2006年09月

2006年09月25日

連載・芦原英幸語録(6)  ー改訂版

1988年の晩秋、私が福昌堂を退社し、夢現舎(まだ、この頃は「拳工房」と名乗っていた)の設立に走り回っていた頃、芦原は私に言った。この言葉はある意味、大山倍達の口癖だった「力なき正義は無能なり」に通じるものがあるように私には思えた。むしろ芦原の言葉は生々しい分だけ、その後の私の生き方にきわめて大きな教訓となって生き続けている。

「小島、これは何も空手の世界に限った事じゃないけん…。独立して会社を起こして、世間の荒海のど真ん中で生きていく訳じゃけん、これだけはよく覚えておいて欲しいんよ。いいか小島、絶対に人に舐められたらいけんよ。嫌われてもいいから怖がられる人間になれ。悪口を叩かれてもいいから軽んじられるな。人間は一度舐められたらトコトン追い詰められ、潰されておしまいなんよ。何事も最初が肝心じゃけん。時には他人に頭を下げなくてはならん事もある。でも気をつけろ。頭を下げる事と舐められる事は違うんよ。頭を下げても卑屈になっちゃいけん。少しでも相手が舐めた態度を見せたら脅してもいいけん。ただ脅すんと違うんよ。笑いながらも眼で脅せ。それでも分からんヤツには『いつでもケンカは買いますよ。こっちを舐めたら痛い目に合いますよ』と、直接言ってやれ。たとえヤクザと思われてもいい、舐められるよりはずっといいけん。そんで相手が恐縮して小島の怖さを思い知ったら初めて笑うんよ。そうしたら、愛想崩して隙を見せても大丈夫や。ただ忘れちゃならんのは、『力』は何も腕力だけじゃないって事や。『銭』も力の一つや。『武士は食わねど高楊子』っちゅうんか?日本人は銭を稼ぐ事を軽んじるところがあるけん。そんな考えは貧乏人の嫉妬なんよ。銭がなければな〜んにもできん。弟子にラーメン一杯でさえ食わせられんのよ。カツ丼を頼みたくてもライスしか食わせてやれんかった。おかずは塩と醤油、ソースだけ。それも、いつのまにか『ソースは高いから使わせん』と言われた。ワシは貧乏で嫌というほど銭の苦労をしてきたけん。銭さえあれば何でも出来る。銭は『力』なんよ。それに銭を稼いだら、ちゃんとした専属の『法律家』を用意しておくのも『力』なんよ。今はまだそんな余裕はないと思うけん、商売やる以上、小島はまずは銭を稼がにゃいかん。銭を稼いでちゃんと飯が食えるようになったら、早く『法律家』を雇う事や」

私は芦原の言葉に身がすくむ思いがした。芦原はしみじみと続けた。

「ワシが四国に渡って道場を開いた時、何人道場破りがきた事か…。そりゃあ数えきれんよ。最初のうちは、ワシも他人の土地でやっていく訳じゃけん。なるべく相手にならんよう気い付けとった。中村(忠)先輩に『芦原は他流の人間がくると直ぐに道場破りと思い込んで無茶苦茶する。中には極真に興味を持って入門したくてくる連中もいる。短気は損気だ』と、よお言われたけん。しかし芦原がニコニコして『どうも、いらっしゃい』なんて愛想よくして、適当にあしらって返すと、そいつら他で『芦原はビビッて土下座をした』なんて言い振らしよる。今度は、怪我せんよう軽く転がして『ご苦労さん』と返すと、他では『芦原といい勝負をした』と虚勢を張るんよ。それでワシは分かった。中村先輩の言葉はワシの後ろに何人も凄い連中がいる本部だから通用するもんだと。四国では極真の看板を背負うのは芦原一人しかいないんよ。ならば、この芦原が少しでも舐められたらいかん、そう思った。それからです。道場破りがきたら、徹底的に痛め付けた。必ず腕か足の骨を折ってやったけん。そんで二度と芦原の前に出てこられんよう、厭っていう程なぶってやるんよ。ゲロ吐いて小便漏らし、死ぬ一歩手前まで恐怖感を味わわせてやる。徹底的にイジメぬかんといけん。そこまでせんと分からんヤツがおるんよ。これは会社経営も同じ事やとワシは思う。やる時は徹底的にやる。絶対逃げちゃいけん。舐められたら終わりや。『ケンカはいつでも買いますよ。私を舐めたら痛い目にあいますよ』。そう突っ張り通せや。これが芦原が小島に贈る言葉じゃけん」

私はあれ以来、芦原の言葉を心に刻んで生きてきた。東京のど真ん中で夢現舎を設立し、今日まで18年近くやってきた。幾度も修羅場を潜ってきた。力のある顧問弁護士も顧問会計士も付けた。全て芦原英幸の言葉に従ってきたつもりだ。そして今、改めて芦原の言葉を噛み締めている。

samurai_mugen at 14:02|Permalinkclip!連載・芦原英幸語録 

inserted by FC2 system