっきりしていないﾏｲﾅｽは､今後努力して改善していかなければならない課題である｡
誰も完璧な人間はいない｡例外は塚本だけだ｡彼女はｶﾞﾒﾗ=怪獣だから仕方がない｡今､大場は｢長所を伸ばす｣より｢短所を埋める｣段階に入った｡ﾌﾟﾛとして､さらにｽﾃｯﾌﾟｱｯﾌﾟしていってほしいと期待している｡
ちなみに私と塚本の考え方や意見が全てｲｺｰﾙというわけではない｡まず､私と塚本ではﾋﾞｼｭｱﾙの感性が両極端に違う｡決して塚本は私のｺﾋﾟｰではないし､太鼓持ちでもない｡ただ私たちは互いの短所を常に埋め合ってきたし､感性や見方の違いをﾌﾟﾗｽに転じる努力をしてきた｡
何と言っても既に15年以上の付き合いである｡だから､いつしか言葉ではなく互いが放つ空気だけで相手の気持ちが分かるようになった｡心理学者ﾕﾝｸﾞの理論ではないが､離れていても何故か相手の気持ちも分かる｡最近ではあまりｹﾝｶはしないが､いつも私が怒られている｡会いもせず電話もせず､ﾒｰﾙもしなくとも塚本の怒りは私の心に突き刺さる｡多分､逆も同様だ｡しかし…､逆の場合､必ず塚本は居直る｡最終的に私が謝る｡男は女性より弱い｡それでいいと思っている｡ｲｻﾞｯという時に責任を取り､守るのは男の役目だからだ｡
その意味では､大場が書いたように､私たちは以心伝心で言葉に出さず､ときたまｹﾝｶをしている｡そして必ず私が謝る｡それでいいのだ｡
2007年05月23日
番外編/赤羽物語(2)〜小島孝則(小島一志/注釈入り)
●｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣と船の科学館
ある日､私は兄に連れられ､｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣というｱﾆﾒの映画を観に行った｡
｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣は､太平洋戦争時に沈められた戦艦大和をもとに宇宙を飛べるよう大改造された｢ﾔﾏﾄ｣が､地球侵略を企む宇宙人たちの軍と戦うSFｱﾆﾒだ｡1970年代後半から80年代前半まで､当時の子どもたちで知らない者はいないほど､有名で大人気のｱﾆﾒだった｡私も夢中になって毎週､ﾃﾚﾋﾞの前に釘付けになったものである｡
なんといっても｢ﾔﾏﾄ｣という言葉に私は惹かれた｡太平洋戦争のことなど何も知らない子どもでも､悲劇の戦艦･大和の名前だけは知っていた｡後年､私は｢少年自衛隊｣の道に進むことになるが､この｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の影響が心のどこかにあったのは間違いないだろう｡
私が兄と観たのは映画向け作品の第2作目で､｢ﾔﾏﾄ｣が地球を守るために､敵の超巨大戦艦に体当たりして果てるという内容だった｡私は衝撃的な結末で終わった映画にｼｮｯｸを受け､｢ﾔﾏﾄが死んでしまった…｣と映画館を出ても泣き続けた｡映画を観た帰りに外で何か食べたはずなのだが､｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のことだけで頭が一杯だったせいか､まったく覚えていない｡
弟を喜ばせるつもりで映画に連れて行ったにもかかわらず､そんな醜態をさらす私に､兄は相当困ったと思う｡ただ､兄は兄で｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣に感動していたようだ｡だから､外食をしながらも泣き続ける私に兄は何にもいわなかった｡そのとき､私の記憶が正しいならば､兄は次のように呟いた｡
｢俺も大学出たら､防衛庁か自衛隊に入ろうかな…｣
実際､兄が自衛隊入りを具体的に考えていたのは事実である｡いまでも兄は､よく｢防衛庁か自衛隊に入っていたら俺の人生は変わっていただろうな…｣ということがある｡
その日の夜､兄とふたりで銭湯に行った帰り道だった｡
私は相変わらずふさぎ込んでいた｡いつになっても私の頭からは｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の悲しい最後のｼｰﾝが消えなかった｡そんな私の気持ちを察してか､相変わらず兄もほとんど話さなかった｡兄の履いている鉄下駄の音だけが､｢ｶﾞﾗﾝ､ｺﾞﾛﾝ｣と夜の路地に響いていたのを覚えている｡
銭湯を出て､兄のｱﾊﾟｰﾄの近所にある小さなｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄの前まで来た時だった｡それまで聞こえていた鉄下駄の音がﾋﾟﾀﾘと止んだ｡見上げると兄が私を見て笑っていた｡兄は言った｡
｢孝則さ､船の科学館に行こうか？｣
｢船のかがくかん？｣
｢うん､船の科学館だよ｡まあ､船についての博物館だな｡大きな船もたくさん展示してあるらしいぜ｡戦艦とかもよ｣
｢戦艦？ 本当？｣
｢そうだよ｡本当に日本の海軍で使われていた本物の戦艦が展示されてるらしいよ｡まあ戦艦といっても大和みたいにﾃﾞｶｲやつじゃないだろうけどな｣
｢すごい! 本物の船見たい!｣
｢よし､孝則､じゃあ明日行くぞ｣
｢行く行く｡すごい!｣
｢おう､じゃあそこの店でｺｰﾗを買って帰ろうぜ｣
急に元気になった私は､兄と一緒にｺｰﾗやお菓子をｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄで買い､ｱﾊﾟｰﾄに戻った｡部屋に着いた兄はさっそく地図を取り出した｡｢どこだ､どこだ？ たしか埋め立て地の方にあるはずなんだよな｡羽田か夢の島の方だっけかな｣などとｺｶｺｰﾗを飲みながら､船の科学館のある最寄り駅を調べ始めた｡私も兄にくっついて読めない地図を目で追った｡
こうして私は､翌日兄に船が展示されている博物館に連れて行ってもらうことになった｡兄としては､ふさぎ込んでいる私を元気にさせようと､あれこれ考えてくれたのだと思う｡小学生がｱﾆﾒや映画を観てｼｮｯｸを受けるなど､いま考えればとるに足らないことである｡だが､兄はそんな些細なことにも気を遣ってくれるところがあった｡
とにかく兄は何についても両極端だった｡ときには冷たく突き放すようなところもあった｡そんな兄の態度も､ひょっとしたら兄なりの愛情表現だったのかもしれないが…｡
余談だが､現在､夢現舎では伝説の空手家･芦原英幸の長男･英典氏による語り降ろし作品｢我が父･芦原英幸｣を制作している｡実際のｱﾝｶｰ作業は小島一志が担当するが､私はﾃﾞｰﾀ取材担当として英典氏に長時間のｲﾝﾀﾋﾞｭｰを行った｡英典氏が語る芦原英幸像は凄まじいほどに強く､豪快で､しかしきわめて繊細で臆病な人物であった｡
特に､息子である英典氏に対する父としての芦原英幸は､濃密な優しさを見せながらも､一方では冷酷なまでに毅然とした態度で接したという｡私は英典氏が語る父親の思い出を聞きながら､ﾌｯと兄を思い出した｡
｢そういえば兄貴もそうだった｣
考えれば考えるほど､芦原英幸と小島一志の姿がﾀﾞﾌﾞｯて見えてきた｡
兄は自ら｢俺の生涯の恩人であり尊敬する人間は芦原英幸だけである｣と公言している｡だから芦原英幸氏と出会った兄が､その後､人生や生活に関するあらゆることで彼の影響を受けたのは想像に難くない｡だが､よく考えてみれば元々､兄と芦原英幸氏の｢気質｣が似ていたともいえる｡芦原英幸という人物が希代の空手家であったことは疑いない事実である｡だが､兄が芦原英幸氏に惹かれたのは､そこに生まれながらに持っていた類似性を彼に感じたからではないだろうか？ 要は芦原英幸と小島一志は人間的に｢似た者同士｣ということである｡
それほどに､英典氏が語る父親の姿は､私が幼いときに見た兄に似ていた｡
話をあの日のことに戻そう｡
当時の私は､そんな兄の心遣いがわかるはずもなく､ただ単純に本物の大きな船を観られることを喜んでいた(私はそれまで､漁船程度の大きさの船しか観たことがなかった)｡もう､そのときはすでに｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のことなど頭からふっ飛んでいたのだった｡
翌日､私たちは船の科学館に向かった｡普段は昼まで起きない兄も､その日は珍しく早起きした｡いつも私が悩まされていたｷﾞﾀｰでの弾き語り独演会｢小島一志ｵﾝｽﾃｰｼﾞ｣もお休みで､私たちは午前の早い時間にｱﾊﾟｰﾄを出た｡
とにかく船の科学館は遠かった記憶しかない｡現在は､地図で見るかぎり｢ゆりかもめ｣ですぐに行けるようだが､当時はそんな便利な鉄道はなかった｡何度も電車を乗り継ぎ､たしか羽田行きのﾓﾉﾚｰﾙに乗った気がする｡
目的の駅に着いたときにはとっくに昼を過ぎていた｡駅を出ると空は薄暗く､雨がｼﾄｼﾄと降り出していた｡しかし兄も私もそんなことは気にせず､昼食もとらず､船の科学館を目指して歩き続けた｡
兄は､｢孝則､もうすぐ本物の船が観られるぞ｡頑張れ!｣と息を弾ませながら､私を励ました｡私も｢うん､あと少しだね｣と答えながら一生懸命に小走りで兄を追った｡
繰り返すが､とにかく船の科学館は駅から遠かった｡兄がいうように埋め立て地なので周囲は草ﾎﾞｳﾎﾞｳで､ﾋﾞﾙや建物なんてほとんどなかった｡
目印もなく､兄は途中で何度か道に迷ったようだ｡だから何ｷﾛ歩いたかわからない｡兄は何度も私を気遣う言葉を吐いた｡しかし､私はまったく疲れていなかった｡それよりも私は大きな船を観られる嬉しさで頭が一杯になっていたのだ｡
歩き始めて約1時間後､私たちはようやく目的地･船の科学館にたどり着いた｡入口には広い駐車場があった｡だが､何故かその広大な敷地には車が3台程度しか停まっていなかった｡周辺には人気もない｡私は何となく悪い予感がした｡しかし､兄は特に気にしてないようだった｡
｢今日は平日だし､雨が降っているからお客さんも少ないのかな？ ﾗｯｷｰだな｡孝則よ､ゆっくり観られるぞ｣
いつもの大声で兄はいうと､駐車場の中央を突っ切り､屋根のある場所まで一気にﾀﾞｯｼｭした｡私も後から走った｡屋根のある場所に着くと､兄はﾊﾞｯｸﾞからｽﾎﾟｰﾂﾀｵﾙを引っ張り出して私の頭を拭いた｡雨はさらに激しくなっていた｡兄は私を置いて奥の受付に向かった｡私はﾀｵﾙで体を拭きながら震えていた｡しかし私は寒いと感じなかった｡
｢やったあ｡やっと本物の船が観られるんだ! やったあ｣
私はいよいよ実物の大きな船が観られるという嬉しさで､最高潮の気分に達していた｡そして素早く体を拭き終え､兄の走っていったほうに歩き始めた｡そのときだった｡
｢ひょえ〜っ!｣
突然､兄が走っていった方向から奇怪な声が聞こえた｡兄の声だった｡しかしその声は､私が今までに聞いたことのない異常に高いものだった｡私は驚きのあ まり､一瞬立ち止まってしまった｡
｢な､何だ？ いったい何があったんだ？｣
兄の異様な声に恐怖を感じつつも好奇心のほうが勝り､私は兄の様子を確かめるために恐る恐る歩き始めた｡受付のある建物に入ると､はるか先にある受付のほうから兄が歩いて来る｡
見ると､兄は口を大きく開け､顔の両脇まで手の平を挙げて､両手を左右に振っていた｡そして不気味なうすら笑いを浮かべていた｡
｢どうしたの? お兄ちゃん､それ何？ 何やってんのさ？｣
