2007年10月20日

とあるカリー屋さんの戯言(3)タンドール土釜との死闘(中編)〜THE ROCK-MAN

「とあるカリー屋さんの戯言」
タンドール土釜との死闘!(中編)



●おそるべしインドの超怪物!

《ブボワッーー》という空気を裂くような火音ともに青白い炎の塊がとぐろを巻いて私の顔面に直進してきた。
「うわああああ! し、死ぬ〜!」
私は目を点にして、心の中で悲鳴をあげるや否や、瞬時に顔面をガードし、思いっきり後方にのけぞった。
《ブホッーーーー》
炎はまだ燃えている。それどころか、炎が釜穴の形状を模り、円柱型に添って渦を巻いて竜巻のように、上に向かって伸びているではないか。竜巻は天井を突き破ってやろうと言わんばかりに雲を作ってさらに上へ伸びていった
「やめろー! やめてくで〜!!」
火事にならないかと心配になったが、フードに設置された2台の大型換気扇が、フルパワーで作動し「高熱竜巻雲」の『野望』を飲み込んでくれた。さすが、イザッ!というときに頼りになる大型換気扇だ。
「ハぁ〜助かった」
一瞬、肝を冷やしたが、幸いにも火事は免れた、だが、とてもじゃないけどこの状況に安心はできない。それに、もしもあの高熱竜巻雲が顔面に直撃していたら、大怪我どころじゃすまなかっただろう。私は本当に再起不能に陥っていたかもしれないのだ。
私は恐る恐る釜穴ごしに中を覗いてみた。炎の塊を思い出して、ぞっとした。まだ、体のどこかが震えている。
それにしても釜の中で一体何が起こったのか!?
「はっ! もしや…」私はすぐに思い当たる節があった。
「あの時だ!」5枚目のナンをはがそうとして、火傷をした時、熱さで思わず釜蓋を閉じてしまっていたのだ。そういえば、釜を厨房に設置する際、業者の方から、「釜は火を点してから、釜蓋を『半開き』にして、最適な温度になるまで約2時間半お待ちください」と聞いていた。さらには、「火を点してから釜蓋を全部閉じてしまうのは危険ですよ」という忠告も聞いていたような気がしないでもない。
しかしである。釜蓋を閉じたぐらいで、これほどまでに凄い大爆発が起こりうるのだろうか?しばしの沈黙のあと、私はもう一度、「あの時」の状況に思いをめぐらした。
「はあ! そうか、そうだったのか…」
私は自分なりに、ない知恵を振り絞って推理を施してみた。度重なるナンの失敗で、焼いたナンが釜の中に異物として、居残り、たまったナンの残骸から、ガスが発生し、釜蓋を空けた瞬間、釜の中へ大量の空気が入り込み、引火! その結果、あの大爆発を引き起こしたのだ。
そうに違いない。
サイエンスとは無縁のこの私でも、このぐらいの理解力はある。ひょっとしたら、これが世に言う「バックドラフト現象」なのか!? うわわわ、怖ええ! おそるべしタンドール土釜! こいつは煮ても焼いても食えない化け物だ!
しかし…自己流の推理に感心している暇などあるはずもなく、早くも私の焦りは最高潮に達していた。
「やはり、俺は間違っていたのだろうか? 日本人の俺には無理なのか? タンドール土釜はインド人にしか扱えないという『迷信』は、真実だったのか…」
それとも何か?
「タンドール土釜、こいつ自身が異国人の俺に、『我々インド』の領域に踏み込ませないという、古代インドの呪いにでも似た不気味な意志を持ってでもいるのか?」
いつしか、タンドール土釜の奥底に潜んでいたあの不気味で青透明な「高熱竜巻雲」が、古代インドの蛇の化身のように思えてきた。
かといって、いつまでも不安の気持に浸ってはいられない。お客様は美味しい本場のナンを待ち焦がれているのだ! 何とかしよう、何とかしなければならないのだ。私は絶体絶命のピンチに立たされた。
しかし、私も極真空手家のはしくれだ! 試合では幾度となく絶体絶命のピンチを乗り越えてきた男である。
再び挑戦開始!
とはいうものの、焦る気持が募る中、再び恐る恐る釜の中を覗いてみた。
「うわー、ひどいなコリャ〜!」
ナンの残骸がまだ釜壁に張り付いたままになっている。5枚ナンを焼いたので、もうどこにも「足の踏み場がない」、いや、この場合は、「ナンの踏み場がない」と言うべきか。ナンベラで残骸をつっつくとパラパラと案外簡単に残骸は崩れ落ちた。私は急いで残骸を釜底に落とし、もう1枚のナンのスペースを作った。
「ふゥ〜」ため息が自然と出る。極真空手家のはしくれの私だが、弱気の虫が脳裏に食いついて離れなくなってきた。まだまだ大爆発のショックが醒めない。半ば放心状態のまま再び6枚目のナンを手にした。
「よいしょ!」私は、再び釜の中に「貫手」を入れた。
「ん? あれ?」
今度も、5枚目のナンの時と同じように、またしてもナンの下の部分がはがれている。そればかりか、ナンの上の部分の真中辺りから、釜壁とナンの間に、ごくわずかな 隙間が生じているではないか。
「今度こそ取れるかもしれない、いや、ぜったい取ってやる!」
またしても極真空手家のはしくれの勇気が湧いてきた。ナン槍をナンの上部分に突き刺し、ナンベらを釜壁とナンのわずかな隙間にそっと差込んだ。「いける!…かもしれない」
私は慎重に、ナンべらをさらに奥まであてがい、張り付いたナンを少しずつはがしていった。慌ててもダメだが、ゆっくりやりすぎると、また焦げてしまうので、そこはより一層、ナンをはがす事に集中した。9割方はがれたところでで、突き刺したナン槍を持ち上げ一気に吊上げた。
「とったぁ〜! 成功だ」
やっと1枚焼けた。

