2007年10月15日

新極真会世界選手権に思う〜「大山倍達の遺言」の糧として《改訂版》

新極真会世界選手権に思う〜
「大山倍達の遺言」の糧として
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「会場が満員になったとか、そこには無料入場券がバラ撒かれたとか、日本選手の技術・戦法がどうだとか…。そういう事は別にして、私はこの大会を見てハッとさせられた気がするんです。日本選手も外国人選手も、みんな精一杯に頑張っていた。極真空手が好きで一生懸命に稽古に励んで純粋に戦っていた。そんな選手たちに対する真摯な気持ちを私はこの数年、忘れていたような気がするんです。私たちジャーナリストは、どうしても物事を組織論的な視点で見てしまう。原則論を起点にして、組織の問題を中心に考えてしまう。それが本来のジャーナリストの在り方であるのは正しいにしても、そんな組織論とは別な部分で純粋に空手に汗を流している人たちがいる。彼らに対する真心や敬意を失ってはいけない。極真空手を支えているのは、大会で実際に戦う選手たちであり、彼らの後ろにはたくさんの純真な道場生たちがいる。彼らの心を無視して、ただ組織論だけでこの極真会館の分裂劇を捉えてはいけないと、どの団体も、その問題や課題はあるけれど、そのなかで一生懸命に頑張る選手や道場生には極真会館の分裂劇の罪はないんです。みな綺麗な汗を流しているんだという事を、心に刻みながら、私たちは物を書いて批評したり問題提議をしていかなければならないんだと、新極真会の世界大会は教えてくれたような気がするんです」

これは昨日の新極真会主催の世界選手権を観覧した塚本佳子の言葉である。
私も彼女の言葉によって近年忘れていた「大切な何か」を思い出された。そうなのだ。極真会館であれ極真館であれ、新極真会であれ、そこで汗を流して稽古に励む選手や道場生に対する「視点」を失ったならば、それは例え組織論として「正義」であったとしても、そこからは自然と醜い「傲慢さ」が滲み出てくる。それを以て本当の「正義」は存在せず、正しいジャーナリズムではない。
政治ジャーナリストが、仮に中東紛争やイラク戦争を論じるにしても、関係諸国に生きる国民や民衆の「平和」を最重視する意識が基本でなくてはならない。当事国のなかで実際に生活を営んでいる国民・民衆に対する「視点」なくして、「正義」を論じる原理主義的主張は極めて無責任であり、浅薄なものに過ぎない。
それと同様である。


「大山倍達の遺言」の企画は、これまで当事者でさえ知らなかった、または知ろうとしなかった、更には隠してきた組織分裂の過程に伴う「事実」をより客観的に探り当て、この14年間、「闇」に包まれていた「真実」を明らかにしたい、そして大山倍達が遺した「極真空手」の精神はいかなる形で受け継がれているのか? それを検証したいという気持ちから出発したものである。決して「暴露本」などを書くつもりもない。また特定の団体を擁護したり批判するのが目的ではない。
それ故に、私たちは「極真空手」を名乗る、また系統を引くあらゆる団体、道場関係者に取材をして、より客観的かつジャーナリスティックなルポルタージュを目指してきた。殆どの関係者は積極的また消極的にかかわらず取材に協力してくれた。


唯一、新極真会だけが徹底した取材拒否を貫いてきた。
それも一時は夢現舎との間の「好意的な関係改善」を了承しながら、突然何ら明確な理由もなく、一方的な取材拒否通告が紙切れ一枚の郵便で夢現舎に送られてきた。
繰り返すが、私も塚本も過去の新極真会(支部長協議会派)との確執を、自ら反省するところは反省し、彼ら新極真会側の立場を尊重する意志を明確にしていた。実際、事務局長の小井氏には小島自身が謝罪をしているし、今後は一切、論拠のない誹謗中傷じみた批判はしないと約束していた。小井氏は快く小島の誠意に対し、有り余る誠意で以て受け入れてくれた。しかし…。
思いもかけない取材拒否通告に対して、個人的には極めて遺憾であり、怒りの感情を抱いた事は否定しない。なによりも納得できなかったのは、何故一度は快く受け入れてくれた取材協力を一転して破棄したのか? そして、最も重要な事は、あの1995年の「分裂劇」について、新極真会(支部長協議会派)側にも当然存在するはずの彼らの「正義」や「主張」を聞けないという点にあった。
過去、私は支部長協議会派が行った松井章圭館長の解任劇を「クーデター」という言葉で表した。今回の「大山倍達の遺言」をめぐる多くの「極真空手」関係者への取材、特にのちに支部長協議会派を離脱した関係者たちの証言や資料の考察からも、「クーデター」という表現が間違いではなかったという結論に達しつつある。
だが、仮にそれが「クーデター」であったにせよ、イコール「悪」とは限らない。支部長協議会派に組した関係者には確実にそれぞれ、または統一見解として、彼らなりの「正義」が確実にあったに違いないのだ。その彼らの主張を私たちは反映する事ができない。
しかし、それは彼ら新極真会側にとっても決してプラスではないのではないか? 何故、彼らは自らの「正義」を語る事を拒否するのか? 私たちは当惑した。
今となれば、新極真会が取材拒否により一切の主張を封印した「背景」も分かってきた。新極真会の誰がキーパーソンであり、いかなる理由により口を閉ざしたのかも明らかになってきた。そこに新極真会内部の醜い権力闘争が進行しつつある事も判明してきた。
だからこそ、私はブログ上でも組織としての新極真会の問題を、または組織を混乱させている「元凶」に対して、ときには痛烈に批判し続けてきた。それが間違っていたとは思わない。