私は兄に聞いた｡しかし兄は私の質問には応えず､視線をどこかに向けたまま､信じられないことを口にした｡
｢孝則､今日､休みだって!｣
｢？…｣
｢だから休みなんだってよ｡船の科学館､今日はやってないんだって｣
｢え〜っ!｣
この日､船の科学館は特別休館日だった｡
普段は営業をしているのだが､たまたま私たちが訪れたこの日が特別休館日となっていた｡当時は現在のように手軽にｲﾝﾀｰﾈｯﾄで情報を得られる時代ではない｡行く前に電話の1本もしておけばよかったのだが､｢特別休館日｣という名の休日があることさえ知らなかったのだからどうしようもない｡
私も兄もあまりの予想外の出来事に､思わず笑い出した｡ただ､私は笑いながら涙が止まらなかった｡それでも笑うしかなかった｡私たちは笑いながら船の科学館を後にしたのだった｡
赤羽に戻った兄と私はﾀﾞｲｴｰ(当日､赤羽で1番大きなｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄだった)の中にある玩具売り場に向かった｡本物の船が観られなかった代わりに､兄は奮発して大きな｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のﾌﾟﾗﾓﾃﾞﾙを買ってくれた｡そして一緒にｱﾊﾟｰﾄで作ることにした｡
あれ以来､私は船の科学館に行っていない｡兄も行っていないという…｡
夢現舎/編集長･小島孝則
小島一志/注釈
1980年前後の話である｡
弟を連れて船の科学館に向かったのはいいが､散々な目に遭ったのを覚えている｡孝則が書いたように､当時は何にもない荒涼たる埋め立て地だった｡今はお台場だ､有明だなどと賑わっているが､まるで夢のようである｡夏の暑い日だった｡私たちは夕立の雨の中を歩き続けた｡
弟には本当に申し訳ない事をしたと今も悔やんでいる｡私は決していい兄ではなかった｡弟を可愛いとは思っていたし､かけがえのない兄弟である｡だが私自身がまだ子どもだった｡弟に対する可愛がり方は多分に自己中心的なものだった｡その分､とても辛く当たった事も少なくない｡せっかく､あの煩い父親のもとから離れて私のもとにきたのに､逆に弟には悲しい思いをさせてしまった事もある｡
ただ…､せめて私なりの弟への｢気持ち｣だった事は分かってほしい｡私はいい兄ではなかったが､弟をこの上なく可愛いと思っていた事だけは｡
ちなみに､私も｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣は記憶に強く残っている｡登場人物が､みな新撰組の隊士から名前をとっていたはずだ｡そこに､戦艦大和の悲劇と新撰組の悲劇が重なって私には感じられた｡特に｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の影響というわけではないが､当時私は真剣に防衛庁か自衛隊に入る事を考えていた｡私が慕っていた極真会館の先輩･T氏が海上自衛隊に入ったという事もあり､私も江田島に行くつもりだった｡
しかし､結局あまり勉強もしなかった私は公務員の道を諦めて現在のようなﾔｸｻﾞな世界に入ってしまった｡その点､中学を卒業した弟が少年自衛隊の道に進んだ時は頼もしく思った｡そんな弟も防衛大に進まず自衛隊を退役し､普通の大学に進み､今は私と同じ世界にいる｡不思議なものである｡
そんな弟も､来年は夢現舎から独立する事が決まった｡いわゆる｢暖簾分け｣という形である｡思えばｱﾙﾊﾞｲﾄ､契約社員時代を加えると､ちょうど今年で10年目という事になる｡塚本についで古参のｽﾀｯﾌである｡孝則が夢現舎を離れる事は実に寂しい｡私には本当に塚本しかいなくなる｡これで塚本が離れるなんて事になれば私は一巻の終わりである｡こうなったら塚本には一生､一緒にいてもらわなければならない｡
まだまだ実力的には未熟者の弟である｡夢現舎とは兄弟会社として､これからも協力体制を組んでいければと願っている｡何故なら､いくら強がりを言ってみても､私たちは兄弟だからである｡その絆は永遠でなければならない｡
ある日､私は兄に連れられ､｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣というｱﾆﾒの映画を観に行った｡
｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣は､太平洋戦争時に沈められた戦艦大和をもとに宇宙を飛べるよう大改造された｢ﾔﾏﾄ｣が､地球侵略を企む宇宙人たちの軍と戦うSFｱﾆﾒだ｡1970年代後半から80年代前半まで､当時の子どもたちで知らない者はいないほど､有名で大人気のｱﾆﾒだった｡私も夢中になって毎週､ﾃﾚﾋﾞの前に釘付けになったものである｡
なんといっても｢ﾔﾏﾄ｣という言葉に私は惹かれた｡太平洋戦争のことなど何も知らない子どもでも､悲劇の戦艦･大和の名前だけは知っていた｡後年､私は｢少年自衛隊｣の道に進むことになるが､この｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の影響が心のどこかにあったのは間違いないだろう｡
私が兄と観たのは映画向け作品の第2作目で､｢ﾔﾏﾄ｣が地球を守るために､敵の超巨大戦艦に体当たりして果てるという内容だった｡私は衝撃的な結末で終わった映画にｼｮｯｸを受け､｢ﾔﾏﾄが死んでしまった…｣と映画館を出ても泣き続けた｡映画を観た帰りに外で何か食べたはずなのだが､｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のことだけで頭が一杯だったせいか､まったく覚えていない｡
弟を喜ばせるつもりで映画に連れて行ったにもかかわらず､そんな醜態をさらす私に､兄は相当困ったと思う｡ただ､兄は兄で｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣に感動していたようだ｡だから､外食をしながらも泣き続ける私に兄は何にもいわなかった｡そのとき､私の記憶が正しいならば､兄は次のように呟いた｡
｢俺も大学出たら､防衛庁か自衛隊に入ろうかな…｣
実際､兄が自衛隊入りを具体的に考えていたのは事実である｡いまでも兄は､よく｢防衛庁か自衛隊に入っていたら俺の人生は変わっていただろうな…｣ということがある｡
その日の夜､兄とふたりで銭湯に行った帰り道だった｡
私は相変わらずふさぎ込んでいた｡いつになっても私の頭からは｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の悲しい最後のｼｰﾝが消えなかった｡そんな私の気持ちを察してか､相変わらず兄もほとんど話さなかった｡兄の履いている鉄下駄の音だけが､｢ｶﾞﾗﾝ､ｺﾞﾛﾝ｣と夜の路地に響いていたのを覚えている｡
銭湯を出て､兄のｱﾊﾟｰﾄの近所にある小さなｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄの前まで来た時だった｡それまで聞こえていた鉄下駄の音がﾋﾟﾀﾘと止んだ｡見上げると兄が私を見て笑っていた｡兄は言った｡
｢孝則さ､船の科学館に行こうか？｣
｢船のかがくかん？｣
｢うん､船の科学館だよ｡まあ､船についての博物館だな｡大きな船もたくさん展示してあるらしいぜ｡戦艦とかもよ｣
｢戦艦？ 本当？｣
｢そうだよ｡本当に日本の海軍で使われていた本物の戦艦が展示されてるらしいよ｡まあ戦艦といっても大和みたいにﾃﾞｶｲやつじゃないだろうけどな｣
｢すごい! 本物の船見たい!｣
｢よし､孝則､じゃあ明日行くぞ｣
｢行く行く｡すごい!｣
｢おう､じゃあそこの店でｺｰﾗを買って帰ろうぜ｣
急に元気になった私は､兄と一緒にｺｰﾗやお菓子をｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄで買い､ｱﾊﾟｰﾄに戻った｡部屋に着いた兄はさっそく地図を取り出した｡｢どこだ､どこだ？ たしか埋め立て地の方にあるはずなんだよな｡羽田か夢の島の方だっけかな｣などとｺｶｺｰﾗを飲みながら､船の科学館のある最寄り駅を調べ始めた｡私も兄にくっついて読めない地図を目で追った｡
こうして私は､翌日兄に船が展示されている博物館に連れて行ってもらうことになった｡兄としては､ふさぎ込んでいる私を元気にさせようと､あれこれ考えてくれたのだと思う｡小学生がｱﾆﾒや映画を観てｼｮｯｸを受けるなど､いま考えればとるに足らないことである｡だが､兄はそんな些細なことにも気を遣ってくれるところがあった｡
とにかく兄は何についても両極端だった｡ときには冷たく突き放すようなところもあった｡そんな兄の態度も､ひょっとしたら兄なりの愛情表現だったのかもしれないが…｡
余談だが､現在､夢現舎では伝説の空手家･芦原英幸の長男･英典氏による語り降ろし作品｢我が父･芦原英幸｣を制作している｡実際のｱﾝｶｰ作業は小島一志が担当するが､私はﾃﾞｰﾀ取材担当として英典氏に長時間のｲﾝﾀﾋﾞｭｰを行った｡英典氏が語る芦原英幸像は凄まじいほどに強く､豪快で､しかしきわめて繊細で臆病な人物であった｡
特に､息子である英典氏に対する父としての芦原英幸は､濃密な優しさを見せながらも､一方では冷酷なまでに毅然とした態度で接したという｡私は英典氏が語る父親の思い出を聞きながら､ﾌｯと兄を思い出した｡
｢そういえば兄貴もそうだった｣
考えれば考えるほど､芦原英幸と小島一志の姿がﾀﾞﾌﾞｯて見えてきた｡
兄は自ら｢俺の生涯の恩人であり尊敬する人間は芦原英幸だけである｣と公言している｡だから芦原英幸氏と出会った兄が､その後､人生や生活に関するあらゆることで彼の影響を受けたのは想像に難くない｡だが､よく考えてみれば元々､兄と芦原英幸氏の｢気質｣が似ていたともいえる｡芦原英幸という人物が希代の空手家であったことは疑いない事実である｡だが､兄が芦原英幸氏に惹かれたのは､そこに生まれながらに持っていた類似性を彼に感じたからではないだろうか？ 要は芦原英幸と小島一志は人間的に｢似た者同士｣ということである｡
それほどに､英典氏が語る父親の姿は､私が幼いときに見た兄に似ていた｡
話をあの日のことに戻そう｡
当時の私は､そんな兄の心遣いがわかるはずもなく､ただ単純に本物の大きな船を観られることを喜んでいた(私はそれまで､漁船程度の大きさの船しか観たことがなかった)｡もう､そのときはすでに｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のことなど頭からふっ飛んでいたのだった｡
翌日､私たちは船の科学館に向かった｡普段は昼まで起きない兄も､その日は珍しく早起きした｡いつも私が悩まされていたｷﾞﾀｰでの弾き語り独演会｢小島一志ｵﾝｽﾃｰｼﾞ｣もお休みで､私たちは午前の早い時間にｱﾊﾟｰﾄを出た｡
とにかく船の科学館は遠かった記憶しかない｡現在は､地図で見るかぎり｢ゆりかもめ｣ですぐに行けるようだが､当時はそんな便利な鉄道はなかった｡何度も電車を乗り継ぎ､たしか羽田行きのﾓﾉﾚｰﾙに乗った気がする｡
目的の駅に着いたときにはとっくに昼を過ぎていた｡駅を出ると空は薄暗く､雨がｼﾄｼﾄと降り出していた｡しかし兄も私もそんなことは気にせず､昼食もとらず､船の科学館を目指して歩き続けた｡