●形勢逆転

1枚焼けたと言ってもまだまだ安心してはいられない。最初の注文は、まだ4枚残っているし、この「怪物釜」を相手にてんやわんややっている間に、ナンの注文が次から次へと殺到してきていた。
だが、とにかく1枚焼けた。まずは、最初の注文であるナンをあと4枚を焼いてしまわねば! 私はすぐさま2枚目のナンを取り出し、再度釜の中に「貫手」を入れた。
「どりゃー、セイヤ〜!」
《ピタ》
さっきと同じように、ナンの下の部分が釜壁にくっつかず、上の部分の真中辺りから僅かな隙間が生じていた。
「よーし、これなら取れるぞ!」
《パリパリ》今度もまた、2枚目はきれいに釜壁からナンがはがれ、難なく吊上げる事が出来た。この調子で、3枚目、4枚目も無事にクリアすることが出来た。
「ふゥ〜」とりあえず、最初の5枚を完遂出来た。やっと一難去った! 今度はため息ではなく安堵の息がこぼれた。それにしても、さっきとはうって変わってナンが釜壁からはがれやすくなっているのはどうしてだろう?
いまいち腑に落ちなかったが、まだまだナンのオーダーが残っている、余計な事を考えている暇はない。それからも、1枚、また1枚とクリアしていった。大分気持が楽になってきた。極真空手家のはしくれの立ち直りは早い。
「この分なら何枚でもいけるぞ、オーダーよ! どんとこい!」
さっきまでの、不安を忘れたかのように、私は勝ち誇った気持ちに酔っていた。調子に乗って、今度は連続焼きを試してみたくなった。連続焼きとは、1枚づつ焼いては釜穴から吊上げるのではなく、あらかじめナンを数枚広げておき、先ず1枚を貼り付け、すぐさま2枚目を貼り付ける、続いて3枚、4枚と貼っていき、焼けたナンから順に釜穴から吊上げていくと言う技法である。
これはもの凄い集中力とスピードが要求される。かなり高度な技だ。これが出来れば、1枚ずつナンを焼いていくよりも時間が大幅に短縮出来て、うんと効率が上がる。
先ずは連続2枚焼きから試してみた。
「どりゃー、セイ!」
《ピタ》《ピタ》《パリパリ》…。
多少ぎこちないが、なんとか成功できた。
「やったー! ならばこれもできるかな?」
3枚連続焼きにも挑戦すると、これも、無事に成功した。
「やれば出来るじゃないか! よ〜し! 今度は秘技連続2枚焼きだ!」
「どうだ! 連続3枚焼きだ!」
段々、私は調子に乗ってきた。好調のリズムに乗って、ナンを焼きまくった。こうなると、すべてが好転し、テンションが上がってきた。さきほどの「悪夢」など、すっかり忘れていた。
形勢逆転!
私は勝利感に酔いしれた。
「勝った! 本戦終了間際の奇跡の逆転、KO勝ちだ!」
そう信じて疑わなかった。いや、そうであって欲しかった。
しかし…私は再び「悪夢」の世界に引きずり込まれることになるのだ。だが、その時はこれから襲い掛かってくる本当の「タンドール土釜地獄」を知らずに、とあるカリー屋さんは、たった一時の歓喜に酔いしれていったのです…。