それでも、私は大切な事を見失ってきたようだ。
例え新極真会の内部にいかなる醜い権力闘争があろうとも、それとは別次元で、日々の稽古に汗を流す1万人以上の道場生がいるのだ。大会を目標に、決死の特訓に精進する選手たちがいるのである。
彼らに一体、何の罪があろう。確かに新極真会の組織は揺れている。だが、新極真会に誇りを持って汗を流す道場生を愚弄してはならない。それは何も新極真会に限らない。極真会館も極真館も連合会も同様だ。
極真会館や新極真会の規模に比べたら弱小でしかない清武会の大会で、渾身の気迫で戦う選手たちも、「極真空手を愛する」という想いにおいては何ら大きな団体に劣らない。
彼ら選手や道場生の想いを顧みる事なく、単なる組織論だけで一個の団体の問題点を糾弾していいのだろうか?
しかし、それがジャーナリズムというものだと割り切るのは簡単だ。むしろ、組織・団体がその内に有する問題や課題から目を背け、選手たちの健闘のみを讃える姿勢は、その世界での共存共栄を第1とする低俗な「業界人」の在り方に過ぎないともいえる。私たちは今更「業界人」に成り下がるつもりはない。
それにしても、我々はつくづく因果な商売をしているものだと思った…。私は塚本とともに、漠然とした罪悪感に悩んだ。だが、それでも私たちは物書きであるし、それを生業にして日々の糧を得ているのだ。勿論、ジャーナリストとしての義務感や正義感も誇りも溢れるほど持っている。
だからこそ、私たちは改めて自己確認をした。
私たちは「大山倍達の遺言」によって、1994年の大山倍達の死後に始まった極真会館の分裂騒動を克明に描いていく。だが、分裂の結果、生まれたいかなる組織・団体であれ、そこで汗を流す人々に対する敬意と尊重だけは忘れまいと。


一方で、全く逆な言い方になるが、私たちはこうも考える。
以下は、組織・団体に関係なく、そこで稽古し試合を目標にする人たちに共通する言葉である。
「組織の問題や分裂なんて関係ないし興味もない。ただ、自分たちはここで頑張るだけだ」
「あっちの団体は正統ではない。自分たちだけが極真空手なのだから…」
これらの姿勢も正しくはないのではないか?
選手や道場生だけでなく、少年部に自分の子供を通わせている保護者も例外ではない。この10年越しにいまだ収まる事のない「極真会館分裂劇」には、明確に客観的な「正邪」が存在する事もまた事実なのである。如何に醜く、裏切りや打算による「選手や道場生不在」の権力闘争が繰り広げられてきた事か…。
主観や感情ではなく、明らかに「そこに存在するべきではない組織」もあると言わざるを得ない。現在、「極真空手」を謳う団体・組織は10を下らない。ならば、道場生も選手も、少年部の保護者も、この「極真会館分裂劇」に対して無関心でいていいはずはないだろう。
前言と矛盾するようだが、やはりその団体・組織で「極真空手」を学ぶ人たちにも意識改革が必要なのではないだろうか。
ただ残念ながら、たとえその意識が彼らにあっても、過去の分裂の経緯を知るよすがも、また各団体・組織が内包する問題や課題をしる術もないという現実がある事は否めない。選手や道場生たちにとって唯一の「情報」は、その組織・団体のフロントや支部長たちによる限られた言葉でしかない。結果的に、団体ごとに洗脳めいた独善的な「正義もどき」が道場の空気を支配する事になる。
それ故に、分裂による混乱のなか、人間関係による不信感や軋轢によって「極真空手」を離れざるを得なかった多くの選手や道場生が存在した。彼らはみな分裂の犠牲者であり、だからこそ「極真会館分裂劇」は醜い権力闘争に過ぎないのである。にもかかわらず殆どの選手や道場生は分裂劇の「真相」を知る事が不可能だった。
そのためのにも「大山倍達の遺言」が多大なる意義を持つ事を私たちは自負している。あらゆる団体・組織に所属する、または現在「極真空手」を離れた人たちに、改めて「極真会館分裂劇」について考えてもらいたい。
「大山倍達の遺言」が、そのための規範または指針となり得る事を目指し、私も塚本も努めて私心なく、よりジャーナリスティックな視点で極真会館の10年を超える分裂劇の「真実」を描いていく決意である。
何よりも「極真空手」を愛し、一生懸命に汗を流す人々への敬意を忘れずに…。


心から言う。
昨日の新極真会主催世界選手権大会。2日間の過酷な強行軍にもかかわらず、見事に戦い抜いた日本選手たち、更に海外の選手たちに、お疲れさまでした。
あなたたちの尊く純粋な「汗」への畏敬の念を心に刻ませていただきます。


(了)

samurai_mugen at 20:05 │clip!単発コラム 

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