兄は､｢孝則､もうすぐ本物の船が観られるぞ｡頑張れ!｣と息を弾ませながら､私を励ました｡私も｢うん､あと少しだね｣と答えながら一生懸命に小走りで兄を追った｡
繰り返すが､とにかく船の科学館は駅から遠かった｡兄がいうように埋め立て地なので周囲は草ﾎﾞｳﾎﾞｳで､ﾋﾞﾙや建物なんてほとんどなかった｡
目印もなく､兄は途中で何度か道に迷ったようだ｡だから何ｷﾛ歩いたかわからない｡兄は何度も私を気遣う言葉を吐いた｡しかし､私はまったく疲れていなかった｡それよりも私は大きな船を観られる嬉しさで頭が一杯になっていたのだ｡
歩き始めて約1時間後､私たちはようやく目的地･船の科学館にたどり着いた｡入口には広い駐車場があった｡だが､何故かその広大な敷地には車が3台程度しか停まっていなかった｡周辺には人気もない｡私は何となく悪い予感がした｡しかし､兄は特に気にしてないようだった｡
｢今日は平日だし､雨が降っているからお客さんも少ないのかな？ ﾗｯｷｰだな｡孝則よ､ゆっくり観られるぞ｣
いつもの大声で兄はいうと､駐車場の中央を突っ切り､屋根のある場所まで一気にﾀﾞｯｼｭした｡私も後から走った｡屋根のある場所に着くと､兄はﾊﾞｯｸﾞからｽﾎﾟｰﾂﾀｵﾙを引っ張り出して私の頭を拭いた｡雨はさらに激しくなっていた｡兄は私を置いて奥の受付に向かった｡私はﾀｵﾙで体を拭きながら震えていた｡しかし私は寒いと感じなかった｡
｢やったあ｡やっと本物の船が観られるんだ! やったあ｣
私はいよいよ実物の大きな船が観られるという嬉しさで､最高潮の気分に達していた｡そして素早く体を拭き終え､兄の走っていったほうに歩き始めた｡そのときだった｡
｢ひょえ〜っ!｣
突然､兄が走っていった方向から奇怪な声が聞こえた｡兄の声だった｡しかしその声は､私が今までに聞いたことのない異常に高いものだった｡私は驚きのあ まり､一瞬立ち止まってしまった｡
｢な､何だ？ いったい何があったんだ？｣
兄の異様な声に恐怖を感じつつも好奇心のほうが勝り､私は兄の様子を確かめるために恐る恐る歩き始めた｡受付のある建物に入ると､はるか先にある受付のほうから兄が歩いて来る｡
見ると､兄は口を大きく開け､顔の両脇まで手の平を挙げて､両手を左右に振っていた｡そして不気味なうすら笑いを浮かべていた｡
｢どうしたの? お兄ちゃん､それ何？ 何やってんのさ？｣
私は兄に聞いた｡しかし兄は私の質問には応えず､視線をどこかに向けたまま､信じられないことを口にした｡
｢孝則､今日､休みだって!｣
｢？…｣
｢だから休みなんだってよ｡船の科学館､今日はやってないんだって｣
｢え〜っ!｣
この日､船の科学館は特別休館日だった｡
普段は営業をしているのだが､たまたま私たちが訪れたこの日が特別休館日となっていた｡当時は現在のように手軽にｲﾝﾀｰﾈｯﾄで情報を得られる時代ではない｡行く前に電話の1本もしておけばよかったのだが､｢特別休館日｣という名の休日があることさえ知らなかったのだからどうしようもない｡
私も兄もあまりの予想外の出来事に､思わず笑い出した｡ただ､私は笑いながら涙が止まらなかった｡それでも笑うしかなかった｡私たちは笑いながら船の科学館を後にしたのだった｡
赤羽に戻った兄と私はﾀﾞｲｴｰ(当日､赤羽で1番大きなｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄだった)の中にある玩具売り場に向かった｡本物の船が観られなかった代わりに､兄は奮発して大きな｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣のﾌﾟﾗﾓﾃﾞﾙを買ってくれた｡そして一緒にｱﾊﾟｰﾄで作ることにした｡
あれ以来､私は船の科学館に行っていない｡兄も行っていないという…｡
夢現舎/編集長･小島孝則
小島一志/注釈
1980年前後の話である｡
弟を連れて船の科学館に向かったのはいいが､散々な目に遭ったのを覚えている｡孝則が書いたように､当時は何にもない荒涼たる埋め立て地だった｡今はお台場だ､有明だなどと賑わっているが､まるで夢のようである｡夏の暑い日だった｡私たちは夕立の雨の中を歩き続けた｡
弟には本当に申し訳ない事をしたと今も悔やんでいる｡私は決していい兄ではなかった｡弟を可愛いとは思っていたし､かけがえのない兄弟である｡だが私自身がまだ子どもだった｡弟に対する可愛がり方は多分に自己中心的なものだった｡その分､とても辛く当たった事も少なくない｡せっかく､あの煩い父親のもとから離れて私のもとにきたのに､逆に弟には悲しい思いをさせてしまった事もある｡
ただ…､せめて私なりの弟への｢気持ち｣だった事は分かってほしい｡私はいい兄ではなかったが､弟をこの上なく可愛いと思っていた事だけは｡
ちなみに､私も｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣は記憶に強く残っている｡登場人物が､みな新撰組の隊士から名前をとっていたはずだ｡そこに､戦艦大和の悲劇と新撰組の悲劇が重なって私には感じられた｡特に｢宇宙戦艦ﾔﾏﾄ｣の影響というわけではないが､当時私は真剣に防衛庁か自衛隊に入る事を考えていた｡私が慕っていた極真会館の先輩･T氏が海上自衛隊に入ったという事もあり､私も江田島に行くつもりだった｡
しかし､結局あまり勉強もしなかった私は公務員の道を諦めて現在のようなﾔｸｻﾞな世界に入ってしまった｡その点､中学を卒業した弟が少年自衛隊の道に進んだ時は頼もしく思った｡そんな弟も防衛大に進まず自衛隊を退役し､普通の大学に進み､今は私と同じ世界にいる｡不思議なものである｡
そんな弟も､来年は夢現舎から独立する事が決まった｡いわゆる｢暖簾分け｣という形である｡思えばｱﾙﾊﾞｲﾄ､契約社員時代を加えると､ちょうど今年で10年目という事になる｡塚本についで古参のｽﾀｯﾌである｡孝則が夢現舎を離れる事は実に寂しい｡私には本当に塚本しかいなくなる｡これで塚本が離れるなんて事になれば私は一巻の終わりである｡こうなったら塚本には一生､一緒にいてもらわなければならない｡
まだまだ実力的には未熟者の弟である｡夢現舎とは兄弟会社として､これからも協力体制を組んでいければと願っている｡何故なら､いくら強がりを言ってみても､私たちは兄弟だからである｡その絆は永遠でなければならない｡
2007年05月20日
番外編/夢現舎の長い長い１日〜伊藤昴
夢現舎の長い長い一日は､1本の電話から始まる…｡
10:00 会社の始業時間｡
ｽﾀｯﾌ全員が会社の奥にあるﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に集まり､実務に関する打ち合わせを行なう｡これを｢ｽﾀｯﾌﾐｰﾃｨﾝｸﾞ｣と呼ぶ｡
その後､副代表の塚本佳子が加わり､毎朝定例の｢ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ｣が始まる｡このﾐｰﾃｨﾝｸﾞの張りつめた空気は､ﾌﾞﾛｸﾞの読者ならば周知の通りだろう｡ﾐｰﾃｨﾝｸﾞを仕切る塚本の一言一句にｽﾀｯﾌ全員が緊張する時間だ｡
ｽﾀｯﾌが曖昧な報告をしたり､塚本の質問に明確に答えられなかったり､やるべきことをやらないでいたりすると､容赦のない塚本の叱咤が飛ぶ｡長いときには1時間以上も説教されることも少なくない｡
塚本の厳しさと鋭さは､ある意味でﾎﾞｽ(代表の小島一志)以上と言っても過言ではない｡
11:30 ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ終了｡
塚本の仕切るﾐｰﾃｨﾝｸﾞにて気が引き締まったところで､さっそくｽﾀｯﾌ全員が自分の席に戻り実務に取りかかる｡中には早速､塚本からきつい指導を受けてうなだれるｽﾀｯﾌもいる｡
これが､毎日繰り返される夢現舎の一日のｽﾀｰﾄだ｡
夢現舎は何から何まで塚本が管理し､隅々まで把握している｡ﾊﾟｽﾞﾙの定期媒体だろうがｸｲｽﾞや占いの書籍だろうが､空手の技術書だろうが､表紙のﾃﾞｻﾞｲﾝや本文の内容からﾋﾞｼﾞｭｱﾙまで､必ず塚本の厳しいﾁｪｯｸが入る｡
さらには夢現舎の金銭的管理から､ひいては年中行事のお中元やお歳暮の送り先から贈る品物も､年末の年賀状に至るまで､すべて塚本がｽﾀｯﾌたちに担当を決めて隙のない指示をする｡顧問会計士や顧問弁護士とのやり取りも塚本が一手に引き受けている｡ｸﾗｲｱﾝﾄとの間にﾄﾗﾌﾞﾙがあったときの対応も実に素早い｡
｢ﾎﾞｽには私から報告しておくからそのようにしてください｣
毅然とした口調で的確な指示をｽﾀｯﾌに命じる｡ｽﾀｯﾌでは埒があかないような件では､塚本自らｸﾗｲｱﾝﾄの担当者やその上の上司に堂々とｸﾚｰﾑをつける｡まさに夢現舎は､ﾎﾞｽの言うように塚本なしでは何にも動かない｡
14:10 会社に1本の電話が鳴る｡
電話の相手は決まってﾎﾞｽである｡私たちｽﾀｯﾌは電話のﾍﾞﾙの様子やﾀｲﾐﾝｸﾞから､それがﾎﾞｽからの電話だと習慣的に確信する｡
｢今､何時だ?｣小島は決まって時間を聞く｡
｢14時10分です｣
｢わかった｡塚本に､14時35分に『いつものところ』と伝えておいてくれ｡よろしく頼む｣
今から電車に乗り込む寸前の電話のようで､ﾎﾞｽの言葉はたった一言だけだ｡
｢はい､かしこまりました｣
ﾎﾞｽが出社する日は､決まってこの電話が合図である｡心なしかｽﾀｯﾌの緊張感が高まった感じがする｡
ちなみに､ﾎﾞｽが言う｢いつものところ｣がどこなのか？ 誰もｽﾀｯﾌは知らない｡
また､塚本には多くの呼び名がある｡そのときによって､塚本に対するﾎﾞｽの呼び方は変わる｡よっちゃん､あいつ､ｵﾔﾌﾞﾝ､ｶﾞﾒﾗ､佳子､土方(歳三)…｡そんな塚本の数多くの呼び名は､どれもﾎﾞｽが名付けたものでありﾎﾞｽだけが使うことを許された特別な呼び名だ｡そもそも､ﾎﾞｽ以外にこれらの名前で塚本を呼べる人間など夢現舎には存在しない｡ﾎﾞｽや塚本のいないところでも恐れ多くで誰も口に出せない｡
だから､ﾎﾞｽの電話を受ける際は細心の注意が必要だ｡
私が入社した当初のこと｡ﾎﾞｽからかかってきた電話に出ると､唐突に｢ｵﾔﾌﾞﾝはいる？｣と聞かれたことがある｡私は､｢ｵﾔﾌﾞﾝ｣が誰のことを指しているのか皆目見当がつかず､まごついた｡
｢あのう…､ｵﾔﾌﾞﾝとは？｣
するとﾎﾞｽは､｢会社で一番偉い人間のことだよ!｣と､笑いながら言う｡
だが､私は｢夢現舎で一番偉いのはﾎﾞｽだし､ｵﾔﾌﾞﾝと言ったら男性だと思うけど一体誰のことなんだろう…｣と一生懸命考えた｡しかし誰も思い当たる人はおらず､また返答に困ってしまった｡しばらく無言の状態が続く｡
とうとう業を煮やしたﾎﾞｽは､仕様がないといった様子で｢塚本のことだよ!｣と声を荒げた｡私は､｢そうか! とんだことをしてしまった!｣と焦りながら､慌てて塚本に電話を代わった｡
そんな思い出がある｡
14:30 塚本外出｡
｢食事に行ってきます｣と誰ともなしに言うと､塚本は足早に会社を後にする｡
塚本がﾎﾞｽとの食事に出かけたら､少なくとも2時間は会社に戻らない｡この時間が､私たちｽﾀｯﾌの今日最初で最後の平穏な時間だ｡塚本の姿が消えると､急に会社の空気が緩やかになる｡それはすべてのｽﾀｯﾌが実感することだろう｡