●八方塞り

「さあオーダーよ、ど〜んと来い!」
いつしか火傷を負った手の痛みも忘れて、2枚、3枚、4枚、5枚とナンを焼きつづけていった…。
ところが!!
「どりゃー、セイヤ〜!」
突然、異変が襲ってきた。
《ピタ》《ヒラヒラヒラ》《ボトッ》…。
「ありゃりゃ?」
手が滑ったかなあ?
一度釜壁に張り付いたように見えたが、ナンの部分部分が釜壁から《ヒラヒラ》とはがれて、釜底に沈んだ。ここにきて1枚のナンを釜の底に落としてしまったのだ。ナンはあっという間に縮れて真っ黒になり墨と変してしまった。
「は!?」
一瞬あの「悪夢」の大爆発が再び脳裏を掠めた。思わず、「またガスが発生してはまずい」と心配になったが、今回は釜蓋が開いている状態なので、ナンが燃えるだけで「バックドラフト現象」の心配はない。
「まあ、こういう事もあるか」
私は気を取り直して、再び広げたナンを取り出し、「貫手一線!」
《ピタッ》《ヒラヒラ》《ボトッ》、またしてもナンを釜底に落としてしまった。《ブホアー-!!》と釜底に落ちたナンを焼き尽くす火音が不気味に聞こえてきた。それは、あっという間に巨大な炎と化し、燃え盛る炎は釜の外に噴出し、墨と化した。
「ええー?なんで?」ならばもう1枚だ!
《ズルッ》《ボトッ》…《ブホアー》
「おかしいな…。また落っことしちまった」
今度はナンが釜壁に張り付く間もなく、そのまま《ズルッ!》《ボトッ!》と落ちてしまった。「くっそー!」もう一度やってみる。しかしまた、《ズルッ》《ボ゙トッ》。
何度もトライしたが、ここからは何度やっても失敗の連続だった。どうしてもナンが釜壁に張り付かないのだ。
「何故だ? どういうことだ??」
もう、何がなにやらわからなくなってきた。さっきはタコの吸盤のように釜壁がナンに吸い付いて取れなかったのだが、今度は釜壁に吸い付くどころか、ナンの密着を阻止するがのごとく跳ね返してくるではないか。
何度やっても、ナンが壁に張り付いてくれない。
私は一瞬の歓喜から、再び奈落の底へ突き落とされてしまった…。残酷な仕打ち。私はもう、疲れ果て、考える事すら億劫な状態に陥り、ただただ悩んだふりしながらも頭の中は真っ白になっていった。
とうとう私は、タオルと包帯をぐるぐる巻きにした両手で、頭を抱え厨房の隅にヘナヘナと腰が砕けるように座り込んでしまった。
「何がダメなんだ? どうすればいいんだ!?」
焦りを通り越して泣きたくなって来た。もう嫌だ! 逃げ出したい。
「こんな事なら見栄はってタンドール土釜なんか買わなきゃ良かった」
弱気の虫…。
極真空手家のはしくれにとっての最大の敵。それは自分自身の弱さだ。この最も嫌いで受け入れたくない弱気の虫が私の全身を覆い尽くそうとしていた。
「こんな事も出来ないなら、店やめようか」
敵前逃亡の何が悪い! 八方塞がり。なすすべなし! 私は次第に自暴自棄に陥り、いっその事、このままアメリカにでも逃げ出したくなった。
カリーの職人を気取って無駄やってるより、いっその事ハンバーガー屋さんにでも転職しちまおうか…。
しかし、私は腐っても極真空手家のはしくれなのだ!
ならば、あとは玉砕しかない。私は覚悟を決めた。


(中編・了 つづく)



記/一撃倶楽部・範士 THE ROCK-MAN


※タージマハール海老坂店
http://www2.tcnet.ne.jp/tajmahal

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