しかし､私たちにはこの間にやっておかなければならない重要な任務がある…｡
女性ｽﾀｯﾌは､ﾎﾞｽが出社した際に出すｺｰﾋｰを用意する｡ｺｰﾋｰは､必ずその日に煎るのが夢現舎のﾙｰﾙである｡そして､夜遅くまでかかるﾐｰﾃｨﾝｸﾞに備え､塚本のためにお菓子を用意しておく｡
男性ｽﾀｯﾌは､今朝ﾐｰﾃｨﾝｸﾞをした机の上席にﾎﾞｽ専用の椅子を置き､その周辺に扇風機と空気清浄機､灰皿といった､ﾎﾞｽがﾐｰﾃｨﾝｸﾞを行なう際の｢3大必需品｣を揃える｡ちなみに扇風機は､ﾎﾞｽが暑がりだからという理由もあるが､ﾎﾞｽが吸うﾀﾊﾞｺの煙が塚本の方に流れないようにする道具でもある｡ﾎﾞｽの塚本への心遣いがうかがえる｡だから､扇風機は真冬でも必需品である｡
これで､準備は完了だ｡
16:45 会社のﾁｬｲﾑが鳴る｡
心なしか普段より勢いのいい音が会社中に響く｡同時に会社の空気が再び緊張感でいっぱいになる｡
ｽﾀｯﾌのひとりが入口にあるﾓﾆﾀｰを覗くと､そこに映し出されているのはﾎﾞｽと塚本の顔だ｡それを確認したｽﾀｯﾌは､すぐに入口のﾄﾞｱを開ける｡ﾄﾞｱから姿を現したﾎﾞｽは､｢よう､おはよう｣と笑顔で私たちｽﾀｯﾌに声をかけ､会社の上座にあるﾎﾞｽの机に向かう｡社内にいるｽﾀｯﾌは一斉に立ち上がり､直立不動の姿勢になる｡そして､45度の角度でお辞儀をし､大声で｢おはようございます!｣と声を揃える｡
ﾎﾞｽの後ろから､塚本が自分の机に向かって歩いて行く｡
ﾎﾞｽが自分の席に腰をおろすと､女性ｽﾀｯﾌは直ちに用意していたｺｰﾋｰと水をﾎﾞｽに届ける｡塚本にも同様に飲み物を出すが､ｺｰﾋｰが苦手な塚本にはｳｰﾛﾝ茶と､こちらも決まっている｡ﾎﾞｽに出す水には必ず氷が入っていなくてはならない｡冷蔵庫の冷凍室で作った氷を不味いと嫌がるﾎﾞｽのために､私たちは常にｺﾝﾋﾞﾆで袋入りの氷を買っておく｡
その後､ｽﾀｯﾌはひとりずつﾎﾞｽの机の前まで行って再び直立不動の姿勢になってあいさつをし､ﾎﾞｽから､｢ご苦労さま｣とか｢どうだ？ 体調は｣などねぎらいの言葉をもらう｡このときのﾎﾞｽは必ず笑顔を絶やさない｡
出社したﾎﾞｽは､机に置かれている書類などに目を通し､次々と確認のﾊﾝｺを押していく｡そして通路を隔てた隣の席に座っている塚本に向かって､社外まで聞こえるほどの大きな声で話しかける｡ﾎﾞｽの大声に塚本は静かに答える｡
2人の会話の節々に､ﾎﾞｽは｢お〜い､誰かｴｱｺﾝ付けてくれぇ｣とか｢お〜い飯田､新潮社からﾌｧｯｸｽが届いたんだってぇ｣などと､頻繁にｽﾀｯﾌに指示が飛ぶ｡だから､ﾎﾞｽが塚本と会話している間も私たちの緊張感は緩まることがない｡
17:30 ﾎﾞｽと塚本が打ち合わせ｡
ﾎﾞｽは書類の確認などが一段落すると､ﾎﾞｽ専用の椅子が用意されたﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に移動する｡ﾎﾞｽの右隣が塚本の常席だ｡2人の打ち合わせになると､急にﾎﾞｽの声が小さくなる｡ﾋｿﾋｿ話ではないのだが､自然と私たちｽﾀｯﾌの耳がﾎﾞｽと塚本の会話に集中してしまう｡困った習性だ｡
だが､2人の打ち合わせはそんなに長くない｡何かﾄﾗﾌﾞﾙめいたことがあっても確認程度のやり取りしかしない｡多分､私たちにはわからない以心伝心というかﾃﾚﾊﾟｼｰで濃密な相談をしているに違いない｡
2人だけの打ち合わせが終わると､塚本がｽﾀｯﾌの名前を呼ぶ｡名前を呼ばれたｽﾀｯﾌは書類や資料を抱えて即座にﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に向かう｡まごまごしていると､｢何ﾁﾝﾀﾗやってんだよ!｣というﾎﾞｽの怒鳴り声が響いてしまう｡
たとえば､小島(ﾎﾞｽの実弟)や松田､飯田を呼ばれたとする｡彼らは塚本とともに各自が担当している空手や格闘技の書籍についての確認を行なう｡また､ﾎﾞｽと塚本が共著となるﾙﾎﾟﾙﾀｰｼﾞｭ､｢大山倍達の遺言｣などの打ち合わせをしたり､ｽﾀｯﾌからﾃﾞｰﾀ取材の報告を受けたりする｡報告内容や確認事項が多い場合は､この時間が3時間､4時間になることも少なくない｡
19:30 会社全体のﾐｰﾃｨﾝｸﾞ開始｡
全体でのﾐｰﾃｨﾝｸﾞは､ﾎﾞｽの進行で行なわれる｡だから隣の塚本の態度はｶﾞﾗﾘと変わり､落ち着いた表情で自分のﾉｰﾄに目を落としている｡
ﾐｰﾃｨﾝｸﾞが始まっても､最初のうちは､雑談が主である｡ﾎﾞｽは身振り手振りを交えながら冗談を言う｡このときは､和やかな雰囲気が社内に満ちている｡時々､ｽﾀｯﾌの間から笑い声が聞こえるほどだ｡しかし､ここで気を緩めてはいけない｡
ひと通り雑談が終わると､次第にﾎﾞｽの話は核心へと移って行く｡急激にｽﾀｯﾌの顔から笑顔が消えていく｡塚本との極秘ﾐｰﾃｨﾝｸﾞか以心伝心(ﾃﾚﾊﾟｼｰ)で話し合ったと思われる各ｽﾀｯﾌの問題点についての追及がいよいよ始まるのだ｡私は｢そろそろだな｣と思うと､椅子を座り直し息を潜める｡誰かが怒られることはわかっているのだ…｡
このﾐｰﾃｨﾝｸﾞで､幾度の修羅場が繰り返されたかわからない｡特に男性ｽﾀｯﾌの場合､時には殴られ､時には蹴られ､時には罵倒され…｡ﾎﾞｽは､｢俺は絶対に女性には手を上げない｡だけど､殴られた気持ちで聞け!｣と叱咤する｡当然､私たち女性ｽﾀｯﾌも叩かれた気持ちで聞いている｡
ﾎﾞｽが出社し､怒こらなかった日は皆無に等しい｡
20:30 再び会社のﾁｬｲﾑが鳴る｡
ﾎﾞｽの怒声が響き渡る中､大志君(ﾎﾞｽの息子)が会社に姿を見せる｡ﾎﾞｸｼﾝｸﾞｼﾞﾑか講道館からの帰りである｡大志君は少し恥ずかしそうに､｢こんばんは｣とあいさつをして､ﾎﾞｽの机の椅子に座ってﾐｰﾃｨﾝｸﾞが終わるのを待つ｡だいたいの場合､その間､大志君は仕事として任されたﾊﾟｽﾞﾙを作っている｡
｢こんばんは｣と大志君にあいさつを返し､大志君にｼﾞｭｰｽとお菓子を持って行く間だけが､私の張りつめた糸が切れる唯一の時間だ｡
大志君が現れても､ﾎﾞｽの説教は終わらない｡場合によってはﾎﾞｽの怒りは増すばかりである｡
24:00 ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ終了｡
｢じゃあ､これでﾐｰﾃｨﾝｸﾞを終わりにする｡しっかりやれよ!｣とﾎﾞｽが言う｡続いて塚本が｢お疲れさまです｣と一言｡この二言が､ﾐｰﾃｨﾝｸﾞの終了の合図だ｡
ついにﾐｰﾃｨﾝｸﾞが終わったと､ﾎｯとするのも束の間｡だが､これで今日の仕事が終わったわけではない｡この後に､今日最後の大仕事が待っているのだ｡
それはﾎﾞｽと大志君､塚本の見送りである｡
それは男性ｽﾀｯﾌの仕事と決まっている｡まずは､ﾎﾞｽと大志君の見送りである｡たとえば松田がﾎﾞｽと大志君が帰宅するためのﾀｸｼｰをつかまえる｡秘書である飯田は､松田がつかまえたﾀｸｼｰまで､ﾎﾞｽと大志君にﾎﾞﾃﾞｨｶﾞｰﾄﾞとして同行する｡そして2人は､ﾀｸｼｰが走り出し見えなくなるまでその姿を見届けるのだ｡
女性ｽﾀｯﾌは会社の入口手前に整列し､ﾎﾞｽと大志君がﾄﾞｱの外に出て行く際に｢お疲れさまです｣と声をかけながら敬礼をする｡大志君はいつも深々と私たちにお辞儀をしてくれる｡そしてﾎﾞｽも､ﾐｰﾃｨﾝｸﾞでどんなに怒鳴ったりしても､必ずｽﾀｯﾌ一人ひとりに笑顔で｢頑張れよ｣と声をかけてくれる｡私たちが最もうれしい瞬間だ｡
その後､ﾎﾞｽの後に退社する塚本を､ﾎﾞｽに対するときと同じようにｽﾀｯﾌ全員で見送るのだ｡
24:30 ｽﾀｯﾌ帰宅｡
今日の仕事を終えたｽﾀｯﾌは､息をつく暇もなく､終電に乗り遅れないようにとそそくさと帰宅の準備を始める｡
こうして､ｽﾀｯﾌが最も緊張する長い長い一日が終わるのであった…｡
記/夢現舎･伊藤昂
※小島一志の解説
伊藤は夢現舎でも文章の上手さではNo.1である｡とにかくｾﾝｽがいい｡このコラムも私としては若干恥ずかしいところもあるが､伊藤の鋭い観察眼には脱帽するしかない｡特に今回のコラムはかなり高い完成度である｡細かい部分のブラッシュアップだけで､殆どアカを入れるところはなかった｡伊藤には｢素晴らしいコラムだ｣と一言だけ言った｡
10:00 会社の始業時間｡
ｽﾀｯﾌ全員が会社の奥にあるﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に集まり､実務に関する打ち合わせを行なう｡これを｢ｽﾀｯﾌﾐｰﾃｨﾝｸﾞ｣と呼ぶ｡
その後､副代表の塚本佳子が加わり､毎朝定例の｢ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ｣が始まる｡このﾐｰﾃｨﾝｸﾞの張りつめた空気は､ﾌﾞﾛｸﾞの読者ならば周知の通りだろう｡ﾐｰﾃｨﾝｸﾞを仕切る塚本の一言一句にｽﾀｯﾌ全員が緊張する時間だ｡
ｽﾀｯﾌが曖昧な報告をしたり､塚本の質問に明確に答えられなかったり､やるべきことをやらないでいたりすると､容赦のない塚本の叱咤が飛ぶ｡長いときには1時間以上も説教されることも少なくない｡
塚本の厳しさと鋭さは､ある意味でﾎﾞｽ(代表の小島一志)以上と言っても過言ではない｡
11:30 ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ終了｡
塚本の仕切るﾐｰﾃｨﾝｸﾞにて気が引き締まったところで､さっそくｽﾀｯﾌ全員が自分の席に戻り実務に取りかかる｡中には早速､塚本からきつい指導を受けてうなだれるｽﾀｯﾌもいる｡
これが､毎日繰り返される夢現舎の一日のｽﾀｰﾄだ｡
夢現舎は何から何まで塚本が管理し､隅々まで把握している｡ﾊﾟｽﾞﾙの定期媒体だろうがｸｲｽﾞや占いの書籍だろうが､空手の技術書だろうが､表紙のﾃﾞｻﾞｲﾝや本文の内容からﾋﾞｼﾞｭｱﾙまで､必ず塚本の厳しいﾁｪｯｸが入る｡
さらには夢現舎の金銭的管理から､ひいては年中行事のお中元やお歳暮の送り先から贈る品物も､年末の年賀状に至るまで､すべて塚本がｽﾀｯﾌたちに担当を決めて隙のない指示をする｡顧問会計士や顧問弁護士とのやり取りも塚本が一手に引き受けている｡ｸﾗｲｱﾝﾄとの間にﾄﾗﾌﾞﾙがあったときの対応も実に素早い｡
｢ﾎﾞｽには私から報告しておくからそのようにしてください｣
毅然とした口調で的確な指示をｽﾀｯﾌに命じる｡ｽﾀｯﾌでは埒があかないような件では､塚本自らｸﾗｲｱﾝﾄの担当者やその上の上司に堂々とｸﾚｰﾑをつける｡まさに夢現舎は､ﾎﾞｽの言うように塚本なしでは何にも動かない｡
14:10 会社に1本の電話が鳴る｡
電話の相手は決まってﾎﾞｽである｡私たちｽﾀｯﾌは電話のﾍﾞﾙの様子やﾀｲﾐﾝｸﾞから､それがﾎﾞｽからの電話だと習慣的に確信する｡
｢今､何時だ?｣小島は決まって時間を聞く｡
｢14時10分です｣
｢わかった｡塚本に､14時35分に『いつものところ』と伝えておいてくれ｡よろしく頼む｣
今から電車に乗り込む寸前の電話のようで､ﾎﾞｽの言葉はたった一言だけだ｡
｢はい､かしこまりました｣
ﾎﾞｽが出社する日は､決まってこの電話が合図である｡心なしかｽﾀｯﾌの緊張感が高まった感じがする｡
ちなみに､ﾎﾞｽが言う｢いつものところ｣がどこなのか？ 誰もｽﾀｯﾌは知らない｡
また､塚本には多くの呼び名がある｡そのときによって､塚本に対するﾎﾞｽの呼び方は変わる｡よっちゃん､あいつ､ｵﾔﾌﾞﾝ､ｶﾞﾒﾗ､佳子､土方(歳三)…｡そんな塚本の数多くの呼び名は､どれもﾎﾞｽが名付けたものでありﾎﾞｽだけが使うことを許された特別な呼び名だ｡そもそも､ﾎﾞｽ以外にこれらの名前で塚本を呼べる人間など夢現舎には存在しない｡ﾎﾞｽや塚本のいないところでも恐れ多くで誰も口に出せない｡
だから､ﾎﾞｽの電話を受ける際は細心の注意が必要だ｡
私が入社した当初のこと｡ﾎﾞｽからかかってきた電話に出ると､唐突に｢ｵﾔﾌﾞﾝはいる？｣と聞かれたことがある｡私は､｢ｵﾔﾌﾞﾝ｣が誰のことを指しているのか皆目見当がつかず､まごついた｡
｢あのう…､ｵﾔﾌﾞﾝとは？｣
するとﾎﾞｽは､｢会社で一番偉い人間のことだよ!｣と､笑いながら言う｡
だが､私は｢夢現舎で一番偉いのはﾎﾞｽだし､ｵﾔﾌﾞﾝと言ったら男性だと思うけど一体誰のことなんだろう…｣と一生懸命考えた｡しかし誰も思い当たる人はおらず､また返答に困ってしまった｡しばらく無言の状態が続く｡
とうとう業を煮やしたﾎﾞｽは､仕様がないといった様子で｢塚本のことだよ!｣と声を荒げた｡私は､｢そうか! とんだことをしてしまった!｣と焦りながら､慌てて塚本に電話を代わった｡
そんな思い出がある｡
14:30 塚本外出｡
｢食事に行ってきます｣と誰ともなしに言うと､塚本は足早に会社を後にする｡
塚本がﾎﾞｽとの食事に出かけたら､少なくとも2時間は会社に戻らない｡この時間が､私たちｽﾀｯﾌの今日最初で最後の平穏な時間だ｡塚本の姿が消えると､急に会社の空気が緩やかになる｡それはすべてのｽﾀｯﾌが実感することだろう｡
しかし､私たちにはこの間にやっておかなければならない重要な任務がある…｡
女性ｽﾀｯﾌは､ﾎﾞｽが出社した際に出すｺｰﾋｰを用意する｡ｺｰﾋｰは､必ずその日に煎るのが夢現舎のﾙｰﾙである｡そして､夜遅くまでかかるﾐｰﾃｨﾝｸﾞに備え､塚本のためにお菓子を用意しておく｡
男性ｽﾀｯﾌは､今朝ﾐｰﾃｨﾝｸﾞをした机の上席にﾎﾞｽ専用の椅子を置き､その周辺に扇風機と空気清浄機､灰皿といった､ﾎﾞｽがﾐｰﾃｨﾝｸﾞを行なう際の｢3大必需品｣を揃える｡ちなみに扇風機は､ﾎﾞｽが暑がりだからという理由もあるが､ﾎﾞｽが吸うﾀﾊﾞｺの煙が塚本の方に流れないようにする道具でもある｡ﾎﾞｽの塚本への心遣いがうかがえる｡だから､扇風機は真冬でも必需品である｡
これで､準備は完了だ｡
16:45 会社のﾁｬｲﾑが鳴る｡
心なしか普段より勢いのいい音が会社中に響く｡同時に会社の空気が再び緊張感でいっぱいになる｡
ｽﾀｯﾌのひとりが入口にあるﾓﾆﾀｰを覗くと､そこに映し出されているのはﾎﾞｽと塚本の顔だ｡それを確認したｽﾀｯﾌは､すぐに入口のﾄﾞｱを開ける｡ﾄﾞｱから姿を現したﾎﾞｽは､｢よう､おはよう｣と笑顔で私たちｽﾀｯﾌに声をかけ､会社の上座にあるﾎﾞｽの机に向かう｡社内にいるｽﾀｯﾌは一斉に立ち上がり､直立不動の姿勢になる｡そして､45度の角度でお辞儀をし､大声で｢おはようございます!｣と声を揃える｡
ﾎﾞｽの後ろから､塚本が自分の机に向かって歩いて行く｡
ﾎﾞｽが自分の席に腰をおろすと､女性ｽﾀｯﾌは直ちに用意していたｺｰﾋｰと水をﾎﾞｽに届ける｡塚本にも同様に飲み物を出すが､ｺｰﾋｰが苦手な塚本にはｳｰﾛﾝ茶と､こちらも決まっている｡ﾎﾞｽに出す水には必ず氷が入っていなくてはならない｡冷蔵庫の冷凍室で作った氷を不味いと嫌がるﾎﾞｽのために､私たちは常にｺﾝﾋﾞﾆで袋入りの氷を買っておく｡
その後､ｽﾀｯﾌはひとりずつﾎﾞｽの机の前まで行って再び直立不動の姿勢になってあいさつをし､ﾎﾞｽから､｢ご苦労さま｣とか｢どうだ？ 体調は｣などねぎらいの言葉をもらう｡このときのﾎﾞｽは必ず笑顔を絶やさない｡
出社したﾎﾞｽは､机に置かれている書類などに目を通し､次々と確認のﾊﾝｺを押していく｡そして通路を隔てた隣の席に座っている塚本に向かって､社外まで聞こえるほどの大きな声で話しかける｡ﾎﾞｽの大声に塚本は静かに答える｡
2人の会話の節々に､ﾎﾞｽは｢お〜い､誰かｴｱｺﾝ付けてくれぇ｣とか｢お〜い飯田､新潮社からﾌｧｯｸｽが届いたんだってぇ｣などと､頻繁にｽﾀｯﾌに指示が飛ぶ｡だから､ﾎﾞｽが塚本と会話している間も私たちの緊張感は緩まることがない｡
17:30 ﾎﾞｽと塚本が打ち合わせ｡
ﾎﾞｽは書類の確認などが一段落すると､ﾎﾞｽ専用の椅子が用意されたﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に移動する｡ﾎﾞｽの右隣が塚本の常席だ｡2人の打ち合わせになると､急にﾎﾞｽの声が小さくなる｡ﾋｿﾋｿ話ではないのだが､自然と私たちｽﾀｯﾌの耳がﾎﾞｽと塚本の会話に集中してしまう｡困った習性だ｡
だが､2人の打ち合わせはそんなに長くない｡何かﾄﾗﾌﾞﾙめいたことがあっても確認程度のやり取りしかしない｡多分､私たちにはわからない以心伝心というかﾃﾚﾊﾟｼｰで濃密な相談をしているに違いない｡
2人だけの打ち合わせが終わると､塚本がｽﾀｯﾌの名前を呼ぶ｡名前を呼ばれたｽﾀｯﾌは書類や資料を抱えて即座にﾐｰﾃｨﾝｸﾞ用の机に向かう｡まごまごしていると､｢何ﾁﾝﾀﾗやってんだよ!｣というﾎﾞｽの怒鳴り声が響いてしまう｡
たとえば､小島(ﾎﾞｽの実弟)や松田､飯田を呼ばれたとする｡彼らは塚本とともに各自が担当している空手や格闘技の書籍についての確認を行なう｡また､ﾎﾞｽと塚本が共著となるﾙﾎﾟﾙﾀｰｼﾞｭ､｢大山倍達の遺言｣などの打ち合わせをしたり､ｽﾀｯﾌからﾃﾞｰﾀ取材の報告を受けたりする｡報告内容や確認事項が多い場合は､この時間が3時間､4時間になることも少なくない｡
19:30 会社全体のﾐｰﾃｨﾝｸﾞ開始｡
全体でのﾐｰﾃｨﾝｸﾞは､ﾎﾞｽの進行で行なわれる｡だから隣の塚本の態度はｶﾞﾗﾘと変わり､落ち着いた表情で自分のﾉｰﾄに目を落としている｡
ﾐｰﾃｨﾝｸﾞが始まっても､最初のうちは､雑談が主である｡ﾎﾞｽは身振り手振りを交えながら冗談を言う｡このときは､和やかな雰囲気が社内に満ちている｡時々､ｽﾀｯﾌの間から笑い声が聞こえるほどだ｡しかし､ここで気を緩めてはいけない｡
ひと通り雑談が終わると､次第にﾎﾞｽの話は核心へと移って行く｡急激にｽﾀｯﾌの顔から笑顔が消えていく｡塚本との極秘ﾐｰﾃｨﾝｸﾞか以心伝心(ﾃﾚﾊﾟｼｰ)で話し合ったと思われる各ｽﾀｯﾌの問題点についての追及がいよいよ始まるのだ｡私は｢そろそろだな｣と思うと､椅子を座り直し息を潜める｡誰かが怒られることはわかっているのだ…｡
このﾐｰﾃｨﾝｸﾞで､幾度の修羅場が繰り返されたかわからない｡特に男性ｽﾀｯﾌの場合､時には殴られ､時には蹴られ､時には罵倒され…｡ﾎﾞｽは､｢俺は絶対に女性には手を上げない｡だけど､殴られた気持ちで聞け!｣と叱咤する｡当然､私たち女性ｽﾀｯﾌも叩かれた気持ちで聞いている｡
ﾎﾞｽが出社し､怒こらなかった日は皆無に等しい｡
20:30 再び会社のﾁｬｲﾑが鳴る｡
ﾎﾞｽの怒声が響き渡る中､大志君(ﾎﾞｽの息子)が会社に姿を見せる｡ﾎﾞｸｼﾝｸﾞｼﾞﾑか講道館からの帰りである｡大志君は少し恥ずかしそうに､｢こんばんは｣とあいさつをして､ﾎﾞｽの机の椅子に座ってﾐｰﾃｨﾝｸﾞが終わるのを待つ｡だいたいの場合､その間､大志君は仕事として任されたﾊﾟｽﾞﾙを作っている｡
｢こんばんは｣と大志君にあいさつを返し､大志君にｼﾞｭｰｽとお菓子を持って行く間だけが､私の張りつめた糸が切れる唯一の時間だ｡
大志君が現れても､ﾎﾞｽの説教は終わらない｡場合によってはﾎﾞｽの怒りは増すばかりである｡
24:00 ﾐｰﾃｨﾝｸﾞ終了｡
｢じゃあ､これでﾐｰﾃｨﾝｸﾞを終わりにする｡しっかりやれよ!｣とﾎﾞｽが言う｡続いて塚本が｢お疲れさまです｣と一言｡この二言が､ﾐｰﾃｨﾝｸﾞの終了の合図だ｡
ついにﾐｰﾃｨﾝｸﾞが終わったと､ﾎｯとするのも束の間｡だが､これで今日の仕事が終わったわけではない｡この後に､今日最後の大仕事が待っているのだ｡
それはﾎﾞｽと大志君､塚本の見送りである｡
それは男性ｽﾀｯﾌの仕事と決まっている｡まずは､ﾎﾞｽと大志君の見送りである｡たとえば松田がﾎﾞｽと大志君が帰宅するためのﾀｸｼｰをつかまえる｡秘書である飯田は､松田がつかまえたﾀｸｼｰまで､ﾎﾞｽと大志君にﾎﾞﾃﾞｨｶﾞｰﾄﾞとして同行する｡そして2人は､ﾀｸｼｰが走り出し見えなくなるまでその姿を見届けるのだ｡
女性ｽﾀｯﾌは会社の入口手前に整列し､ﾎﾞｽと大志君がﾄﾞｱの外に出て行く際に｢お疲れさまです｣と声をかけながら敬礼をする｡大志君はいつも深々と私たちにお辞儀をしてくれる｡そしてﾎﾞｽも､ﾐｰﾃｨﾝｸﾞでどんなに怒鳴ったりしても､必ずｽﾀｯﾌ一人ひとりに笑顔で｢頑張れよ｣と声をかけてくれる｡私たちが最もうれしい瞬間だ｡
その後､ﾎﾞｽの後に退社する塚本を､ﾎﾞｽに対するときと同じようにｽﾀｯﾌ全員で見送るのだ｡
24:30 ｽﾀｯﾌ帰宅｡
今日の仕事を終えたｽﾀｯﾌは､息をつく暇もなく､終電に乗り遅れないようにとそそくさと帰宅の準備を始める｡
こうして､ｽﾀｯﾌが最も緊張する長い長い一日が終わるのであった…｡
記/夢現舎･伊藤昂
※小島一志の解説
伊藤は夢現舎でも文章の上手さではNo.1である｡とにかくｾﾝｽがいい｡このコラムも私としては若干恥ずかしいところもあるが､伊藤の鋭い観察眼には脱帽するしかない｡特に今回のコラムはかなり高い完成度である｡細かい部分のブラッシュアップだけで､殆どアカを入れるところはなかった｡伊藤には｢素晴らしいコラムだ｣と一言だけ言った｡
2007年05月18日
番外編･連載/小島一志との日常(9)〜松田努 (小島注釈追加版)
韓国取材同行録(3)
2005年3月6日の朝､目を覚ますと､そこには普段とまったく違う光景が広がっていた｡大きくて寝心地の良いﾍﾞｯﾄﾞ､窓の外から見下ろすｿｳﾙの街並､そして私の横で寝ている小島親子…｡私にとっては､この小島親子と一緒に朝を迎えることが､何よりも異質であった｡
つい2日前まで､私が韓国取材に同行することになろうとは夢にも思っていなかった｡しかし現実に今､私は韓国にいるのだ｡今日から約1週間､とにかく必死になってがんばろうと覚悟を決めてﾍﾞｯﾄﾞから出た私は､早速朝一番の大仕事に取り掛かることにした｡
｢ﾎﾞｽ､おはようございます｡…ﾎﾞｽ､ﾎﾞｽ？｣
｢ん､ん? ああ､ちょっと頭痛てえから､あと10分後に起こしてくれよ｣
そして10分後｡私は時計を片手に正確に10分間を計った｡私は再び小島に近づいた｡
｢ﾎﾞｽ､10分経ちました｡…ﾎﾞｽ｣
｢…わかった､わかったから､あと10分だけ寝るから｣
更に10分が経過した｡
｢ﾎﾞｽ､そろそろ…｣
私は恐る恐る小島の耳元でささやいた｡すると突然､小島が｢わかったよ! もう起きてるよ!うるせえな!｣と言いながら目を開けた｡
最後は結局怒られる｡
これが私の､韓国での朝の日課となった｡とにかく小島は寝起きが悪い｡どうしても起きない場合は､大志君にお願いする｡大志君の場合は､小島に｢あと10分だけ…｣と言われても10分後にはすぐに起こさない｡10分後の小島の様子をｼﾞｯと観察し､今はやめた方がいいと判断すると､｢もう少し経ってからにしましょう｣と一旦引く｡
そして､その後何度か様子を観察しながら､大丈夫だと判断した時に声をかける｡これがまた絶妙のﾀｲﾐﾝｸﾞなのだ｡大志君に起こされた時の小島は､決まって穏やかな感じで腰を上げる｡その様子に､さすが親子だと感心せざるを得なかった｡大志君には､小島の寝顔や息づかいで､もう起きるかどうかが感覚的に分かるようだ｡
ちなみに､小島を起こすのと同時に､私は塚本の部屋にもﾓｰﾆﾝｸﾞｺｰﾙの電話を入れた｡塚本は例外なく2､3度の呼び鈴で電話に出た｡溌剌とした声の様子から､すでに準備万端といった感じである｡
その後､私たちは4人でﾎﾃﾙのﾚｽﾄﾗﾝに向かう｡ﾚｽﾄﾗﾝの朝食はﾋﾞｭｯﾌｪｽﾀｲﾙ､つまり｢食べ放題｣である｡それがまた超一流ﾎﾃﾙらしくものすごく豪華な料理が所狭しと並んでいる｡朝からﾛｰｽﾄﾋﾞｰﾌまである｡茹で上げたばかりのﾛﾌﾞｽﾀｰやｶﾆ､ｴﾋﾞなど新鮮な海産物も山のように積まれている｡どれもこれも私が今まで食べたことのない高級食ばかりではないか？ 大食漢の私と大志君は見事な料理群に喉が鳴った｡
しかし小島と塚本はあまり食欲がないようだった｡それでも塚本は､席に落ち着いた後で､｢どれ？｣と言いながらﾌﾟﾚｰﾄを持って料理に向かった｡だが小島は席から動こうとしない｡私は大志君と相談して､小島の分の料理を先に用意した｡小島の好き嫌いは大志君が完全に把握している｡私は大志君の指示に従ってﾌﾟﾚｰﾄに料理を盛った｡大志君はｺｰﾋｰを小島の席に運んだ｡
｢親父はまずｺｰﾋｰを飲まないと目が醒めないんだよ｣
私はひとつ勉強になった｡
こうして小島と塚本が食事に手をつけたのを見計らって､私と大志君はﾌﾟﾚｰﾄに山盛りの料理を乗せた｡そして1皿を食べ終わると､また2人で料理を取りに席を立った｡小島と塚本は呆れたように笑いながら私たちを見ていた｡
ところで､食事中､突然小島は言った｡
｢なあ塚本｡松田はｲﾋﾞｷが超うるせ〜んだよ! 参ったよ｡なあ大志?｣
｢ははは､確かに｣
大志君も少し遠慮しながらうなずいた｡まさか私がｲﾋﾞｷをかくなんて…｡｢今まで親にも言われたことないのになあ｣と考えていると､大志君が話を続けた｡
｢松田さん､昨日寝るときに僕に音楽聞かせてくれって言って､僕と一緒にiPodのｲﾔﾎﾝ片方ずつ使って聞きましたよね｡覚えてますか？ あの後､松田さんまだ1曲目も終わっていないうちにｲﾋﾞｷかき始めましたよ｣
たしかにそんな記憶がある｡だが大志君に聞かせてもらった曲は1曲も覚えていなかった｡すると､小島は｢緊張して疲れてたんだろ｡俺と塚本が一緒だから気が休まるときもなかったんだ｡だからｲﾋﾞｷかいたんだろ｡それにしても､おまえは寝つきが異常にいいな｡塚本､おまえも寝つきいいっていうけど塚本以上だろ？｣と言った｡塚本は黙って笑っていた｡
私は韓国へ出発する前日､小島の実弟でもある編集長の小島孝則に言われた､ある注意を思い出した｡
｢松田君､ﾎﾞｽと一緒の部屋で寝るんだろうから言っておくけどさ｡下の人間は上の人間より遅く寝て､早く起きる｡これ常識だからね｡それから､俺も経験してるけど､ﾎﾞｽってｲﾋﾞｷかくから｡これが結構すごいｲﾋﾞｷだから覚悟しておいた方がいいよ｣
しかし私は､小島のｲﾋﾞｷに悩まされるどころか､自分が先にｲﾋﾞｷをかきながら寝てしまっていたという｡
後日談だが､それはその後もずっと最終日まで続いたらしい｡韓国から帰ったある日､会社のﾐｰﾃｨﾝｸﾞの席上でこのことが話題になった｡小島は言った｡
｢松田はなかなか図太い性格してるよ｣
朝食を終えた私たちは､ｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの方と合流し､最初の取材に出発した｡取材相手は､病院で医師をしている大山総裁の長男･崔光範氏である｡
ちなみにｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの女性は朴ﾏﾘさんという韓国人で､現在は日本で働きながら勉強をしているという｡日本語は日本人以上にうまい｡ﾒｶﾞﾈを掛けた知的な方でとても美人だった｡これからのすべての取材に同行してくれるという｡私は何故か緊張してしまった｡顔が赤くなってるのが自分でもわかった｡
さて､崔光範氏が働く病院に到着した私たちは､休日で通院患者のいない静かな院内のﾍﾞﾝﾁで待たされた｡そして10分後､長身で筋骨隆々の肉体をｽｰﾂに包んだ光範氏が現れた｡
私たちは立ち上がり､挨拶を交わした｡すると､ひとりだけ小島の様子がおかしい｡小島は挨拶も忘れたように光範氏の顔を食い入るように見つめていた｡そして体を震わせながら､塚本にこう呟いた｡
｢本当に総裁そっくりだ…｡目なんか総裁そのものだよ｡まるで総裁がきたかと思った｣
朴さんが小島の言葉を韓国語で光範氏に伝えると､光範氏はうれしそうに笑顔を見せて改めて小島に握手を促した｡
その後､私たちは会議室のような部屋に移り､光範氏と2時間以上にわたる取材を行った｡詳細は｢大山倍達正伝｣に記されているため省略するが､時折涙を浮かべながら父への想いを語る光範氏の姿に､私もｶﾒﾗの撮影を忘れ深い感動を覚えた｡
取材を終えた塚本がﾎﾟﾂﾘと小島に言った｡
｢緊張して､自分で何を聞いているのかわからなくなっちゃいましたよ…｣
編集者､作家としての､また会社経営者としての塚本のすごさについては､ここで改めて語るまでもない｡たとえ相手が盧山初雄館長のような空手界の大物でも､またどんな大きなｸﾗｲｱﾝﾄの社長や部長が相手でも､いつも堂々と理路整然と渡り合う塚本の姿を私自身､何度も見てきている｡会社の会議でも､議事進行を行う塚本は勇ましく厳しく隙がない｡
だが､そんな塚本も小島と一緒のときは､まったく別な顔になる｡主導権を小島に託した安心感からか､言葉も少なくなり､その表情からは女性らしい柔らかさがのぞく｡それは会社での会議の場合も同じだ｡小島が会議を仕切っているときは､塚本はとても優しい表情をしている｡そんな塚本が時折､不思議に感じることがある｡
今回の光範氏の取材もそうだった｡取材のﾘｰﾀﾞｰを小島に任せたからか､塚本の言葉はいつもより少なかったように私には感じられた｡それでも､小島が質問に詰まったりすると､すかさず塚本は小島とは別の角度から質問を浴びせたりもした｡特に韓国語を学んでいる塚本は､朴さんを通さなくても光範氏の言葉が理解できるようで､小島がどう聞いたらいいか言葉に迷ったときには､より正確な表現で光範氏に語りかける｡
一心同体という言葉の意味を､私は小島と塚本の姿から思い知らされたような気がした｡
塚本の言葉に対して､小島もｸﾞｯﾀﾘした表情で､｢俺も､もうｸﾀｸﾀだよ｡何てったって息子さん､総裁そっくりなんだもん｡そりゃあ疲れるよな｡とっととﾎﾃﾙに帰って一休みしようよ｡それからでいいよな､夕食は!｣と応じた｡塚本は黙ってうなずいた｡そして私も大志君も｢はいっ!｣と答えた…｡
韓国取材はまだ始まったばかりである｡そして小島と過ごす長い1日も､まだ始まったばかりであった｡
(つづく)
※小島一志/注釈
このｺﾗﾑは松田が病に伏すべき状態の中で書き上げたものだ｡｢完成｣ではなかったが､ほぼ完全な作品に仕上がっていた｡私が手を加えたのは､｢ﾎﾃﾙでの朝食｣の部分と｢私たちが崔光範氏に取材をしている｣部分だけである｡やや文法的に齟齬があったのと､事実と比較して正確さに欠けていたからである｡その他､全体的に｢てにおは｣や文末の語句などを多少推敲した｡後は全て松田自身による文章である｡
実は今回の続き｢韓国取材同行記��｣も松田に手渡されている｡殆ど完成に近い｡苦しい病状にもめげず､よくもﾚﾍﾞﾙの高い､つまり｢商品性の高い｣ｺﾗﾑを書き上げたと感心している｡
現在､実家に戻り通院生活を送っている松田だが､あのような辛い体調にもかかわらず､このｺﾗﾑが書けたのならば､復帰後の彼の活躍が今から楽しみだ｡
近々｢韓国取材同行記��｣も掲載する｡殆ど私のｱｶはないと思って読んでほしい｡そして､松田が一刻も早く病気を完治し､再び夢現舎に帰る事を､読者のみなさんにも応援して頂ければ幸いである｡
2005年3月6日の朝､目を覚ますと､そこには普段とまったく違う光景が広がっていた｡大きくて寝心地の良いﾍﾞｯﾄﾞ､窓の外から見下ろすｿｳﾙの街並､そして私の横で寝ている小島親子…｡私にとっては､この小島親子と一緒に朝を迎えることが､何よりも異質であった｡
つい2日前まで､私が韓国取材に同行することになろうとは夢にも思っていなかった｡しかし現実に今､私は韓国にいるのだ｡今日から約1週間､とにかく必死になってがんばろうと覚悟を決めてﾍﾞｯﾄﾞから出た私は､早速朝一番の大仕事に取り掛かることにした｡
｢ﾎﾞｽ､おはようございます｡…ﾎﾞｽ､ﾎﾞｽ？｣
｢ん､ん? ああ､ちょっと頭痛てえから､あと10分後に起こしてくれよ｣
そして10分後｡私は時計を片手に正確に10分間を計った｡私は再び小島に近づいた｡
｢ﾎﾞｽ､10分経ちました｡…ﾎﾞｽ｣
｢…わかった､わかったから､あと10分だけ寝るから｣
更に10分が経過した｡
｢ﾎﾞｽ､そろそろ…｣
私は恐る恐る小島の耳元でささやいた｡すると突然､小島が｢わかったよ! もう起きてるよ!うるせえな!｣と言いながら目を開けた｡
最後は結局怒られる｡
これが私の､韓国での朝の日課となった｡とにかく小島は寝起きが悪い｡どうしても起きない場合は､大志君にお願いする｡大志君の場合は､小島に｢あと10分だけ…｣と言われても10分後にはすぐに起こさない｡10分後の小島の様子をｼﾞｯと観察し､今はやめた方がいいと判断すると､｢もう少し経ってからにしましょう｣と一旦引く｡
そして､その後何度か様子を観察しながら､大丈夫だと判断した時に声をかける｡これがまた絶妙のﾀｲﾐﾝｸﾞなのだ｡大志君に起こされた時の小島は､決まって穏やかな感じで腰を上げる｡その様子に､さすが親子だと感心せざるを得なかった｡大志君には､小島の寝顔や息づかいで､もう起きるかどうかが感覚的に分かるようだ｡
ちなみに､小島を起こすのと同時に､私は塚本の部屋にもﾓｰﾆﾝｸﾞｺｰﾙの電話を入れた｡塚本は例外なく2､3度の呼び鈴で電話に出た｡溌剌とした声の様子から､すでに準備万端といった感じである｡
その後､私たちは4人でﾎﾃﾙのﾚｽﾄﾗﾝに向かう｡ﾚｽﾄﾗﾝの朝食はﾋﾞｭｯﾌｪｽﾀｲﾙ､つまり｢食べ放題｣である｡それがまた超一流ﾎﾃﾙらしくものすごく豪華な料理が所狭しと並んでいる｡朝からﾛｰｽﾄﾋﾞｰﾌまである｡茹で上げたばかりのﾛﾌﾞｽﾀｰやｶﾆ､ｴﾋﾞなど新鮮な海産物も山のように積まれている｡どれもこれも私が今まで食べたことのない高級食ばかりではないか？ 大食漢の私と大志君は見事な料理群に喉が鳴った｡
しかし小島と塚本はあまり食欲がないようだった｡それでも塚本は､席に落ち着いた後で､｢どれ？｣と言いながらﾌﾟﾚｰﾄを持って料理に向かった｡だが小島は席から動こうとしない｡私は大志君と相談して､小島の分の料理を先に用意した｡小島の好き嫌いは大志君が完全に把握している｡私は大志君の指示に従ってﾌﾟﾚｰﾄに料理を盛った｡大志君はｺｰﾋｰを小島の席に運んだ｡
｢親父はまずｺｰﾋｰを飲まないと目が醒めないんだよ｣
私はひとつ勉強になった｡
こうして小島と塚本が食事に手をつけたのを見計らって､私と大志君はﾌﾟﾚｰﾄに山盛りの料理を乗せた｡そして1皿を食べ終わると､また2人で料理を取りに席を立った｡小島と塚本は呆れたように笑いながら私たちを見ていた｡
ところで､食事中､突然小島は言った｡
｢なあ塚本｡松田はｲﾋﾞｷが超うるせ〜んだよ! 参ったよ｡なあ大志?｣
｢ははは､確かに｣
大志君も少し遠慮しながらうなずいた｡まさか私がｲﾋﾞｷをかくなんて…｡｢今まで親にも言われたことないのになあ｣と考えていると､大志君が話を続けた｡
｢松田さん､昨日寝るときに僕に音楽聞かせてくれって言って､僕と一緒にiPodのｲﾔﾎﾝ片方ずつ使って聞きましたよね｡覚えてますか？ あの後､松田さんまだ1曲目も終わっていないうちにｲﾋﾞｷかき始めましたよ｣
たしかにそんな記憶がある｡だが大志君に聞かせてもらった曲は1曲も覚えていなかった｡すると､小島は｢緊張して疲れてたんだろ｡俺と塚本が一緒だから気が休まるときもなかったんだ｡だからｲﾋﾞｷかいたんだろ｡それにしても､おまえは寝つきが異常にいいな｡塚本､おまえも寝つきいいっていうけど塚本以上だろ？｣と言った｡塚本は黙って笑っていた｡
私は韓国へ出発する前日､小島の実弟でもある編集長の小島孝則に言われた､ある注意を思い出した｡
｢松田君､ﾎﾞｽと一緒の部屋で寝るんだろうから言っておくけどさ｡下の人間は上の人間より遅く寝て､早く起きる｡これ常識だからね｡それから､俺も経験してるけど､ﾎﾞｽってｲﾋﾞｷかくから｡これが結構すごいｲﾋﾞｷだから覚悟しておいた方がいいよ｣
しかし私は､小島のｲﾋﾞｷに悩まされるどころか､自分が先にｲﾋﾞｷをかきながら寝てしまっていたという｡
後日談だが､それはその後もずっと最終日まで続いたらしい｡韓国から帰ったある日､会社のﾐｰﾃｨﾝｸﾞの席上でこのことが話題になった｡小島は言った｡
｢松田はなかなか図太い性格してるよ｣
朝食を終えた私たちは､ｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの方と合流し､最初の取材に出発した｡取材相手は､病院で医師をしている大山総裁の長男･崔光範氏である｡
ちなみにｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰの女性は朴ﾏﾘさんという韓国人で､現在は日本で働きながら勉強をしているという｡日本語は日本人以上にうまい｡ﾒｶﾞﾈを掛けた知的な方でとても美人だった｡これからのすべての取材に同行してくれるという｡私は何故か緊張してしまった｡顔が赤くなってるのが自分でもわかった｡
さて､崔光範氏が働く病院に到着した私たちは､休日で通院患者のいない静かな院内のﾍﾞﾝﾁで待たされた｡そして10分後､長身で筋骨隆々の肉体をｽｰﾂに包んだ光範氏が現れた｡
私たちは立ち上がり､挨拶を交わした｡すると､ひとりだけ小島の様子がおかしい｡小島は挨拶も忘れたように光範氏の顔を食い入るように見つめていた｡そして体を震わせながら､塚本にこう呟いた｡
｢本当に総裁そっくりだ…｡目なんか総裁そのものだよ｡まるで総裁がきたかと思った｣
朴さんが小島の言葉を韓国語で光範氏に伝えると､光範氏はうれしそうに笑顔を見せて改めて小島に握手を促した｡
その後､私たちは会議室のような部屋に移り､光範氏と2時間以上にわたる取材を行った｡詳細は｢大山倍達正伝｣に記されているため省略するが､時折涙を浮かべながら父への想いを語る光範氏の姿に､私もｶﾒﾗの撮影を忘れ深い感動を覚えた｡
取材を終えた塚本がﾎﾟﾂﾘと小島に言った｡
｢緊張して､自分で何を聞いているのかわからなくなっちゃいましたよ…｣
編集者､作家としての､また会社経営者としての塚本のすごさについては､ここで改めて語るまでもない｡たとえ相手が盧山初雄館長のような空手界の大物でも､またどんな大きなｸﾗｲｱﾝﾄの社長や部長が相手でも､いつも堂々と理路整然と渡り合う塚本の姿を私自身､何度も見てきている｡会社の会議でも､議事進行を行う塚本は勇ましく厳しく隙がない｡
だが､そんな塚本も小島と一緒のときは､まったく別な顔になる｡主導権を小島に託した安心感からか､言葉も少なくなり､その表情からは女性らしい柔らかさがのぞく｡それは会社での会議の場合も同じだ｡小島が会議を仕切っているときは､塚本はとても優しい表情をしている｡そんな塚本が時折､不思議に感じることがある｡
今回の光範氏の取材もそうだった｡取材のﾘｰﾀﾞｰを小島に任せたからか､塚本の言葉はいつもより少なかったように私には感じられた｡それでも､小島が質問に詰まったりすると､すかさず塚本は小島とは別の角度から質問を浴びせたりもした｡特に韓国語を学んでいる塚本は､朴さんを通さなくても光範氏の言葉が理解できるようで､小島がどう聞いたらいいか言葉に迷ったときには､より正確な表現で光範氏に語りかける｡
一心同体という言葉の意味を､私は小島と塚本の姿から思い知らされたような気がした｡
塚本の言葉に対して､小島もｸﾞｯﾀﾘした表情で､｢俺も､もうｸﾀｸﾀだよ｡何てったって息子さん､総裁そっくりなんだもん｡そりゃあ疲れるよな｡とっととﾎﾃﾙに帰って一休みしようよ｡それからでいいよな､夕食は!｣と応じた｡塚本は黙ってうなずいた｡そして私も大志君も｢はいっ!｣と答えた…｡
韓国取材はまだ始まったばかりである｡そして小島と過ごす長い1日も､まだ始まったばかりであった｡
(つづく)
※小島一志/注釈
このｺﾗﾑは松田が病に伏すべき状態の中で書き上げたものだ｡｢完成｣ではなかったが､ほぼ完全な作品に仕上がっていた｡私が手を加えたのは､｢ﾎﾃﾙでの朝食｣の部分と｢私たちが崔光範氏に取材をしている｣部分だけである｡やや文法的に齟齬があったのと､事実と比較して正確さに欠けていたからである｡その他､全体的に｢てにおは｣や文末の語句などを多少推敲した｡後は全て松田自身による文章である｡
実は今回の続き｢韓国取材同行記��｣も松田に手渡されている｡殆ど完成に近い｡苦しい病状にもめげず､よくもﾚﾍﾞﾙの高い､つまり｢商品性の高い｣ｺﾗﾑを書き上げたと感心している｡
現在､実家に戻り通院生活を送っている松田だが､あのような辛い体調にもかかわらず､このｺﾗﾑが書けたのならば､復帰後の彼の活躍が今から楽しみだ｡
近々｢韓国取材同行記��｣も掲載する｡殆ど私のｱｶはないと思って読んでほしい｡そして､松田が一刻も早く病気を完治し､再び夢現舎に帰る事を､読者のみなさんにも応援して頂ければ幸いである｡
2007年05月15日
番外編･連載/小島秘書･飯田賢一のｸﾗｸﾗ日記(4)画像追加版
●黒澤浩樹師範との邂逅
｢あの人たち､いかにもﾔｸｻﾞみたいだよね｣
戸田市ｽﾎﾟｰﾂｾﾝﾀｰの玄関で､駐車場から入口に向かって歩いてくる小島たち一行(小島､大志君､黒澤浩樹師範､黒澤氏の奥様)の姿を見た夢現舎副代表･塚本佳子は笑いながら言った｡
2007年4月29日､同会場において極真館主催による全日本ｳｪｲﾄ制選手権が開催された｡それは､極真空手史上初の顔面防具なし､拳および肘による顔面殴打を認める｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣試合が採用された､まさに歴史的な1日であった｡
その歴史的な大会を見届けるべく､小島一志は会場に姿を現した｡互いに｢悪友｣と呼び合う伝説の空手家･黒澤浩樹とともに――｡
黒澤浩樹と言えば､かつて｢極真空手史上最強の男｣｢格闘機械(ﾌｧｲﾃｨﾝｸﾞ･ﾏｼｰﾝ)｣と異名を取った空手家である｡小島の著書｢黒澤浩樹ｻﾞ･ﾗｽﾄﾌｧｲﾄ｣｢黒澤浩樹―最後の超人伝説｣の中で語られた彼の強さは､いまだに｢生ける伝説｣としてその名声を失っていない｡
正直に言って､私は黒澤師範の現役時代の戦いを直に見た事はない｡しかし､小島の著書や他の雑誌などでも描かれた黒澤師範の戦いやｴﾋﾟｿｰﾄﾞ､さらにはﾋﾞﾃﾞｵの中ではあるがその試合の模様を見れば､黒澤師範がいかに超人的な空手家だったかという事実は容易に理解できる｡
夢現舎では時折｢ﾋﾞﾃﾞｵ鑑賞会｣という名で､昔の極真会館や芦原会館などのﾋﾞﾃﾞｵを鑑賞するｲﾍﾞﾝﾄがある｡そこでは､過去の全日本選手権や世界選手権のﾋﾞﾃﾞｵを見ながら､小島が技術や当時の空手界､名選手などについて講義を行なう｡小島の解説に耳を傾け､ﾒﾓを取りながら我々ｽﾀｯﾌは｢勉強｣をするのだ｡
この鑑賞会で最も多く見た､否､見せられたのが黒澤師範が優勝した1984年の第16回全日本選手権のﾋﾞﾃﾞｵだった｡黒澤師範の強さはまさに群を抜いていた｡表情ひとつ変えず､左右の下段蹴りを駆使して対戦相手をﾊﾞｯﾀﾊﾞｯﾀとなぎ倒していく姿は､｢一撃必殺の空手｣そのものだった｡そんな戦い振りが脳裏に焼き付いている私にとって､黒澤浩樹は憧れと恐怖の存在だった｡
その黒澤師範が小島とともに､私と塚本が待つ会場の入口に向かって歩いてきたのだ｡先頭には胸に極真会のﾛｺﾞと日の丸､左袖には日章旗が刺繍された黒のMA-1ｼﾞｬﾝﾊﾞｰに身をまとった小島､その後ろからｸﾞﾚｰの立て襟ｽｰﾂ姿の黒澤師範が大志君と談笑しながら近づいてくる｡そして最後尾には黒澤氏の奥様がいるという様相である｡
とくに黒澤師範の奥様を除く3人のｶﾞﾀｲのいい男たちがのっしのっしと風を切って歩いてくる姿は､まさに塚本の言った冒頭の言葉に当てはまる｡
私は会場に到着し､記帳を済ませた小島や黒澤師範を､いつものごとく会場内に案内した｡まずは盧山初雄館長に挨拶をしなければならなかった､開会式前とあって盧山館長のもとには引っ切りなしに訪問客が訪れていた｡
｢早くしろよ｡黒澤さんが待ってるんだから｡強引に分け入っていいから盧山先生に小島がきた事を伝えればいいんだ!｣
なかなか挨拶のﾀｲﾐﾝｸﾞを見つけられない私を小島は一喝する｡私は焦りながらも､小島の命令に従った｡無理矢理､列に割り込み､盧山館長のもとに身を滑らせた｡勘のいい盧山館長は私の顔を見るなり振り返って小島の姿を探した｡小島を見つけた盧山館長は自ら席を立って私の後からついてきた｡顔なじみの小島と盧山館長はいつも通り笑顔で握手を交わした｡小島は握手も早々に後ろにいる黒澤師範を前に押し出しながら､｢先生､約束通り､黒澤さんをお連れしました｣と言った｡
盧山初雄と黒澤浩樹の邂逅…｡
これはまさに歴史的な出来事と言ってもいいだろう｡黒澤師範が数年ぶりに｢極真空手｣の大会会場に姿を現し､なおかつ極真館の長である盧山館長と固い握手をしたのだ｡
｢師範､ご無沙汰しています｣
黒澤師範の言葉に､盧山館長は満面の笑顔で何度も黒澤師範の手を握り締め､背中を叩いた｡
この瞬間､盧山館長率いる極真館と黒澤師範の黒澤道場は｢友好団体｣になったのである｡
顔面殴打を認める画期的な｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣が公開されるこの大会に､黒澤浩樹が姿を見せるどころか､極真館との友好関係を約束した事の意味は大きい｡
では何故､これが可能になったのか?
それはすべて小島の尽力のおかげと言ってもよいだろう｡今大会に黒澤道場の選手が参加する事になったきっかけも､小島が盧山館長に話を通した事から始まった｡黒澤師範はこの件に関してすべて小島に一任した｡｢悪友｣である小島は黒澤師範の意向を直接､盧山館長に伝え､盧山館長は小島を信じて何ひとつ条件も出さずに黒澤師範を受け入れた｡小島という触媒を介して歴史に名を刻む2人の空手家が再会し､固い絆を結んだのだ｡
盧山初雄､黒澤浩樹､そして小島一志の3人の姿を見ながら､何故か私は胸が熱くなった｡
その後､私はあらかじめ用意してあった2階席に黒澤師範と小島を誘導した｡我々は2階席正面の最前列と2列目に陣取った｡この場所は､正面から試合を見渡せる絶好の場所だった｡
前回の無差別全日本選手権では各出版社の方々を盧山館長に紹介するのに動き回っていた小島と塚本だが､今回は｢ゆっくり試合を見たい｣という事で､あえて2階席を小島は選んだ｡ｱﾘｰﾅ席だと絶えず関係者やﾌｧﾝがやってきてゆっくりする暇もない｡ましてや黒澤師範は観客の注目の的であり､混乱は十分に予想出来た｡ある意味､黒澤師範に気を使った小島の配慮といっていいだろう｡
最前列には､左から小島と黒澤師範が腰掛け(途中から黒澤道場の師範代の方も同席)､2列目には大志君､塚本､黒澤師範の奥様という順番で並んだ｡
いよいよ試合が始まった｡観客席は俄かに熱くなった｡
｢なあ､大志はあの試合､どう思う?｣
いきなり黒澤師範は後ろを振り向き､大志君に話しかけた｡
私自身､大志君から｢黒澤先輩はいつも僕の昇級審査の時には見に来てくれた｡一番尊敬しているのが黒澤先輩だ｣と聞いてはいたが､大志君に対する黒澤師範の態度はまるで年の離れた｢兄弟｣そのものだった｡黒澤師範が見せる柔らかい笑顔は､あのｺﾜﾓﾃの印象しかない私にはあまりに意外だった｡大志君も物怖じする事なく､｢押忍!｣と返事しながら笑顔で答えていた｡
塚本が大志君と話しているときの安堵にも似た表情も､2人の絆の強さを感じさせるが､それと変わらない優しさを私は黒澤師範と大志君に感じた｡私は少し大志君がうらやましく思った｡
｢小島さん､あれは○○ですよね〜｣
｢違いますよ黒澤さん､それは○○でしょうが…｣
｢でも小島さん､○○の場合は○○が出る事もあるんですよ｣
｢なるほど｡そうなんですか｣
こんな調子で小島と黒澤師範は試合を見ながら鋭い考察で分析し合い､かつ談笑を交えながら見守っていた｡2人の様子はまるで､｢空手少年｣がﾜｸﾜｸしながら試合を観戦しているかのようでもあった｡
しかし､黒澤師範は何度か突然､姿を消した｡どこに行ったのかと心配をしていると､黒澤師範は試合場のｾｺﾝﾄﾞから黒澤道場の選手を応援しているではないか｡その姿は､一転して道場主･武道家として生きる黒澤師範の現在を実感させるものだった｡
ﾌｯと私の胸に何かがこみ上げてきた｡私は試合場に立つ空手着姿の黒澤師範の幻影を見た…｡
噂によれば､今大会に黒澤師範は選手として出場を考えていたとも聞く｡しかし､それは現実にならなかった｡もし､黒澤浩樹がこの大会に出場していたら…｡すでに40を優に超える年齢でありながら､現役時代と変わらない厳しい稽古を日々怠らない黒澤師範｡だからこそ､黒澤浩樹の｢超人伝説｣はいまでも色褪せないのだ｡
黒澤師範には失礼だが､万が一1回戦で敗退したとしても､｢超人伝説｣はより強固なものになりこそすれ､少しも傷つく事はないだろう｡ましてや優勝でも飾っていたら､それこそ｢極真空手史上最高の栄誉｣を手にしたに違いない｡何故なら､極真館が提示した｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣による試合が､今後｢極真空手界最強｣の勲章を巡る戦いとして広く認知されていくのは間違いないからである｡
｢小島さんの秘書は､命削る仕事でしょうね?｣
会場で､おもむろに黒澤師範から尋ねられた私は､思わず｢はいっ!｣と返事をしてしまった｡するとすかさず小島は言った｡
｢こいつの仕事はまだまだ命なんか削ってないよ｡本当に命を削っているのは俺と塚本の2人だけだよ｡『大山倍達正伝』書くときの俺と塚本は､まさに命懸けだったんだから…｣
まさしく小島の言うとおりである｡私はこれまでの人生の中で､｢命懸けで､死ぬ気でやってきた!｣と胸を張って言える事はひとつもない｡小島･塚本が死ぬ思いで執筆に挑んだ事や､黒澤師範のこれまでの激闘に比べれば､私の経験なんて足元にも及ばない｡
｢命を削る…｣
この言葉は､命懸けで何かを達成した人間だけに許されるものである｡大会終了後､私は黒澤師範が会場を去る大きな後ろ姿を見送りながら､この言葉の意味を深く噛み締めた｡
同時に､黒澤師範の戦う勇姿をもう一度見たい! と思った｡これは私だけではなく､極真空手ﾌｧﾝ､黒澤浩樹ﾌｧﾝすべての願いであろう｡
いつの日か､極真空手史上最強の男･黒澤浩樹が復活する日が訪れる事を期待したい｡
｢あの人たち､いかにもﾔｸｻﾞみたいだよね｣
戸田市ｽﾎﾟｰﾂｾﾝﾀｰの玄関で､駐車場から入口に向かって歩いてくる小島たち一行(小島､大志君､黒澤浩樹師範､黒澤氏の奥様)の姿を見た夢現舎副代表･塚本佳子は笑いながら言った｡
2007年4月29日､同会場において極真館主催による全日本ｳｪｲﾄ制選手権が開催された｡それは､極真空手史上初の顔面防具なし､拳および肘による顔面殴打を認める｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣試合が採用された､まさに歴史的な1日であった｡
その歴史的な大会を見届けるべく､小島一志は会場に姿を現した｡互いに｢悪友｣と呼び合う伝説の空手家･黒澤浩樹とともに――｡
黒澤浩樹と言えば､かつて｢極真空手史上最強の男｣｢格闘機械(ﾌｧｲﾃｨﾝｸﾞ･ﾏｼｰﾝ)｣と異名を取った空手家である｡小島の著書｢黒澤浩樹ｻﾞ･ﾗｽﾄﾌｧｲﾄ｣｢黒澤浩樹―最後の超人伝説｣の中で語られた彼の強さは､いまだに｢生ける伝説｣としてその名声を失っていない｡
正直に言って､私は黒澤師範の現役時代の戦いを直に見た事はない｡しかし､小島の著書や他の雑誌などでも描かれた黒澤師範の戦いやｴﾋﾟｿｰﾄﾞ､さらにはﾋﾞﾃﾞｵの中ではあるがその試合の模様を見れば､黒澤師範がいかに超人的な空手家だったかという事実は容易に理解できる｡
夢現舎では時折｢ﾋﾞﾃﾞｵ鑑賞会｣という名で､昔の極真会館や芦原会館などのﾋﾞﾃﾞｵを鑑賞するｲﾍﾞﾝﾄがある｡そこでは､過去の全日本選手権や世界選手権のﾋﾞﾃﾞｵを見ながら､小島が技術や当時の空手界､名選手などについて講義を行なう｡小島の解説に耳を傾け､ﾒﾓを取りながら我々ｽﾀｯﾌは｢勉強｣をするのだ｡
この鑑賞会で最も多く見た､否､見せられたのが黒澤師範が優勝した1984年の第16回全日本選手権のﾋﾞﾃﾞｵだった｡黒澤師範の強さはまさに群を抜いていた｡表情ひとつ変えず､左右の下段蹴りを駆使して対戦相手をﾊﾞｯﾀﾊﾞｯﾀとなぎ倒していく姿は､｢一撃必殺の空手｣そのものだった｡そんな戦い振りが脳裏に焼き付いている私にとって､黒澤浩樹は憧れと恐怖の存在だった｡
その黒澤師範が小島とともに､私と塚本が待つ会場の入口に向かって歩いてきたのだ｡先頭には胸に極真会のﾛｺﾞと日の丸､左袖には日章旗が刺繍された黒のMA-1ｼﾞｬﾝﾊﾞｰに身をまとった小島､その後ろからｸﾞﾚｰの立て襟ｽｰﾂ姿の黒澤師範が大志君と談笑しながら近づいてくる｡そして最後尾には黒澤氏の奥様がいるという様相である｡
とくに黒澤師範の奥様を除く3人のｶﾞﾀｲのいい男たちがのっしのっしと風を切って歩いてくる姿は､まさに塚本の言った冒頭の言葉に当てはまる｡
私は会場に到着し､記帳を済ませた小島や黒澤師範を､いつものごとく会場内に案内した｡まずは盧山初雄館長に挨拶をしなければならなかった､開会式前とあって盧山館長のもとには引っ切りなしに訪問客が訪れていた｡
｢早くしろよ｡黒澤さんが待ってるんだから｡強引に分け入っていいから盧山先生に小島がきた事を伝えればいいんだ!｣
なかなか挨拶のﾀｲﾐﾝｸﾞを見つけられない私を小島は一喝する｡私は焦りながらも､小島の命令に従った｡無理矢理､列に割り込み､盧山館長のもとに身を滑らせた｡勘のいい盧山館長は私の顔を見るなり振り返って小島の姿を探した｡小島を見つけた盧山館長は自ら席を立って私の後からついてきた｡顔なじみの小島と盧山館長はいつも通り笑顔で握手を交わした｡小島は握手も早々に後ろにいる黒澤師範を前に押し出しながら､｢先生､約束通り､黒澤さんをお連れしました｣と言った｡
盧山初雄と黒澤浩樹の邂逅…｡
これはまさに歴史的な出来事と言ってもいいだろう｡黒澤師範が数年ぶりに｢極真空手｣の大会会場に姿を現し､なおかつ極真館の長である盧山館長と固い握手をしたのだ｡
｢師範､ご無沙汰しています｣
黒澤師範の言葉に､盧山館長は満面の笑顔で何度も黒澤師範の手を握り締め､背中を叩いた｡
この瞬間､盧山館長率いる極真館と黒澤師範の黒澤道場は｢友好団体｣になったのである｡
顔面殴打を認める画期的な｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣が公開されるこの大会に､黒澤浩樹が姿を見せるどころか､極真館との友好関係を約束した事の意味は大きい｡
では何故､これが可能になったのか?
それはすべて小島の尽力のおかげと言ってもよいだろう｡今大会に黒澤道場の選手が参加する事になったきっかけも､小島が盧山館長に話を通した事から始まった｡黒澤師範はこの件に関してすべて小島に一任した｡｢悪友｣である小島は黒澤師範の意向を直接､盧山館長に伝え､盧山館長は小島を信じて何ひとつ条件も出さずに黒澤師範を受け入れた｡小島という触媒を介して歴史に名を刻む2人の空手家が再会し､固い絆を結んだのだ｡
盧山初雄､黒澤浩樹､そして小島一志の3人の姿を見ながら､何故か私は胸が熱くなった｡
その後､私はあらかじめ用意してあった2階席に黒澤師範と小島を誘導した｡我々は2階席正面の最前列と2列目に陣取った｡この場所は､正面から試合を見渡せる絶好の場所だった｡
前回の無差別全日本選手権では各出版社の方々を盧山館長に紹介するのに動き回っていた小島と塚本だが､今回は｢ゆっくり試合を見たい｣という事で､あえて2階席を小島は選んだ｡ｱﾘｰﾅ席だと絶えず関係者やﾌｧﾝがやってきてゆっくりする暇もない｡ましてや黒澤師範は観客の注目の的であり､混乱は十分に予想出来た｡ある意味､黒澤師範に気を使った小島の配慮といっていいだろう｡
最前列には､左から小島と黒澤師範が腰掛け(途中から黒澤道場の師範代の方も同席)､2列目には大志君､塚本､黒澤師範の奥様という順番で並んだ｡
いよいよ試合が始まった｡観客席は俄かに熱くなった｡
｢なあ､大志はあの試合､どう思う?｣
いきなり黒澤師範は後ろを振り向き､大志君に話しかけた｡
私自身､大志君から｢黒澤先輩はいつも僕の昇級審査の時には見に来てくれた｡一番尊敬しているのが黒澤先輩だ｣と聞いてはいたが､大志君に対する黒澤師範の態度はまるで年の離れた｢兄弟｣そのものだった｡黒澤師範が見せる柔らかい笑顔は､あのｺﾜﾓﾃの印象しかない私にはあまりに意外だった｡大志君も物怖じする事なく､｢押忍!｣と返事しながら笑顔で答えていた｡
塚本が大志君と話しているときの安堵にも似た表情も､2人の絆の強さを感じさせるが､それと変わらない優しさを私は黒澤師範と大志君に感じた｡私は少し大志君がうらやましく思った｡
｢小島さん､あれは○○ですよね〜｣
｢違いますよ黒澤さん､それは○○でしょうが…｣
｢でも小島さん､○○の場合は○○が出る事もあるんですよ｣
｢なるほど｡そうなんですか｣
こんな調子で小島と黒澤師範は試合を見ながら鋭い考察で分析し合い､かつ談笑を交えながら見守っていた｡2人の様子はまるで､｢空手少年｣がﾜｸﾜｸしながら試合を観戦しているかのようでもあった｡
しかし､黒澤師範は何度か突然､姿を消した｡どこに行ったのかと心配をしていると､黒澤師範は試合場のｾｺﾝﾄﾞから黒澤道場の選手を応援しているではないか｡その姿は､一転して道場主･武道家として生きる黒澤師範の現在を実感させるものだった｡
ﾌｯと私の胸に何かがこみ上げてきた｡私は試合場に立つ空手着姿の黒澤師範の幻影を見た…｡
噂によれば､今大会に黒澤師範は選手として出場を考えていたとも聞く｡しかし､それは現実にならなかった｡もし､黒澤浩樹がこの大会に出場していたら…｡すでに40を優に超える年齢でありながら､現役時代と変わらない厳しい稽古を日々怠らない黒澤師範｡だからこそ､黒澤浩樹の｢超人伝説｣はいまでも色褪せないのだ｡
黒澤師範には失礼だが､万が一1回戦で敗退したとしても､｢超人伝説｣はより強固なものになりこそすれ､少しも傷つく事はないだろう｡ましてや優勝でも飾っていたら､それこそ｢極真空手史上最高の栄誉｣を手にしたに違いない｡何故なら､極真館が提示した｢真剣勝負ﾙｰﾙ｣による試合が､今後｢極真空手界最強｣の勲章を巡る戦いとして広く認知されていくのは間違いないからである｡
｢小島さんの秘書は､命削る仕事でしょうね?｣
会場で､おもむろに黒澤師範から尋ねられた私は､思わず｢はいっ!｣と返事をしてしまった｡するとすかさず小島は言った｡
｢こいつの仕事はまだまだ命なんか削ってないよ｡本当に命を削っているのは俺と塚本の2人だけだよ｡『大山倍達正伝』書くときの俺と塚本は､まさに命懸けだったんだから…｣
まさしく小島の言うとおりである｡私はこれまでの人生の中で､｢命懸けで､死ぬ気でやってきた!｣と胸を張って言える事はひとつもない｡小島･塚本が死ぬ思いで執筆に挑んだ事や､黒澤師範のこれまでの激闘に比べれば､私の経験なんて足元にも及ばない｡
｢命を削る…｣
この言葉は､命懸けで何かを達成した人間だけに許されるものである｡大会終了後､私は黒澤師範が会場を去る大きな後ろ姿を見送りながら､この言葉の意味を深く噛み締めた｡
同時に､黒澤師範の戦う勇姿をもう一度見たい! と思った｡これは私だけではなく､極真空手ﾌｧﾝ､黒澤浩樹ﾌｧﾝすべての願いであろう｡
いつの日か､極真空手史上最強の男･黒澤浩樹が復活する日が訪れる事を期待したい｡
